許すな!憲法改悪・市民連絡会

無料ブログはココログ

2009年10月28日 (水)

雑記(100)狂い咲きのシャクナゲ

200910280914家を出たら、シャクナゲの花が一株だけ咲いていた。墓の株は来年に備えてつぼみを付けているだけなのに。携帯なので、映りの色がイマイチなのが残念だ。
シャクナゲは故郷の安達太良山に天然記念物に指定されている吾妻シャクナゲの原生がある。ふと、故郷の山を思い出させてくれた朝である。(高田)

2009年10月27日 (火)

雑記(99)植木鉢の葉っぱ

200910270717200910270716_2起きがけに、植木鉢の葉っぱをとってきて、童心に返って机に並べて遊んでいたら、何やら猪に似た形になりましたので、携帯でパチリ。イノシシにみえません?(高田)

2009年10月26日 (月)

雑記(98)路傍のカリンの実

1朝夕通る道沿いにカリンの実がなっている。今年は豊作だ。実も大きいし、数も多い。携帯で撮ってみたら、高いところになっているので、うまくとれない。昨晩、帰路にデジカメでアップで撮ったら実が1個しか映っていない。ま、いっか。この実は食べるに食べられないので、写真に撮るくらいだ。砂糖漬けというのがあるやにきいたこともあるが、何とも愛想なしな実だ。でも、木の実がなっているというのはうれしい気がするから不思議だ。大昔からの人間のDNAのなせる業かな。(高田)

2009年10月16日 (金)

雑記(97)新潟から新米が届きました

200910161222新潟で農業をやっている友人のI君の新米が届きました。
「短い夏も去り、山菜やアケビもおしまい。日に日に寒くなってきますね」という言葉で始まるお手紙も入っていました。「今年は天気回りが悪く、ここ山間地では収穫量は1~1.5割減と言われており、我が家も同様でした。食味アップの有機資材なども入れてはみても、やっぱりお天道さんにはかないません。それでもやっぱり『来年はああしようこうしよう』と思いをめぐらせてしまうのがまた農業であります」とも書いてありました。
こうやってつくってくれたお米をいただくのはうれしいです。I君のお米はホントにおいしいのです。これからが楽しみです。I君が私も少し関係していた東京の環境関係のNGOの専従スタッフを辞めて、新潟に移り、農業をはじめて15年か20年くらいになるでしょうか。こんなにおいしいお米を作るようになりました。
素晴らしい青年(?)です。(T)

2009年10月 9日 (金)

雑記(96)金木犀の香りがただよう朝

200910090715本土直撃の台風が過ぎ去った朝、散歩にでると、キンモクセイのいい香りが飛び込んできた。少し前から気がついていた香りではあるが、台風が過ぎた後のさわやかな空気の中ではいっそう華やいだ感じがする。木々や草花の葉はまだ色づいていないが、東京の街にも秋が確実に来た。さあ、本日もいろんな仕事を意欲的にしようと思う。(高田)

2009年9月26日 (土)

雑記(95)福島の野菜と家のプランターのゴーヤ

200909252126福島の友人から野菜が届いた。色鮮やかなニンジンと茄子。小振りですが、色といい、形といい、実は味も、存在感がしっかりしている野菜です。右下にあるのは瓢でしょうか。へたの所の緑色が何とも愛嬌があります。こんなかわいいおまけがいつも入っている。おなじみの自宅のプランター栽培のゴーヤを一緒に並べました。ゴーヤの左上にドングリがあるのが見えますか。出がけにパンと音がして足下に落ちてきたドングリです。拾って鞄にいれました。(高田)

2009年9月15日 (火)

雑記(96)路傍の曼珠沙華

200909150937この数日、駅への道ばたに曼珠沙華が咲いているのに気づいていた。毎年咲いてくれる花だ。今年もありがとう。本当はもっと紅いのだが、携帯で撮ったら赤紫になってしまったのが残念だ。(高田)

2009年9月11日 (金)

雑記(95)きのこ、その後

Photo_2昨晩、道ばたのきのこの前をとおったら、大きく育っていたので、デジカメでパチリ。政調が早いですね。これ何というキノコでしょうか。去年は大きく開いていたので、ヒラタケかと思いましたが、色が薄茶色なので、ヒラタケではないですね。(高田)

2009年9月 9日 (水)

雑記(94)また交番の前の大木にキノコが生えました

Kinoko

昨年の(雑記)39 近所のキノコに以下の文章を書きました。

閑話休題です。
駅 に出る道の途中に交番があり、その前に「トウカエデ」の大木があります。その木に生えていたキノコです。なかなか堂々たる生えぶりでした。鞄にいれていた デジカメで撮りました。数年前はたしか、同じ木に大きなサルノコシカケが生えていたのに、これに取って代わられていました。ヒラタケのようなのですが、よ くわかりません。昔、子どものころはキノコのことは詳しかったはずなのですが、最近は忘れてしまいました。
交番の前なので、誰もいたずらをせず、 干からびるまでそのままありました。胞子も充分落としたはずなので、来年もここに生えるのではないかと思います。近くの藪の間には紅テングダケやアミタケ も、マグソダケも生えることがあります。東京にももう秋が来ています。福田内閣は辞めますが(関係ないか……)高田

これは08年9月4日の記事です。この掲載した写真は本日の朝です。昨年より、一週間ほど遅れて、見事にまたキノコが生えました。この生命力はうれしいかぎりです。誰もいたずらしませんように。このところ、気になって、毎朝、トウカエデをチェックしていました。昨晩、この木の前を通ったら、薄明かりの中で確実にキノコが出ていたように見えました。交番の前の大木なので、不審者扱いされるのがいやで、通り過ぎて、今朝確認しました。携帯で撮った写真です。もっと大きくなるまで、残っていたら再度、掲載します。ナーニヤッテンダカ!(高田)

2009年9月 1日 (火)

雑記(93)事務所の窓から見える梨の実

0021笑われることだろうけれど、このところ、事務所に出てくると窓のカーテンを開けてこの梨の実を眺める。気になる(樹になる(^_^)/~)のだ。事務所まえの小さな道路を挟んで中央線の土手があり、そこに一本、梨の木が生えている。それに毎年、実が付くのだ。2~3メートルだから手を伸ばせば採れそうだが、届かないので、見ている。このところ、実が熟してきたのか、梨の実が黄色い色になってきた。この写真では小さくしか映らないのが残念だが、結構、大粒で、おいしいかも知れないなどと思っている。子どものころだったら、先がY字になっている木の枝を見つけてきて、手を伸ばしてねじりとったに違いないんだけど。こんな街のなかで、自然に育っているものを見ているとほっとする。(高田)

2009年8月18日 (火)

雑記(92)朝顔の花

Photo近所の小さな花壇に淡いブルーの朝顔が咲いていました。今日も暑い一日になりそうですが、日陰や朝晩は涼しく、早、秋の気配がします。
今日は第45回衆議院選挙の公示です。私の友人も何人も立候補しています。彼ら、彼女らの健闘に期待したいと思います。駅に向かう道ばたの掲示板には早くも幾人かの候補者のポスターが貼ってありました。30日の開票はどうなるでしょう。少しでもこの国の民主主義が前進しますように。この朝顔のようにさわやかな結果でありますように。(高田)

2009年8月16日 (日)

雑記(91)ひまわりの花と家のゴーヤー

Photo散歩の途中で見つけた小型のひまわりの花。きれいなので携帯で撮影した。



家のプランターで育てていたゴーヤーがなった。これ以上、つけておくと熟してしまうのではないかとの恐れから、今朝、収穫した。枯れ葉を並べて撮影。15~20cm大。今年は春先、虫が付いたのか、病気になって元気がなかった。なんとか、ここまで成長した。まだ、他にもなっている。(高田)
Photo_2

2009年8月13日 (木)

雑記(90)はまゆうの花

Photo朝の散歩の途中でハマユウの花がピンクの花をつけていた。
家の植木鉢のハマユウは今年は病気でいったん葉が枯れて、最近ようやく緑の葉を伸ばし始めたが、まだ花はつかない。昔、基地反対の三宅島を訪れたとき、道ばたでハマユウの種(何の種かしらないままに持ってきた。椿の実のようだった。)を拾って、鉢に植えた。もう10年以上前になるかもしれない。白い糸状の花をつけるのだが。
このハマユウは珍しいので撮影した。(高田)

2009年7月20日 (月)

雑記(89)夕焼けと月

200907191904まる1日の作業を終えて、少々疲れた帰路、駅を出たら、何人もの人が夕焼けの写真を撮っていたので、便乗して私も携帯でシャカッと撮った。今朝、ブログに載せようとして写真を見たら月が映っていた。皆さん、夕焼けの美しさを撮っていると思ったら、このお月さまもお目当てだったのですね。多少、手ぶれ気味で残念ですが!「土用の丑の日」の月!(高田)

2009年7月16日 (木)

雑記(88)グラジオラス

200907160720梅雨明けが宣言されて、2日目の朝、近所の花壇でグラジオラスが咲いていました。早速、携帯で撮りました。(高田)

2009年7月13日 (月)

雑記(87)くるま百合の花

200907130722朝、近所で見つけたくるま百合の花。沢山咲いて派手な感じだ。(高田)

2009年7月12日 (日)

雑記(86)ハイビスカス、ふたたび

200907110744雑記(81)で今年最後のハイビスカス、などと書いたのに、また新しい花芽がいくつも出てきて、とうとうきれいな花をつけた。すばらしい生命力だ。(高田)

2009年7月 7日 (火)

雑記(85)木槿の花

2009070707202009070707202近所の木槿(むくげ)がきれいに咲き誇っています。煉瓦の塀に囲まれて、道ばたに生け垣のようになって咲いています。塀によじ登って携帯で撮りました。この花は韓国の国花だと聞きました。美しい花です。(高田)

2009年7月 5日 (日)

雑記(84)届いた野菜

200907050813福島県の友人から野菜が届いた。箱にはいつもいろんな野菜が入っていて楽しみだ。今回はすごく長いキュウリが入っていた。右がボールペン、真ん中のが普通のきゅうり。左のがその長いキュウリだ。早速切って、食べてみたが、わりあい淡泊な味だった。(T)

2009年6月26日 (金)

雑記(83)またまた、あじさいの花

Photo(81)につづいてまた、あじさいの花です。額紫陽花です。額の部分が一重ではないのが気になりました。八重というほどではないのですが、私がいつも見るガクアジサイは一重だったように思うので、散歩の途中に携帯で撮りました。小さい写真ですが、写真の上でクリックすると少し大きくなります。是非ご覧下さい。芯の部分の紫が鮮やかでしょう?。
そういえば、今朝は公園の柵の中で真っ白な大輪のあじさいもみました。柵から入りにくいので撮れませんでしたが。きれいでした。(高田)

2009年6月12日 (金)

雑記(82)イエロー・ウィン?と蓮の花など

200906120726_2梅雨入りしたというのに、日が差している東京の街。今朝、家の近くの小さな花壇に咲いていた花で、イェロー・ウィンという百合科の花かも知れません。黄色の花が美しかったので携帯で撮りました。

0051
昨日の新聞に「小石川後楽園の蓮の花が見頃で、午前中しか咲かない」と書いてあったので、事務所からすぐなので早速立ち寄りました。新聞に書かれたせいか、見物の人が少し多いかなとおもいました。

0042残念ながら、私のデジカメでは性能が悪く、この程度しか撮れません。望遠がついていればいいのですが、まあ、仕方がないか。
0033
ここでも黄色の花がありました。アヤメです。黄色のアヤメははじめて見たような気がしました。(高田)

2009年6月11日 (木)

雑記(81)家のハイビスカスの花

200906110720家の植木鉢のハイビスカスが咲くのは今年はこれで最後だと思う。梅雨入り宣言が出てしとしとと雨が降っている朝、大輪の花をつけた。ありがとう。(高田)

2009年6月 8日 (月)

雑記(80)あじさいの花

2この季節は朝の駅路の路傍の花はあじさいだ。つい先ごろまで咲き誇っていたツツジは消えてしまったが、小雨降るなかに紫色の花があちこちで咲いている。(高田)

2009年5月28日 (木)

雑記(79)自宅のハイビスカスが咲きました

Photo今年も植木鉢のハイビスカスがピンク色した大輪の花をつけました。今朝、起きて覗いたらパアッと開いていました。何だかうれしくなりました。つぼみがあと2つあります。もっと出てくるかなと楽しみにしています。寒い冬には部屋の中に入れて大事にしてきた花です。携帯で撮影しました。この花をみると沖縄を思い出します。沖縄は早くも梅雨ですね。(高田)
Photo_2

2009年5月22日 (金)

雑記(78)クジャクサボテンの開花

0011ずっと待っていたのですが、植木鉢のクジャクサボテンが咲きました。大輪の赤とピンクの花びらが大変美しい花です。つぼみはあと2つ、ありますので、しばらく楽しめそうです。せっかく咲いても、今晩、帰宅した頃はしぼんでしまっているでしょう。世間は新インフルエンザの流行でてんやわんや、東京の街でもマスク姿の皆さんが急増中です。そんな人間界の騒ぎの中で、今年も堂々と大輪を咲かせたクジャクサボテンの姿がとてもいいです。昼咲く花は「クジャクサボテン」、夜咲く花は「月下美人」とインターネットで知りました。それにしても、私のデジカメの扱いは下手ですねえ。実物の美しさが出ていません。(高田)

0022

2009年5月13日 (水)

雑記(77)昼咲き月見草

200905140917


近くの公園のすみに咲いているヒルサキツキミソウ。淡いピンクの可憐な花です。周りにあるのはシロツメクサの花と葉。(高田)

0022

2009年5月 6日 (水)

雑記(76)シャリンバイのはな

200905060922駅までの道端の公園に咲いているシャリンバイ。車輪梅と書くそうです。おもえば、梅の名を付けたはなって、たくさんありますね。
連休最後の日の小雨降る朝、力強く咲いていました。携帯で撮ってパソコンに転送しました。縮小してありますが、花の写真をクリックすると少し拡大されます。(高田)

2009年4月30日 (木)

雑記(75)いま、さきほこる花々たち

0011002200440055



家を出てすぐの公園の花壇で咲いている花々です。最初の2枚は「あやめ」でしょうか。3枚目はテッセンににていますが何という花でしょう。最後は今を盛りと咲き誇るツツジです。写真に撮りきれないほどの花が沢山咲いて、見る人を楽しませてくれる季節です。
気温も本日は最高気温が22度とかで、さわやかです。豚インフルエンザ騒ぎも遠くに感じられてしまいます。
今年のお天気は、メーデーも、憲法記念日も大丈夫のようです。(高田)

2009年4月15日 (水)

雑記(74)春モミジ

200904140707_2散歩の途中で携帯で撮った春モミジ(これは正規の名称ではないかも知れない。春モミジとはカエデだけでなく、他の木々の新芽もいうのかもしれない。これはカエデの一種)。公園の新緑の中で1本、すっくと立ってマッカに色づいているのが素敵だった。このカエデは夏は緑になるはずだが秋はどうなるのだろうか。年に2度もマッカになるとしたらすごいことだ。(高田)

2009年4月 3日 (金)

雑記(73)青山墓地の桜

0011002200330044




 ここ数日の寒気が去って暖かくなったのにつられて、朝、近くの青山墓地の桜をみてきました。「この忙しいときに、な~にをやっているんだか」と叱られそうですが。桜はまだ5分咲き程度でした。
 昔、幕末明治民衆運動史研究会をやっていた頃、仲間と共に近くの相楽総三の墓所を訪ねてこの道を歩いたことを思い出して、懐かしくなりました。
 今日は金曜日、夜は東京の各地の公園は花見客でいっぱいになるでしょうね。皆さま、飲み過ぎないで下さいね。(^_^)/~(高田)

2009年3月29日 (日)

雑記(72)日曜なので、事務所にでるまえに新宿御苑にちょっと立ち寄りました

090329_0033ソメイヨシノは寒さで2分咲き程度でした。花見時は来週の土日くらいかなあ。
写真の上にカーソルを置いてクリックして下さい。すこし拡大します。


090329_0044でも、花をつけた桜を見つけて、その下でブルーシートを敷いて花見の宴をやっているたくましい若者達や、中国人の観光客集団もいました。桜のアップを1枚。


090329_0066これは山桜の一種でしょう。白い淡い花と、緑の葉がきれいでした。


090329_0077
見事に咲いている樹があったので。


090329_0088花だけでなく、緑の林もきれいですね。



090329_01111これは桜の古木に根を張った若い桜の根っこです。この上の方に宿り樹状態の桜の木がありました。古木もきれいでした。



090329_01313これでは2色にしか見えませんが、1本の株から3色の桜がさいていたのです。赤、白、ピンクです。人びとがみな、撮影で群がっていました。



090329_01515このバックは池です。さざ波が立っていてきれいでした。ああ、「さざなみ」、思い出してしまいました。自衛隊の護衛艦「さざなみ」がいま、ソマリア沖に向かって航海中でした。そういえば、この新宿御苑では自衛隊がPAC3の演習をやったことがあります。いま、北朝鮮のロケット対策で市ヶ谷に配備されているのでしょう。

ゲンカイツツジ(玄海?)という准絶滅危惧種のツツジだそうです。「あっ、あっ、い~けないんだ」、カメラを構えてツツジにすごく近寄っていたおばさんがいるので見ていたら、1枝をチョンと切ってカメラの前に刺していました。こうやってとった花が美しいはずがありませんね。090329_01616

2009年3月24日 (火)

雑記(72)2009年早めに咲いたしだれ桜3枚

001100320023今朝の出勤途上で撮ったしだれ桜です。ソメイヨシノよりも早めに咲くようです。明日は寒くなるようで、桜も少し縮こまるかもしれません。(高田)

2009年3月15日 (日)

雑記(71)宣伝の前にちょっと散歩して観た上野公園の早咲きの桜

001100223・20のWPNのチラシ配りを上野公園で仲間たちとやった。開始が午後1時なので、12時半頃公園に着いた。早咲きの桜があるかも知れないと思ったからだ。
暖かい日差しの中、公園は人混みになっていた。三味線を弾く人、紙人形を操って手品を見せている人、などなどが人だかりをつくっていた。西洋美術館ではルーブル美術展をやっていた。高校1年生の頃、中学時代の教師と一緒にルーブル美術展を観に、上野に来たことがある。絵は好きだったが、わざわざ郡山から片道7時間もかけて、見知らぬ上野までくる気になったのはなぜだったか、思い出せない。その教師の影響であるのは間違いないが。ルノワールやルオー、モネ、マチスなどがあったと思うし、ロダンの「カレーの市民」や「考える人」の彫塑に感動したようにも思う。あれから48年にもなる。また、観にいってみよう。
上野公園のソメイヨシノはつぼみが堅かったが、あちらこちらで2種類の寒桜(大寒桜?と緋寒桜)が咲いていた。(高田)

2009年3月 2日 (月)

雑記(70)春の路傍の花

20090302072720090302072723月の声を聞くと、吹き付ける風はまだ頬に痛いが、空気は暖かさを感じる。心なしか野の小鳥たちも動きが活発になっているようだ。スミレの花が咲いていた。株を作って固まって咲いている。鮮やかな紫色の小さな花だ。近くに何という名かは知らないが、紫の花が咲いていた。クロッカスのようにすらりと伸びた茎の先に大きな花を付けている。画像に映っている緑色の葉はこの花とは無関係だと思う。(高田)

2009年2月27日 (金)

雑記(69)東京も雪

今朝から東京も雪です。地面で溶けて積もらないのですが、降り続いています。
大きな牡丹雪が降ってきます。昔故郷で見た雪を思い出しています。
太宰の「津軽」がいう7つの雪には牡丹雪はありませんね。さしずめ「わた雪」でしょうか。太宰の津軽の雪は「みず雪」「わた雪」「つぶ雪」「こな雪」「ざらめ雪」「かた雪」「こおり雪」です。
街の人は雪が「雪がきれいだ」などと言いますが、東北に育った私は雪を懐かしくは思いますが、楽しい思い出はあまりありません。のんびりと窓の外の雪を見るという生活がなかったのです。それでも、朝早く、一面の雪の上に足跡を付けて歩いたり、鳥やウサギなどを追った思い出は懐かしいです。
かつて、雪の村で寒さをしのいでいたように、この東京の雪でも、仕事や生活で困っている人がどれだけいるでしょうか。雪だと言って喜んではいられない人々が沢山いると思います。そんなことを思ってしまいます。(高田)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

2009年2月 2日 (月)

雑記(68)梅の花

Photo_2新年に入ってから、寒いので朝の散歩をやめていた。これって本当の日和見主義(!)。久しぶりに再開したら、梅の花が元気に咲いていた。さまざまな木々のつぼみもふくらんでいる。もうすぐ春だ。私の散歩は日よることなく続けられるだろうか。あの某首相だって朝、歩いているというのだからね。今日は日差しもことのほか、明るかった。(^_^)/~

2009年1月 1日 (木)

雑記(67)水仙の花

Photo人間の社会は激動しているのに、水仙の花は年末、大晦日の路傍に今年も例年のように咲きました。美しい花です。東京地方はこれからいっそう寒くなります。咲いた花にとっては厳しい気候ですが。(高田)

2008年12月22日 (月)

雑記(66)朝日歌壇にみる加藤周一さんへの追悼の歌

本日(12月22日)の朝日歌壇に加藤さんを偲ぶ歌が3首採られていた。選者の一人、佐々木幸綱氏によれば「(加藤周一氏への挽歌が)今回数多く寄せられた」という。それらを見たいものだが。

●理と情のことの葉の意気とどめおかむさくら横ちょう師は過ぎゆくも(船橋市)相川茂信
●戦後なる知識の分散その中の求心的知性加藤周一逝く(天童市)鴨田希六
●「九条」を守りし旗手の小田実逝き意義を掲げし加藤周一も逝く(天童市)鴨田希六

第1首:佐々木氏によれば「さくら横ちょう」は加藤周一作詞・中田喜直作曲の歌曲という。私は不明にして知らなかった。この際、ぜひ聞いてみたいものだ。誰かメロディを教えてくれないだろうか。その歌詞たるや、まさに「情」。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sakurayokocho.html
追記:インターネットを見ていたら楽譜がありました。
http://www.bcamusic.com/bekku/score_1.html

加藤さんが亡くなってから、「日本文学史序説」を改めて読んでいるが、その「理」のすごさに感動している。併せ読んでいる「続羊の歌」には加藤さんの「情」がかいま見えて惹かれるものがある。
第2首:「知の巨人」とたたえられる加藤さん、先日観たETV特集の1968年の評価は鋭かった。同じような閉塞状況がいまある。「派遣労働者の叛乱」が始まっている。これに先立って加藤さんが呼びかけた「九条護憲」の市民の波も高揚した。民衆はたたかいを忘れない。加藤さんは分析し、解釈しただけではない、行動し、変えようとしたすぐれた知識人だ。
第3首:3月8日、集会で小田実の功績を分析し、説いた加藤さんが、こんなに早く亡くなるとは思わなかった。いま、大江、澤地、鶴見、井上、奥平などの各よびかけ人が加藤周一さんの「意義」をさまざまなメディアで精力的に説いている。
私も微力ながらその後について行く。(高田健)

2008年12月21日 (日)

雑記(64)寒い冬に花を付ける山茶花

Photo寒い冬に花をつけて道行く人をなごませる山茶花のはなはいいですね。(高田)

2008年12月18日 (木)

雑記(63)今朝は朝霧が立ちこめていました

Photo昨日が雨で、今朝から晴れの天気になりましたので、湿ったグラウンドの上に朝霧が立ちこめていました。このグラウンドは休日ともなると、草野球の選手たちの元気なかけ声が響きます。左上に朝陽を浴びてピンク色に見えるのが神宮球場のナイター施設のライトで、右上の国会議事堂のような建物が明治絵画館(私はこれが嫌いですが)です。携帯の撮影なのではっきりしませんが、うっすらと霧が横にたなびいています。深呼吸をすると空気が肺に気持ちの良い朝でした。間もなく、東京地方にも冬が来ます。今年はインフルエンザが蔓延していると言われています。お互い、気をつけて元気に活動しましょう。
数日前、市民連絡会のサイトにソマリア派兵特措法反対の文章を書きました。本日はイラクからの空自の撤収についてのWPNの声明を発信しました。お読み下さいますように。(高田)

2008年12月10日 (水)

雑記(62)ベンチを占領した落ち葉

Photo散歩の途中に、道ばたのベンチが落ち葉に占領されているのをみた。夕べからの雨の後でもあり、腰をかけるにしのびなかった。(高田)

2008年12月 5日 (金)

雑記(61)いちょうの落ち葉の朝の道

Photo毎朝、駅に向かう道ですが、少し強めの風にいちょうの葉が舞い踊っていました。通路に敷き詰められた黄色の葉が、とてもきれいでした。左側の石塀の上にも落ち葉が積もっています。右側の車道でも葉が舞っていました。ツツジの垣根の緑の葉のうえにも金色の葉がそっと乗っていました。踏みしめて歩いたら悪いような気がする朝でした。「何やってんの!」と叱られそうですが、しばらく眺めていました。(高田)

2008年12月 3日 (水)

雑記(61)12月21日(日)NHKETV放送 加藤周一 1968年を語る

現代日本のすぐれた知識人であり、「九条の会」の長老・加藤周一さんが何を語るのか、興味は尽きないですね。ぜひ観たいものです。(高田)

12月21日(日)NHKETV放送 加藤周一 1968年を語る
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/1221.html

写真:左から
・加藤周一さん
・1968年8月21日 プラハ事件 ソ連軍の戦車に抗議するプラハ市民
・プラハ事件を伝える地下放送(アナウンサー ルボミール・ポペルカ)
・安田講堂を占拠した東大全共闘(1968年11月 撮影::渡辺眸)

1968 年。それは、人類史上例を見ない形の激動が全世界を覆った年だった。チェコの民主化運動「プラハの春」で幕を開け、ベルリン暴動、パリ五月革命、シカゴ暴動、東大安田講堂の封鎖など、若者たちによる異議申し立てが世界中に広がった。そして40年後の今日、その精神を引き継ぐ動きと、“68年の精算”を掲げる声とが世界各地で再び激しく衝突し始めている。フランスでは移民を力で封じ込めたサルコジが「68年の悪しき伝統を葬り去る」と主張し大統領に当選。アメリカでは「60年代に崩壊した道徳と秩序の回復」を重要な政策に掲げたブッシュに代わり、「Change!」を訴えるオバマが初の黒人大統領に当選・・・。

評論家の加藤周一は、60年代後半、教鞭(べん)をとっていたカナダやアメリカの大学で、社会に不満を募らせていく若者たちを目の当たりにしていた。そして偶然ヨーロッパを旅していた1968年には、五月革命に揺れるパリでサルトルと議論を交わし、ベルリンでは政治家のナチとの関係を追求する学生たちと対話。休暇で訪れた東欧では、自由な空気に酔うチェコスロバキアの市民たちに接する。しかし、その直後、ソ連の戦車がチェコに侵入。その事実と救援を訴えるアナウンサーの姿を地下放送で見て衝撃を受けたという。

加藤は、20世紀が民主主義の時代とするなら、それが真に幕を開けたのが1968年であり、21世紀になってその終焉(えん)が始まった、という。“68年” とは何だったのか?なぜ、世界規模で人々は反抗したのか?世界が未曾有の恐慌におびえる今、あの年の問いかけが再び私たちの前につきつけられている。番組では、世界各地で起きた運動の当事者を取材。その証言に基づき、当時各地の現場を体験した加藤周一が、“68年”の意味を読み解いていく。

2008年11月30日 (日)

雑記(60)いま神宮外苑のいちょうは黄葉真っ盛りです

11_005511_004411_003311_005111_0022

Photo


Photo_2
日曜の神宮外苑は早朝から人出が多かった。いちょう並木が黄金色に彩られ、その下を歩く人々の顔もこころなし明るかった。近くのグラウンドには屋台が並んでいた。朝からビールもあった。呑むわけにはいかないので、お焼きを買った。野沢菜のお焼きで、「の」という文字が焼き込んであった。粉っぽい食感の中にほのかに甘い昔の味がした。もうすぐ冬が来る。写真集のおしまいにこの年頭に撮った雪景色を並べてみた。あとの2葉は近くの公園のモミジです。(高田)

2008年11月29日 (土)

雑記(59)新幹線の車窓から見た虹の写真2葉

PhotoPhoto_228日、関西の運動の先輩のSさんの病気お見舞いに行く途中、新幹線の窓から見えた虹である。岐阜羽島を過ぎたころだったであろうか。こんな大きな虹は久しぶりに見た気がする。走る列車の窓から携帯で撮れるかどうか、心配でしたが、結構きれいに映りました。私は唯物論者なので、普段は森羅万象の奇蹟など信じる質ではないのですが、この時ばかりは虹を見ていて、気も晴れて、何だかSさんの健康も良くなるような気がして、少しうれしくなりました。(高田)

2008年11月23日 (日)

雑記(58)神宮外苑のいちょう並木

001100330022_2日曜日の朝、事務所にでて来る途中で神宮外苑名所の銀杏並木に立ち寄った。すでに多くの見物客でにぎわっていた。まだ、ほんのりと黄色味を帯びた程度の銀杏だが、デジカメで写してきた。「いちょう祭り」というイベントが先週末から始まっている。(高田)

2008年11月22日 (土)

雑記(57)アメリカ花みずきの紅葉

Photoこの幾日かの寒さで、木々の葉がめっきり色つきはじめた。これは自宅の前の街路樹のアメリカハナミズキである。桜の葉は今年はどうしたことか、色が変わらないうちに多くが落葉した。桜の紅葉はきれいなのに残念だ。いよいよ、銀杏が黄色味を帯び始めた。ことしも間もなく銀杏の季節だ。昔、覚えたのでうろ覚えだが、「金色の小さき鳥の形して銀杏散るなり夕陽の丘に」という歌が思い出された。晶子だったであろうか。(高田)

2008年11月 6日 (木)

雑記(56)近所の菊の花

PhotoPhoto_3Photo_4アメリカの大統領選挙で、民主党のバラク・オバマが当選したというニュースのラッシュを見た後、家を出た。ひんやりと冷たい空気が漂う中で、近所の公園の側の歌壇は菊の花が満開だった。白、紫、黄色、さまざまに咲き乱れていた。大輪の菊も美しいが、こうした小さい花を沢山つける菊も美しいものだ。
なぜか、子どものころ、父親がたき火に菊の枯れた枝をくべていたときの香りが思い出された。北国で冬を迎える一種の儀式のようなものだったような気がする。
すでに、東京の街も秋が真っ盛り。まもなく神宮外苑の銀杏並木の銀杏が色づくことだろう。その時はまたブログでお見せしたい。(高田健)

2008年10月31日 (金)

雑記(55)近所の公園の林

Photo今朝は思い立って、考え事をしながら、少し遠回りをして、近くの公園を歩いて駅に出ました。ここは大きな樹木がたくさんあって気持ちの良いところです。早朝だと門扉が閉まっているのが難点ですが、なぜか幸いなことに今朝は早めに開いていまして、職員の方々が作業をしていました。所々にベンチがあります。こんなところでひなが、本でも読んでいられたら贅沢だろうなあと思いながら通り過ぎました。まだ、この林は紅葉しておりません。といっても常緑樹がとても多いのですが。木々のすがすがしい香りをお裾分けします。(高田)

2008年10月23日 (木)

雑記(54)ハナミズキの赤い実

PhotoPhoto_2近所の街路樹になっているハナミズキが赤い実をつけている。葉っぱもこれからどんどん赤くなる。
左の写真は近寄って携帯で撮ったもの。右は遠景。たしか、この木は「港区の木」で、大正期に米国のワシントンに寄贈した桜の木の返礼でもらったというような説明がどこかにあったように思う。その原木がいま、日比谷公園にあるとか。これはおぼろげな記憶で、全く正確さを欠いているかも知れない。(高田)

2008年10月19日 (日)

雑記(53)小さな柘榴の実と桜の葉

PhotoPhoto_2朝の散歩の途中で姫リンゴのような小さな実の柘榴(ざくろ)がなっているのをを見つけた。子どものころかじった種の詰まった実のあの酸っぱい味を思い出した。東京も季節はもう秋真っ盛りです。色づいた桜の葉を一枚拾ってきて、机の上に置いて写真を撮りました。フラッシュの光で机が白くなりましたが。(高田)

2008年10月11日 (土)

雑記(52)木々が赤くなり始めた秋

PhotoPhoto_2小雨がちらつく朝の散歩の途中で見つけた秋。左は紅葉しはじめたイヌウルシ、右は赤い実をつけたトキワサンザシ。もう北国の山は紅葉が真っ盛りとか。出かける前、今朝のテレビで見た那須連山の沼原の紅葉がきれいだった。遠くに有名な噴煙も映っていた。(高田)

2008年10月 5日 (日)

雑記(51)かりん、撮影リベンジ

003004001左2枚がかりんの実です。今度はよく映っています。青空と緑色のかりんの実がいいコントラストです。真ん中の絵は葉っぱと実の区別が難しいですね。右端は銀杏の樹の部分から直接実ったギンナンなのですが……。「なにやってんだか」といわれそうですが。(高田)

2008年10月 4日 (土)

雑記(50)カリンの実

Photo今日は土曜日。東京は少し肌寒い、気持ちのいい朝です。久しぶりに1日2回、午前と夜のダブルヘッダーでの講演があります。
駅に向かう途中の路傍にカリンが沢山、実をつけていたので携帯でパチリ。でも、この写真ではなんだかわかりませんね。右上の方に2つ、丸い小さな月のようなカリンがなっているのですが。今度はもう少しうまく撮りたいと思います。
この道は、夜、風の強かった朝は、路上にカリンがごろごろ落ちています。そのままかじることができないから、ひろう人もいません。カリンの蜂蜜漬けは信州などでおみやげに売っていたように思います。いつも、季節を感じながらの出勤です。(高田)

2008年10月 3日 (金)

雑記(49)ギンモクセイ・キンモクセイ

0001_3Photo_2あのなんとも言えないいい香りがする花の季節になりました。駅までの道の途中に咲いているギンモクセイとキンモクセイです。おかげで気持ちのいい朝になりました。
左がギンモクセイなのですが、少し小高いところに咲いていて、携帯でも、私の小さなデジカメでもうまく撮れませんでした。キンモクセイは近寄って大きく撮りましたが、まだ咲き始めなので豪華さがありません。これを見ながら、あのいい香りを思い出していただければいいなと思いました。(高田)

2008年9月30日 (火)

雑記(48)続、沢田研二の我が窮状

まえにこのブログで紹介したとき、歌が聴けませんでした。このユーチューブから聴くことができます。知り合いに紹介したら、すぐ聴いてくれました。いわく「いいですね、ちょっとメタボだけどね」といって。他人事ではないですが。ぜひ聴いて下さい。この歌については、私のまえのブログもみてくれるとありがたいです。(高田)
http://jp.youtube.com/watch?v=qla97qdg7G0

2008年9月28日 (日)

雑記(47)散歩の途中に

PhotoPhoto_2今朝の新聞で中山国交相の辞任必至という「ニュースを見た後、散歩に出ました。空気がひんやりと冷たく、気持ちのいい朝です。路傍の「ほおづき」が赤くなっていました。青い実と並んでいました。子どものころ、この赤い皮をむいて、その中の黄色い実をほおばっていたことを思い出します。少し甘くて、ほろ苦い味でした。種混じりの果汁を吸い出した後、透明な袋を口の中でころがしてキュッキュッと鳴らして遊びました。私はすぐ袋を破いてしまい、うまく音が出ませんでしたが……。白い小さな花が咲いていました。何という名前か、聞いたことがある気がするのですが、忘れました(タマスダレという花だそうです。南米原産)。春にきれいな花を咲かせてくれた「アメリカ花みずき」が葉を少し赤くさせながら、真っ赤な「ずみ」のような実をつけていました。季節はもう、秋なのですが、花々は懸命に咲き、実をつけています。(高田)

2008年9月22日 (月)

雑記(46)歌壇・俳壇に見る伊藤和也さん

9月22日の朝日新聞の歌壇、俳壇には、過日、アフガンで武装グループに殺害されたペシャワール会の伊藤和也さんの死を悼む歌や句がいくつか載った。伊藤さんの仕事は多くの人々の胸をうったのだ。紹介したい。

なお、この日の歌壇には「九条守る歌人会が『憲法を詠う』発行」という記事もある。

 きみの手になりて美しアフガンの菜の花畑ほほ笑む少女(渡辺●)

 見えるもの見えないものも忘れまじ君残したる震える思ひ(柏原市)芦田恵美子

 ダラエ・ヌールに菜の花の咲く季節ごと思い出すらむ教えし人を(町田市)富山俊郎

 アフガンに芋蔓あおくのびゆくを空より見んや伊藤和也さん(鳥取県)中村麗子

 青年は荒れ地に種子(たね)を播きて果つアフガンの地よ光よ風よ(三島市)淺野和子

 

○アフガンに心高しや流れ星(青森市)山口彰


ペシャワール会のサイトには以下のような福元事務局長の伊藤さんへの追悼の言葉があります。

http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/tsuitou.html

 8月26日午後、アフガニスタンのダラエヌールで、農業支援に従事していた伊藤和也さんを、武装グループの凶弾によって失ってしまった。痛恨の極みと言おうと断腸の思いと言おうと、その悔しさは言葉にはなり得ない。享年31歳、あまりにも若すぎる非業の死である。

  彼は2003年6月、事務局を訪れ、その年の12月からアフガンで活動を始めることになった。面接の時はまだひ弱さの残るシャイな感じだったが、2004 年の春に会った時には、用水路工事護岸の植樹担当で、日に焼けて逞しくなっていた。静岡県の農業高校から農業専攻の短大を卒業した彼は、もともと農業志望 で、お母さんの話によると、小学2年の時「将来は食べ物を作る仕事をやりたい」と、作文に書いていたという。

 その彼がダラエヌールの農業支援に活動の場を移してからは水を得た魚で、相変わらず口数は少なかったが、肩の力が抜けて生き生きと仕事をしていた。

 今年の3月に会ったときには、農家の子どもたちにまとわりつかれ、なんだか土地に根を生やしつつあるのを感じた。冗談で「お前さん、嫁さんでももらうんじゃないか」と聞くと、「母親もそういうんですよ」とはにかんだ。

  私達は、未だに彼の死を受け入れられない。ご両親や妹さん弟さんにとっては、尚更のことである。今回の事件の背景については、さまざまな憶測が流れ定まらない。ただ、ペシャワール会の医と水と農に関わる長年の事業が現地に受け入れられ、伊藤君の日々の営みが村人に慕われていただけに、それを理解し得ない 「外部」の者の犯行や言動に、はらわたの煮えくり返る思いと情けなさを覚える。

 今は、伊藤和也君の魂が安らかであれと、祈ることしかできないのが無念である。

 伊藤君、私達は君の遺志を継ぎ、困難の中でも活動を続けて行きます。君の魂が、アフガンの大地と空を自在に飛翔し、アフガンの人々とその人々のための事業を見守ってくれるようお願いします。

                             (ペシャワール会事務局長 福元満治)

2008年9月21日 (日)

雑記(45)曼珠沙華

Photo_2Photo_3Photo_4近所の路傍に咲いている曼珠沙華です。
白い花、水引草と強制している花、群れをなして咲いている花、きれいです。
細いアスパラガスのような芽が出てきたと思ったら、一週間もしないで花が咲きました。すごく成長が早い花です。(高田)

2008年9月18日 (木)

雑記(44)大三筋笄ビル

Photo本日は憲法とは全く無関係なお話で、通勤途上の道路端に、雨が降ると出てくる奇妙なムシのお話です。大三筋笄ビル(オオミスジコウガイヒル)というのだそうです。これは一昨日撮ったのですが、写真のできがよくありません。グニャグニャ曲がっているところや、とぐろを巻いているところが撮れれば雰囲気がわかるのですが。金色をしていて、縦に3本、黒い筋が通っています。私が見たので大きいのは体長50センチもあります。これは30センチくらいでした。ナメクジのような歩行(?)をします。頭の形が女性のかんざし、笄(こうがい)に似ているからついた名前のようです。ヒルではなくて、プラナリアの仲間だといいます。間違って踏んでしまい、切断しても、また再生するといいます。都心には結構生息しているようです。私の周辺でも増えていて、今年は道の反対側の歩道でも発見しました。森の側の石垣の間などに生息しています。大きな土ミミズを頭から呑んでいるところも見たことがありますから、肉食です。うっかりすると人の足などに張り付いてきます。実は私は一番最初は、6年ほど前のある夜、家に帰ったら畳の上にこれがいたのです。その時は「ギャー」でしたよ。私の足にくっついてきて、畳に落ちたのだと思います。ズボンにくっついていた跡が白っぽくありましたから。それいらい、妙にこのヒルが気になるようになりました。怖いモノ見たさというのでしょうか、決して気持ちのいいものではありません。でも雨の日、これがいないと寂しい気が少しします。KGB(こうがいびる)というファンクラブがあるのもわかる気がします。私はこのファンクラブには入りませんが。
ある朝、私の前を歩いている人のブーツに張り付いているのを見たこともありますが、、その人、電車に乗って同じ水道橋駅まで、脚につけていました。女性だったので、声をかけられないでしまいました。それいらい、このヒルは動物に張り付くために、「跳ぶ」のではないかと密かに思っています。南方のジャングルには跳ぶヒルもいるというではありませんか。学説ではそうした習性は確認されていないようですが。東京の街で、夜、コウガイビルが跳ぶのは、なんともすごい光景だと思いませんか。トンデ、トンデ、あの有名作家の知事さんにでも張り付いてくれないでしょうかねえ。(高田)

2008年9月15日 (月)

雑記(43)ドングリとぎんなん、ねこじゃらし

Photo_2Photo_3Photo_4昨夜は都心は相当の雨だったらしく、道ばたに雨にたたき落とされた銀杏やドングリの実が落ちていました。このドングリは細長い実です。ぎんなんはまだ青い実でしたが。これからあの独特のにおいに悩まされるんですね。ついでに道ばたのネコジャラシも撮りました。これ、ホントに猫と遊ぶと面白いんですよね。(高田)

2008年9月14日 (日)

雑記(42)九条の会学習会

0029月13日に開かれた九条の会事務局主催学習会。名古屋高裁判決と派兵恒久法。会場の星陵会館いっぱいの450人が参加し、小林武、半田滋、渡辺治、各講師のお話を熱心に聞いた。質問要旨が沢山寄せられて、司会の私が選択し取り上げるのに苦労した。(高田)

2008年9月12日 (金)

雑記(41)コスモスの花

KosumosuPhoto朝の散歩で見たコスモスがきれいでした。携帯で撮って、ブログに掲載する作業もやっと覚えました。まだ残暑が厳しいですが、皆さま、お大事にご活躍下さい。政治の季節がやってきます。(高田健)

2008年9月 7日 (日)

雑記(40)電気料金値上げ反対デモ

Photo9月6日、桃色ゲリラの増山麗奈さんたちの呼びかけた「電気料金値上げ反対デモ」に参加した。50人ほどの色とりどりの人々が銀座の水谷橋公園に集まって、数寄屋橋から東電本社前、日比谷公園までデモをした。オープンカーの先導車という面白いもので、皆手作りの風車を持ったりした。警備の警官や私服も一様に面食らっていたのが面白かった。
この社会では「値上げ反対デモ」のようなものがもっと沢山あってもいいのだ、と思った。みんなが自分たちの意思表示をデモでやるということはいいことだ。私はなぜか、増山・シバ氏の娘の乗ったバギーをおして行進する羽目になった。(高田)

2008年9月 4日 (木)

(雑記)39 近所のキノコ

001閑話休題です。
駅に出る道の途中に交番があり、その前に「トウカエデ」の大木があります。その木に生えていたキノコです。なかなか堂々たる生えぶりでした。鞄にいれていたデジカメで撮りました。数年前はたしか、同じ木に大きなサルノコシカケが生えていたのに、これに取って代わられていました。ヒラタケのようなのですが、よくわかりません。昔、子どものころはキノコのことは詳しかったはずなのですが、最近は忘れてしまいました。
交番の前なので、誰もいたずらをせず、干からびるまでそのままありました。胞子も充分落としたはずなので、来年もここに生えるのではないかと思います。近くの藪の間には紅テングダケやアミタケも、マグソダケも生えることがあります。東京にももう秋が来ています。福田内閣は辞めますが(関係ないか……)高田

2008年8月28日 (木)

雑記(38)伊藤和也さんの死に際して思う

アフガニスタンで民衆への援助活動をしてきたNGOペシャワール会の現地スタッフ、伊藤和也さんが、8月27日、現地武装組織に拉致された上、殺害され(真相は不明であるが)、遺体で発見された。アフガン民衆のために働こうと海を渡った、志の高い、優れた農業技術を持つ若者に対するこの理不尽な殺害に心からの怒りと深い悲しみを覚える。

アフガニスタンにおける米国の反テロ報復戦争の泥沼化という事態の中で、伊藤さんらのペシャワール会をはじめとするいくつものNGO組織は、志をもって現地民衆の中に入り、アフガンの民衆と共に民生の復興のために献身的な活動をしてきた。伊藤さんの死はその活動の途上での死であり、無念きわまりない。

このブログでも書いたことであるが、ペシャワール会の中村哲さんが先ごろ、その「会報」で日本政府に警告を発していたことが思い出される。

「6月になって『日本軍(Japanese Troop)派遣検討』の報が伝えられるや、身辺に危険を感じるようになった。あまりに現状を知らない軽率な政治的判断だったといわざるをえない。日本が兵力を派遣すれば、わがPMS(ペシャワール会医療サービス)は邦人ワーカーの生命を守るために、活動を一時停止する」(ペシャワール会報No.96)と。これは現地NGOの悲痛な叫びでもあった。

米国ブッシュ政権が反テロ報復戦争の名の下にアフガンで戦争を始めて7年、戦争はアフガン民衆に数え切れない死傷者を出し続けてなお、戦乱はおさまるどころか泥沼状態にある。武力で平和はつくれないことは明らかである。日本政府は米軍など多国籍軍を海上給油で支援し、戦争に加担してきた。米国など多国籍軍を派兵して戦争をつづけてきた各国政府と日本政府の責任は重大である。ところが今、米国は陸自、空自も含めていっそうの加担強化を要求し、日本政府はこの臨時国会で派兵給油新法の延長を決めようとしている。

伊藤さんの殺害はそうした中で起きた。政府与党の中からは給油新法による戦争加担を継続する口実に利用しようという動きがある。民主党の前原副代表などは「自衛隊の武力を背景とした支援活動強化」などという主張をしている。私は伊藤さんの死をこのように利用する動きを許すことはできない。伊藤さんの死は、伊藤さんが目指したアフガンの平和とアフガン民衆への支援という志を受け継ぐことで報われなくてはならない。すでにペシャワール会は中村医師を除く邦人ワーカーの帰国と現地スタッフによる活動の継続を明らかにしている。JVCなど他のNGOの人々も活動の継続を表明している。

私たちはアフガンの民衆の復興とアフガンの平和を目指して活動を続けるこれらNGOの人々に連帯し、私たちの出来る活動で協力しながら、この秋の臨時国会で、きっぱりと「派兵給油新法」の延長を阻止し、それを廃止させるためたたかう決意を固めたい。(高田)

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080828k0000m040153000c.html

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-28/2008082802_02_0.html

2008年8月 1日 (金)

雑記(37)暑中お見舞い申し上げます

080暑中お見舞い申し上げます。
暑いですので、涼しい写真を一枚。白い花はハヤチネウスユキソウで、早池峰山だけに咲くエーデルワイスの仲間。
紫のはミヤマオダマキのつぼみ。少し黄色い黄緑の花はイワベンケイです。(高田)

2008年7月20日 (日)

雑記(36)『蟹工船』が着く港

本日の東京新聞の社説である。
商業新聞の社説にこのような文章が載るほどにこの社会の危機は進んでいる。「蟹工船」はベストセラーで「まんがで読破 蟹工船」などという文庫版が出ているほどだ。このまんがもなかなか良くできている。多くの人が共感しているのだ。
昨日は市民連絡会が主催した憲法市民講座「憲法と介護保険制度の現状」だった。私たちの予想を超える多くの人々が参加した。特に介護の現場に関わる人々が10名近く参加したことは、これらの人々がいかに苦しんでいるかの照明だ。知り合いが、最近、貧しさに疲れ果て、母親を殺したという人も参加していた。「介護地獄」「新介護地獄」と言われるほどに介護保険制度は破綻している。介護を受ける人も、介護労働者も、新自由主義改革と官僚行政のもとで、たいへん苦しんでいる。介護の現場は、憲法25条の「健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利」などはどこへやらである。怒りが湧いてくる。
ワーキングプアの問題にしても、介護の問題にしても、この社会は基礎から崩壊しつつある。
たしかに社説が言うように対抗社会としてのソ連、中国モデルは破綻した。しかし、これが古くは安藤昌益の昔から、蟹工船を書いた小林多喜二たちの求めた対抗社会モデルの共産主義、社会主義とすべてイコールであろうか。この現場の苦しみを考えるなら、ソ連、中国モデルの失敗を乗り越えて、対抗社会の構想を憲法3原則の実現を基礎に「もう一度やろう」ということがあり得るのではないかと思うのだがどうだろう。(高田)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008072002000122.html
【社説】
週のはじめに考える 『蟹工船』が着く港

2008年7月20日

 「貧困」という言葉が二十一世紀のいまになって、頻繁に目につくようになりました。政治は国民の生活を守る責務がある。あらためて思い起こすべきときです。

 「あれから八十年近く。いまさらどうしたことか」

 小説「蟹(かに)工船」が再びブームと聞いて、作者の小林多喜二は草葉の陰で驚いているでしょう。

 不安定な雇用関係、屈辱的な取り扱い、働いても食えない若者らが、昭和初期に発表されたプロレタリア文学の傑作をわが事と受けとっているようです。

 厳冬のオホーツク海。カニを捕り缶詰に加工する船での出稼ぎ労働者の過酷な日々。我慢も限界を超えストライキを断行するが…。
「安全網」にも穴が

 派遣労働者、パート、アルバイトなど、昨年の非正規雇用者は全雇用者の35・5%と過去最高、生活保護世帯はこの十年で五割増え百万の大台に乗りました。

 大きな原因は、「小泉改革」で急速に進んだ規制緩和です。

 一九九〇年代のバブル崩壊後、企業は業績回復のために人件費削減に重点を置きます。これに呼応した政府は法律を改定し、結果として低賃金、いつでもクビを切れる派遣労働を可能にしました。

 やがて、所得格差拡大という副作用を引き起こし、いま若者を含む「貧困」層の増加となって立ち現れています。

 同時に「小さな政府」志向は、雇用、社会保険、公的扶助の三層のセーフティーネット(安全網)に大きな穴をあけました。生活保護を拒否されて餓死などのニュースには言葉を失います。

 「自己責任」ではなく、政治・経済の仕組みの犠牲でしょう。

 なぜこんなことに。九一年の東西冷戦終結が大きな転機です。
市場原理主義が暴走

 それ以前、資本主義の国々は共産主義の台頭を恐れ、労働者保護や社会福祉、男女平等などの分野に力を入れました。

 日本では、この“修正資本主義”が八〇年代に「一億総中流」を実現し、経済の安定、社会の安定をもたらしたのです。

 ところが冷戦の終結で、資本主義は独り勝ちと勘違いして野放図に。市場の役割を重視する米国流の「市場原理主義」、いわゆるグローバル化の登場です。

 経済活動のすべてを資本の論理に任せれば、弱肉強食の世界になるのは必然です。この結果、貧富の格差拡大は地球のあらゆるところへ広がっています。

 「そして、彼等は、立ち上がった。-もう一度!」

 「蟹工船」の結びには奇妙な明るさが感じられます。

 労働者は再び団結して、抑圧者をやっつけて、労働者の天下をつくり上げる…。作者は自らが志向した共産主義を念頭に置いていたに違いありません。

 しかし、共産主義国家は独裁政治や経済の非能率でほぼ自滅しました。いまや万国の労働者の理想郷にはなり得ません。

 となれば、資本主義の暴走を食い止め、国民生活を破壊し、貧困に陥れないよう抑制の利いたものにする必要があります。先のサミットに期待された課題です。

 市場原理主義を象徴するのが投機マネー。実際の需要を超えて出回り原油や食料の高騰を招いて、貧しい国々や人々を痛打しています。監視の仕組みなど国際的な処方せんが必要ですが、まとめることができませんでした。

 そうではあっても、政府は国内での対策に手をこまぬいているわけにはいきません。

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法二五条)

 国家は国民のこの権利を保障する責務を負っています。

 企業の競争力を最優先にして、最低限の生活ができない人たちを放置する政治は本末転倒です。

 「人間疎外」の仕組みは、国全体の力を衰弱させるはずです。

 政府・与党はようやく日雇い派遣の原則禁止に着手しました。「生活者重視」「生活第一」…。各政党とも似たようなスローガンを掲げています。
「貧困」直視し対策を

 問題は政策の中身と実行です。格差是正という抽象的な課題でなく、安全網の再構築、安定した労働環境など具体策が必要です。

 特に重視すべきは貧困対策です。現状を把握し真正面から向き合う必要があります。貧困層の生活保障なくして、職業訓練も再雇用の機会も確保できません。

 かつて、この国は大銀行などの不良債権処理に、公的資金を十兆円超つぎ込みました。再び景気後退は必至。いまは国民生活を守る政策に力を入れるときです。

 平成版「蟹工船」が安心して着岸できる港を築くこと。政治の喫緊の仕事です。

2008年5月 2日 (金)

雑記36「蟹工船」再脚光…格差嘆き若者共感、増刷で売り上げ5倍

本日の読売新聞夕刊の一面トップの記事である。記事は蟹工船の初版本のカラー写真入りである。記事にはサイトにはないが、「あらすじ」が付いている。それはこうだ。
オホーツク海で操業し、暴利をむさぼる蟹工船の内部で、国策の名のもと、リンチなど過酷な労働を強いられた労働者たちが、団結して闘争に立ち上がる。一度は、駆逐艦から乗り込んできた水兵に代表たちが拉致されるが、労働者たちは再び闘いに立ち上がっていく。
かつて読んだ記憶が蘇ってきた。現代に復活した古典の威力である。小林多喜二よ、もって瞑すべし。「九条の会」は7月12日、宮崎市で憲法セミナーを開く。タイトルは「人間らしく生きる~憲法9条と25条」で、講師は暉峻淑子さん、湯浅誠さん、大江健三郎さんだ。乞う、ご期待。(高田)

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080502-OYT1T00457.htm
「蟹工船」再脚光…格差嘆き若者共感、増刷で売り上げ5倍

 プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903~1933)の「蟹工船(かにこうせん)・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。

 過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれている。

 「蟹工船」は世界大恐慌のきっかけとなったニューヨーク株式市場の大暴落「暗黒の木曜日」が起きた1929年(昭和4年)に発表された小説。オホーツク海でカニをとり、缶詰に加工する船を舞台に、非人間的な労働を強いられる人々の暗たんたる生活と闘争をリアルに描いている。

 文庫は1953年に初版が刊行され、今年に入って110万部を突破。丸善丸の内本店など大手書店では「現代の『ワーキングプア』にも重なる過酷な労働環境を描いた名作が平成の『格差社会』に大復活!!」などと書かれた店頭広告を立て、平積みしている。

 多喜二没後75年の今年は、多喜二の母校・小樽商科大学などが主催した「蟹工船」読書エッセーコンテストが開催された。準大賞を受賞した派遣社員の狗又(いぬまた)ユミカさん(34)は、「『蟹工船』で登場する労働者たちは、(中略)私の兄弟たちがここにいるではないかと錯覚するほどに親しみ深い」と、自らの立場を重ね合わせる。特別奨励賞を受けた竹中聡宏(としひろ)さん(20)は「現代の日本では、蟹工船の労働者が死んでいった数以上の人々が(中略)生活難に追い込まれている」「『蟹工船』を読め。それは、現代だ」と書いている。

 また一昨年、漫画版「蟹工船」が出版され、文芸誌「すばる」が昨年7月号で特集「プロレタリア文学の逆襲」を組むなど、再評価の機運が盛り上がっている。

 新潮社によると、購読層は10代後半から40代後半までの働き盛りの年代が8割近く。同文庫編集部は「一時期は“消えていた”作品なのに」と驚きつつ、「ここまで売れるのは、今の若い人たちに新しいものとして受け入れられているのでは」と話している。
(2008年5月2日15時13分  読売新聞)

2008年4月12日 (土)

雑記(34)憲法おじさん、署名1万筆達成

北海道新聞コラム「卓上四季」九条署名1万筆
簑輪さんに7日にお電話を頂いた。土曜日(5日)で1万筆を超えたと。数日前、体調が優れないというお話を聞いて、無理しないでくださいとお願いしたばかりだった。北海道新聞が書いてくれた。「幸せをいまそっとかみしめている」という結語が優しくていい。(高田)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/
続・憲法おじさん(4月12日)

東京・小金井市の武蔵野公園で憲法九条を守る署名を呼びかけている簑輪喜作さん(78)。二月下旬のこの欄で紹介した。こつこつ集めた署名が最近一万人を超えた▼二〇〇五年十二月から始めて二年四カ月。予想以上の反応と、多くの出会いに励まされた。「署名終えわれに手を振る女子学生君らのあれば明日も続けん」。簑輪さんが昨年春に自費出版した歌集にそんな一首がある▼「戦争をしない、戦争に反対している九条を守ってほしいという署名なんです」。だれにでもそう話しかける。柔らかく丁寧に。意見が違っても決して無理強いはしない。次に会った時にまた話を聞いてもらいたいと思うからだ▼声をかけた人の六割は賛同してくれる。北朝鮮の核疑惑を理由にためらう人が二割。個人情報なのでと断る人が一割。署名板をひったくられたこともあった。脅されたこともあったが、九条絶対反対は一割ぐらいというのが実感だ▼出会いは公園にとどまらない。「(太平洋戦争の)フィリピン戦線で生き残った父の遺言が九条を守れでした」。新聞で見たと言ってそんな手紙をくれた年配の女性がいる。「私も署名を始めました」という便りもあった。たった一人の行動がじわじわと共感の輪を広げている▼「念願の一万筆を果たし来て夜の炬燵(こたつ)に足のばしおり」。そう心境をうたった簑輪さん。幸せをいまそっとかみしめている。

2008年3月30日 (日)

雑記(33)チベット問題への原則的立場について

チベットの独立と自由を求める僧侶らの運動に対して、中国政府が武力制圧しようとして死者まで出ている事件を耳にして、私が15年前に「れんたい」という小雑誌に当時書いていた「中国の社会主義」という連載論文を思い起こした。1993年6月1日号から抜萃する。

反帝反封建の革命を成し遂げた1949年の新中国の成立は、アジアだけでなく世界史的にも大きな意義があった。当時の中国の革命家たちは反帝反封建の理想に燃え、大きく時代を切り開いた。少数民族に対する政策のうえでも優れた見地と路線があった。しかし、新中国を建設するや、内外のさまざまな影響からこの路線の変質が始まった。中国共産党指導部自身が当時言っていたことを変えてしまったのであった。今日のチベット問題などはこの路線を踏み外した中国指導部の覇権主義的な民族政策に由来するものである。

当時、私は1945年4月の中共第7回大会で毛沢東が「連合政府について」という政治報告を行ったことに注目し、重要と思われる点をいくつか引用した。いまでもチベット問題を考える上で重要と思われるので、少々長いが引用する。

「民主主義を経なければ、社会主義に達することはできない。これはマルクス主義の不変の真理である。そして中国では、民主主義のための奮闘はやはり長期にわたるものである。連合し、統一した、民主主義の国家がなく、新民主主義の国家経済の発展がなく、私的資本主義経済と協同組合経済の発展がなく、民族的、科学的、大衆的な文化、すなわち新民主主義の文化がなく、何億という人民の個性の解放と個性の発展がなければ、一口に言って、共産党の指導する新しい型のブルジョア的性質をもつ徹底した民主主義がなければ、植民地、半植民地、半封建の廃墟のうえには社会主義を建設しようとしても、それはまったくの空想に過ぎない」

「1924年、孫中山先生は『中国国民党第1回全国代表大会宣言』の中で次のように述べている。『国民党の民族主義にはふたつの面がある。1つは中国民族が自ら解放を求めるということである。もうひとつは中国国内の各民族が一律に平等であるということである』『国民党は、中国国内の各民族の自決権を認め、帝国主義反対および軍閥反対の革命に於いて勝利を得たのちには、かならず自由、統一の(各民族の自由に連合した)中華民国を組織することをあえて厳粛に宣言する』、中国共産党は上述の孫先生の民族政策に完全に同意する。共産党員は、各少数民族の広範な人民大衆が、この政策を実現するために奮闘するのを積極的に援助しなければならない。また大衆とのつながりを持つすべての指導的人物を含めて、各少数民族の広範な人民大衆が、政治、経済、文化の面で解放と発展を勝ち取り、大衆の利益を守る少数民族自身の軍隊を結成するのを援助しなければならない。かれらの言語、文字、風俗、習慣、宗教信仰は尊重しなくてはならない」

当時、これを引用した上で、ソヴェト連邦の民族政策でのレーニンとスターリンの路線の対立、相違に言及し、スターリンがロシア革命で成立した諸民族人民の自由な連合としてのソヴエト同盟を「民族の自治」は認めても、民族自決・分離の自由の承認を実質的に否定したことを指摘した。そして「連合政府論」の「個性の解放」という記述とあわせて、「各民族の自由連合」と「各民族独自の軍隊の結成」という方針に注目した。これはスターリンの誤りを乗り越える一種の連邦制の主張であるとした。ソ連の民族政策が変質していたこの時期に連合政府論が出された意味を重視した。

そしてその後の中国指導部が毛沢東も含めて、この立場を次第に放棄した経過を分析してこう述べた。「新中国の指導部は民族問題を比較的うまく処理してきたといわれている。にもかかわらず、現在でも中国ではチベット問題に象徴されるような深刻な未解決の民族問題が存在するのも事実である。また大漢民族主義への反発も根強い。『うまく処理したこと』は解決ではなかったのである。それは新中国が「連合政府論」にあったような民族自決の原則的承認と連邦制などの路線を放棄し、アメリカ帝国主義の侵略と分割支配の脅威に対抗する国家的統一の範囲内においてのみ民族の自治(すでに民族の独自軍の保有などは問題外になっていた)を承認する政策がとられてきたということと無関係ではない」と。

中国政府が直面するチベット問題を外国勢力の策動に一面化して、民衆の運動の弾圧を正当化するのは許されない。根源的にはこの問題に帰結するからだ。中国指導部はこの連合政府論の立場に立ち戻らない限り、チベット問題を解決することはできないだろう。弾圧はより強固な反発のエネルギーを生み出すにちがいない。(高田)

2008年3月24日 (月)

雑記(32)憲法会議第34回全国総会来賓挨拶

憲法会議第43回全国総会にあたり、許すな!憲法改悪・市民連絡会から心からの連帯の挨拶を送ります。
ことし日比谷公会堂で開かれる2008年5・3憲法集会は第8回目になります。2000年秋から、5月3日の憲法集会を共同で開こうではないかという声が期せずして起こり、以来、さまざまな立場の違いを超え、憲法改悪に反対するという点での行動の一致を大切にして、5・3憲法集会実行委員会が続けられてきました。今日では5月3日の一日だけの共同にとどまらず、憲法問題で情勢の要所、要所で、共同の行動を展開することができるようになってきました。とりわけ、昨年の安倍内閣による改憲手続き法の強行に反対する国会闘争では毎週のように共同行動を提起し、多くの市民の皆さんの行動のよりどころとなって闘うことができました。この役割は大変重要であったと思います。
こうした共同の努力がいま、「9条の会」の運動をはじめ全国各地で大きく発展しております。
憲法会議の皆さんは常にその共同の先頭に立って努力し、この共同を広げるために誠実に奮闘してきました。私たちは皆さんのその努力に心から敬意を払っております。
多くの世論調査が示すように9条改憲に反対する世論は多数であります。改憲に反対する声がこの数年、年を数えるごとに大きくなっております。この多数派の声を現実の力に組織する仕事はさまざまな勢力による共同の仕事の正否にかかっていると思います。憲法改悪、とりわけ第9条の改悪に反対する壮大な運動を共同して作り上げ、改憲派の危険な企てを打ち破る課題は、いま緊急で、重大な課題であると思います。
とりわけ私たちに要求されているのは、福田内閣とその与党による究極の解釈改憲の策動・自衛隊海外派兵恒久法の制定の動きに反対する運動の強化であると思います。私たちはいま9条をはじめとする明文改憲の動きに反対しながら、このいつでもどこでも海外で自衛隊が武力行使をできるという海外派兵恒久法を阻止する共同の運動を作り出さなくてはならないのではないかと思います。この点でも、本日の総会を経て、憲法会議の皆さんが先駆的な役割を果たされることを期待したいと思います。
ことしも5・3憲法集会が目前に迫ってきました。私どもは憲法会議をはじめとする各界の皆さんと共に、全国各地でこの日の共同行動を成功させるために奮闘すると共に、いま4日から幕張メッセ、仙台、大阪、広島で準備されている九条世界会議を成功させるため、皆さんと共に奮闘したいと思います。
1999年のオランダ・ハーグで開かれたハーグ世界市民会議、2006年にバンクーバーで開かれた世界平和会議と、日本国憲法9条の価値が確認されたこの世界的潮流を受け継ぎ、さらに発展させ、憲法9条を守り、世界に輝かせるために共に協力したいと思います。
本日はお招き頂きましてありがとうございました。(2008年3月22日)

2008年3月20日 (木)

雑記(31)3・20中央集会への連帯挨拶

本日、芝公園23号地で開かれた安保破棄中央実行委員会などの集会で連帯のスピーチをした。以下、その原稿。(高田)
3・20中央集会にお集まりの皆さんに、許すな!憲法改悪・市民連絡会からこころからの連帯の挨拶を申し上げます。

私ども市民連絡会が参加するWORLD PEACE NOWは明後日、22日午後、皆さんと同じこの場所からアメリカ大使館に向けてパレードをおこないます。イラク戦争を直ちにやめよ。航空自衛隊はイラクからすぐに撤退せよ。自衛隊海外派兵恒久法の制定反対。皆さんと思いはひとつであります。

5年前、私たちは全世界の1000万を超える人々と共にこの場で集会を開き、アメリカ大使館に向けて5万人のデモを行いました。

強引に開戦したブッシュ大統領と戦争に反対した私たちと、いずれに道理があったのか、これは今日、明白です。ブッシュ大統領が主張した戦争の根拠はすべて嘘っぱちでした。その結果はブッシュのいう「中東での平和と自由と民主主義の確立」どころか、10万とも、数十万とも言われる殺戮と、果てしない戦争と破壊でした。国連イラク人道問題調整官が最近発表したところによれば、2700万人の人口のイラクで、400万人が飢餓に直面し、40%もの人々が安全な水を手に入れることができず、国内難民もこの2年で倍増し250万人になったと言われています。国外には200万を超える難民がいます。米軍人の死者も4000人になろうとしています。

この戦争を支持し、協力した小泉内閣以来の日本政府の責任は重大です。安倍内閣もこの戦争を支持し、福田内閣も今年年頭、派兵給油新法を強行して、米国の戦争政策を支持しました。そして今、また派兵恒久法の制定を画策しています。

この5年、イラク反戦の声は全国各地で途絶えることなく続きました。私たちは絶対にあきらめません。イラクから中東から、世界から、戦火が止む日まで、皆さんと共に連帯して反戦平和を叫び続けたいと思います。5月3日、ことしも日比谷公会堂を中心に広範な人々が共同して8回目の憲法集会を行います。4日からは幕張メッセを中心に仙台、大阪、広島と計2万人規模の9条世界会議があります。みなさん、力を合わせてこれらを成功させ、戦争に反対し、9条を擁護し、生かし、世界に広げる運動を強めましょう。

2008年3月17日 (月)

雑記(30)鳥の歌

「琉球新報」のコラム「金口木舌」の3月13日付けのコラムを見つけた。過日、九条の会が開いた講演会のことに触れている。講演会で演奏された「鳥の歌」について書かれてあるのがうれしい。私は当日、小森さんと一緒に司会を担当して、舞台の袖でこのチェロの演奏を感動しながら聞いた。司会の合間にカザルスが米国の講演に際して「私の故郷カタルーニャでは鳥さえもピース、ピースと鳴きます」と語ったというエピソードを紹介したいという衝動に駆られたが、うろ覚えなので自制した。国連での話だったように記憶していたが、この記者のいうようにホワイトハウスでのことだったのかも知れない。いい加減なことを言わないで良かったと赤面する思いでいる。(高田)
追記・これを書いてから気になって、ネットサーフィンをしている内にこんなサイトを見つけたので紹介しておきたい。
http://www.pippo-jp.com/peace/index.html

http://ryukyushimpo.jp/variety/storyid-32121-storytopic-12.html
作家の大江健三郎さんらが呼び掛け人の「九条の会」が8日、渋谷区で開いた講演会は憲法改正を阻止しようという市民の声を確認する機会だった
▼「今こそ日本が憲法を使わないと世界がダメになる」と訴えながら、昨年7月に他界した小田実さんの遺志を継ごうというのが講演会の趣旨。講演者と客席の思いが熱く交わされた
▼講演者の一人、澤地久枝さんは米軍人による事件・事故に触れ「日米安保条約は安らかな日本人の生活のためには邪魔だ」と断じた。基地を抱え、いまだ「憲法不適用」と言われる沖縄の現状は、護憲運動の中でこそ顧みられるべきだろう
▼講演の合間に演奏された「鳥の歌」の哀切な響きが印象に残る。クラシック愛好者なら20世紀の代表的チェロ奏者のパブロ・カザルスの名とともに、この曲名を心にとどめている人も多いのでは
▼1961年11月。ケネディ大統領の招きでカザルスはホワイトハウスで演奏会を開いた。その時、平和への思いを込めて故郷のスペイン・カタルーニャ地方の民謡「鳥の歌」を弾いたのは有名だ
▼平和主義を貫いたカザルスの演奏から47年。憲法の危機と向き合い「鳥の歌」を日本で聴く。悲痛な歴史とともに確かな希望を感じたい。

(3/13 9:43)

2008年2月21日 (木)

雑記(29)繰り返す米兵の凶行

19日夕刻、国会前で開かれた女性3団体呼びかけのキャンドルデモ形式の「抗議集会」に市民連絡会も賛同して、協力した。予想を超える100名の人々の参加があって、怒りが渦巻いていた。同じ日、沖縄では女性を中心に300人の集会が開かれた。
しかし、その後もこんなにもつづく米兵の凶行。開いた口がふさがらない。米軍も自衛隊も民衆を守らず、犠牲にする。以下、琉球新報の記事である。(高田)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-31547-storytopic-1.html
また凶行、不信頂点 米兵女性暴行拘束

 米兵による蛮行が止まらない。10日の米兵女子中学生暴行事件の発生後、飲酒運転、住居不法侵入と米兵による事件が相次ぐ中、また米兵による外国人女性への暴行致傷事件が明らかになった。米軍上層部が「綱紀粛正」「再発防止」を繰り返し強調しながらも重大事件が続発する状況に、基地所在自治体の首長や、県民の間からは「軍人の素性が見える」「綱紀粛正も全く機能していない」と強い怒りの声が上がった。
 米兵女子中学生暴行事件を受け、米軍や関係機関に抗議・要請し、町民大会の開催を決めている野国昌春北谷町長は「10日の事件から約1週間後に、われわれが抗議など行動している中でまた犯罪が起きている。(米軍が)反省していない証拠だ」と怒りをぶちまけ、「犯罪が繰り返されるのは米軍そのものの体質に問題がある。許し難い」と蛮行を糾弾した。
 沖縄市議会の与那嶺克枝・基地に関する調査特別委員長は、10日の事件を受けて抗議した際の米軍の対応を挙げ「米軍トップの立場で対策を取ると表明し、その動きも見えた矢先だったのに」と絶句。「事件の詳細は分からないが、米軍の危機管理体制がまったくなっていないということの表れだ」と厳しく指摘した。
 女子中学生暴行事件で抗議する県民大会開催を計画している県婦人連合会(沖婦連)の小渡ハル子会長。「女性の人権がこうまで踏みにじられ続けるとは」と絶句。10日の米兵女子中学生暴行事件発生以来、事件が相次ぎ、さらに凶悪犯罪が起きたことに「米軍が行う教育プログラムも綱紀粛正もまったく機能していないことが分かる。女性や子どもの暮らしを守るには米軍基地撤退を求めるしかない。恐ろしくて暮らせない。絶対に許せない。1日も早く県民大会を開かないといけない」と怒りをみせた。
 県子ども会育成連絡協議会の玉寄哲永会長は「あれだけの事件を起こし県民に衝撃を与えたのに、米軍がいう再教育に逆行している。綱紀粛正を幹部たちは認識しているが、一般の兵士はその姿勢ができていない。軍人の素性が見える」と怒りを示した。さらに「問題が連鎖して次々と何か大きなものを引き起こしかねない状況になりつつある。県民大会を通して意思表示をしないといけない」と語気を強めた。

(2/21 10:33)

2008年2月20日 (水)

雑記(28)上野の野宿者に魚を届けていた若い漁師・吉清君

イージス艦「あたご」が千葉の漁船に衝突し、載っていた漁民親子は依然行方不明である。一刻も早く救出されることを願うばかりだ。この事件で自衛隊に文句を言いたいことはMD問題を筆頭に、ヤマほどある。しかし、それはさておいて、この記事を紹介したい。
東京新聞で見つけた記事である。今も冷たい海の中にいる漁民の青年、吉清哲大くん(23歳)の素顔の紹介記事である。読んでいて思わず目頭が熱くなった。
詳しくは記事に譲るが、彼はここ4年ほど、年に3~4回、それぞれとろ箱30箱以上の鯖や鰯を「上野のホームレス支援に」と、自らトラックで届けていたのである。
戦争をする自衛艦からみれば、吉清君は数字の「1人」に過ぎないのかもしれない。しかし、その1人の中身はこんなにもやさしく、暖かく、夢にふくらんでいる。こんなすばらしい漁民の若者をいま寒い冬の海に放り出していることの罪の重さを、防衛相たる石破氏は考えることができないだろう。自分に報告が1時間以上遅れたことに文句をつけていたが、他人事ではない、それは石破氏が責任者をやっている防衛省のことなのだ。石破が言っているシビリアンコントロールとはこの程度のものなのだ。石破氏の責任は重い。もちろん、福田首相もだ。まさか、今回は「自衛隊、どうなっちゃっているんだろうね」などとはいうまい。
吉清君はいま父親とともに海中で苦闘している。家族が、漁師仲間が悲しんでいる。そして吉清君のトロ箱を待っていた上野の野宿者や支援者たちも悲しんでいるだろう。私も悲しい、くやしい。(高田)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008022090071644.html
■上野のホームレス支援■

『お金じゃなく申し訳ない…魚どうぞ』

 「魚のあんちゃん、無事でいてくれ」-。「清徳丸」に乗っていた吉清哲大さんは、東京・上野公園のホームレスを支援するため、ここ四年ほど一年に三-四回、自分で取った魚を届けていた。「哲」「魚のあんちゃん」と慕うホームレスやボランティアたちはひたすら安否を気遣う。

 「お金や米でなくて申し訳ないが、この魚を役立ててほしい」

 ボランティアでホームレスを支援する東京都荒川区の「赤銀杏(ぎんなん)会」の石崎克雄会長(60)のもとに、哲大さんがそう言って現れたのは四年ほど前。以来しばしば、サバやイワシなどを詰めた発泡スチロールの箱をトラックで届けるようになった。一回に約三十箱に上った。調理師の免許を持つ石崎さんは連日、料理や弁当をつくり上野公園のホームレスに配っているが、「フライや煮魚にしたり。ありがたい限り」と話す。

 石崎さんは「哲は優しくてきっぷのいい若者。自分の家族みたいに接していた」と哲大さんの人柄を語る。料理の配達役も引き受けてくれ、「酒の席で『早く嫁さんもらえ』と言うと、いつも苦笑いを浮かべる」。

 笑顔を絶やさないが、仕事の話題になると表情がきりっと締まり、「おやじ(治夫さん)の後を継ぐけれど、もっと大きな船を買って仲間と一緒に漁に出たい」と夢を口にしたという。

 行方不明のニュースを見て、赤銀杏会の事務所にはホームレスの人たちから心配する電話が寄せられている。「ショックといら立ちで足が震えてくる。何とか無事でいてほしい」。石崎さんは、祈るような気持ちで救出を待っている。(藤浪繁雄)

(東京新聞・中日新聞)

2008年2月10日 (日)

雑記(27)聖徳太子は実在しなかった

「建国記念日」を明日に控えて、商業メディアの社説としては破格の社説が本日の「東京新聞」に載った。
私は今朝、寝起きに記事に目を通して、「快哉」を叫んだ。ブログに掲載するのでぜひ読んでほしい。

聖徳太子は「憲法」問題とも無関係ではない。自民党などの改憲論者はさも知ったかぶりして、「日本には3つの憲法がある」などといって、帝国憲法とならべて、聖徳太子の17条憲法をあげることがあるし、「和をもって尊しとなす」という言葉もあまりにも有名で、階級対立など、社会的な差異・対立を覆い隠すために、支配層の側が重宝して使うことが多い(私はこれは眉唾のイデオロギーだと思っている)。
そしてこれらの動きが、ナショナリズムや天皇制護持の根強い思想風土と結合して語られ、それを再生産していくのである。

私ごとで言えば、80年代から90年代にかけて、「幕末明治民衆運動史研究会」というアマチュアの歴史研究会を仲間とともに続け、千葉の楠音次郎らの「九十九里反乱」や、相楽総三の赤報隊事件、明治期の自由民権運動と秩父困民党などの歴史を追っていたことがあった。いま広く知られるようになった鈴木安蔵の業績にふれたのもこの頃である。
また、これと並行して歴史家の寺尾五郎さんと日本通史の学習会を続けたこともあった。寺尾さんは「寺尾史観」と私たちが称していた個性派の歴史研究者で、私たちが日本史に複眼的視点を持つ上で、多くを教えられた。この時期に、聖徳太子の存在に疑問をもち、天皇制の通説と日本書紀への批判的視点も私たちなりで固めていた。大山さんの著作に触れるのはその後ではあったが、そのときも大いに学ぶものがあり、「我が意を得たり」の感を強く持ったことがある。
研究会は折りからの憲法問題へのとりくみの力の配分との関係で、私の非力の故に閉じることになったのであるが、これは返す返すも会員諸氏には申し訳なく、また私としても残念なことであった。

話はそれるが、先日、千葉県でおこなわれた「九条の会・千葉地方議員ネットワーク」が主催した憲法問題の講演会の講師で出かけたとき、当時の歴史研究会の仲間だったWさんが会場に聞きに来てくれた。懐かしく、うれしい限りであった。Wさんはいまだに郷土史など歴史の研究を続けており、頭がさがるばかりである。そのとき頂いた本が「やさしさを遺して」(現代書館)という本であった。Wさんは2年前、22歳のご子息を失っていたのである。1人のやさしい若者が亡くなった。こんなやさしい子がなぜ死んだのか、千葉からの帰路はそうした思いを反芻しながら、いただいた本を読むことになった。本はWさん夫妻のやさししさにあふれた本である。

ともあれ、聖徳太子は実在しなかったという歴史の真実が、こうした視点から東京新聞というメディアの社説で語られたことの意義は大きい。(高田)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008021002086566.html
東京新聞【社説】
週のはじめに考える 書き換わる聖徳太子像

2008年2月10日

 実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。

 聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入りさせていった皇太子です。

 「和を以て貴しと為す」との教えや貧しい者への優しい眼差(まなざ)し、太子の言葉とされる「世間虚仮(せけんこけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」の無常観などは、いまも人の心にしみて揺さぶります。
 常識になった非実在

 もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子(やつみみのみこ)と呼ばれたとの伝承や生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、その未来予知能力や中国の高僧の生まれ変わりで、最澄は玄孫などの輪廻(りんね)転生の説話などには訝(いぶか)しさを感じさせるものではありました。

 誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。

 聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、大山誠一中部大学教授の一九九六年からの「長屋王家木簡と金石文」「聖徳太子の誕生」「聖徳太子と日本人」などの一連の著書と論文、それに同教授グループの二〇〇三年の研究書「聖徳太子の真実」でした。
 日本書紀に政治意図

 それらによると、聖徳太子研究で最も重視すべきは、日本書紀が太子作として内容を記す「十七条憲法」と「三経義疏(さんぎょうのぎしょ)」。数多くの伝承や資料のうち太子の偉大さを示す業績といえば、この二つに限られるからだそうです。

 このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を追われたのは有名です。

 三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。

 世に知られた法隆寺の釈迦(しゃか)三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿(てんじゅ)国〓帳(こくしゅうちょう)も、その光背の銘文研究や使用されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。

 国語・国文学、美術・建築史、宗教史からも実在は次々に否定され、史実として認められるのは、用明天皇の実子または親族に厩戸(うまやど)王が実在し、斑鳩宮に居住して斑鳩寺(法隆寺)を建てたことぐらい。聖徳太子が日本書紀によって創作され、後世に捏造(ねつぞう)が加えられたとの結論が学界の大勢になりました。

 太子像が創作・捏造となると、誰が何のために、その源となった日本書紀とは何かが、古代社会解明の焦点になるのは必然。そのいずれにも重大な役割を果たしたのが持統天皇側近の藤原不比等というのが大山教授の説くところ。長屋王や唐留学帰りの僧・道慈が関与、多くの渡来人が動員されたというのです。

 日本書紀は養老四(七二〇)年完成の最古の正史で、その編纂(へんさん)過程に律令(りつりょう)体制の中央集権国家が形成されました。隋・唐の統一と東アジアの大動乱、それによる大化の改新や壬申の乱を経て、古代社会の「倭(わ)の大王」は「日本の天皇」へ変わったとされます。

 大変革の時代の日本書紀の任務は誕生した天皇の歴史的正統性と権威の構築です。それが、高天原-天孫降臨-神武天皇-現天皇と連なる万世一系の思想と論理、中国皇帝にも比肩できる聖天子・聖徳太子の権威の創作、書紀は政治的意図が込められた歴史書でした。

 大山教授の指摘や論考は、歴史学者として踏み込んだものですが、隋書倭国伝との比較などから「用明、崇峻、推古の三人は大王(天皇)でなかったのではないか」「大王位にあったのは蘇我馬子」などの考も示しています。「日本書紀の虚構を指摘するだけでは歴史学に値せず、真実を提示する責任」(「日本書紀の構想」)からで、日本書紀との対決と挑戦が期待されます。
 千年を超えた執念

 日本書紀が展開した思想と論理は千三百年の現実を生き現代に引き継がれました。憲法と皇室典範は「皇位は世襲」で「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と定めています。

 しかし、万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。建国記念の日に永遠であるかのような日本の原理の由来と未来を探ってみるのも。
----------------------------------

資料・2005年頃、あるメディアに寄稿したものだが採録しておきたい。

 改憲派が持ち上げる聖徳太子の「十七条憲法」は偽書?

 自民党内の改憲派は「日本の歴史、伝統、文化、その象徴としての誇るべき天皇制の尊重」「現行憲法は無国籍憲法だ」「日本には聖徳太子の十七条憲法と、明治天皇がお作りになられた(!)五カ条の御誓文がある」などと、恥知らずなことを言うようになっている。
 これらの人びとが聖徳太子の「十七条の憲法」で特に好んで引用するのは「第一条(一に曰く)以和為貴(和を以て尊しとす)」だ。これを与野党の一部議員たちは「この和の精神こそ日本文化のすぐれた精神を表している」などと言う。
 だからいたずらに「国家と国民の対立を言うのではなく、相互の協調をはかることこそが日本文化なのだ」というのである。
 「和の精神」こそは、皇国史観における思想教育のからくりの種本のようなものだ。聖徳太子は国家の下への国民の統合、国家の下での異質なものの統合、階級対立の否定と融和などを説く際に使われる。実に聖徳太子は国家権力にとっては便利な人物なのだ。
 歴史研究に多少でも興味を持つと、遠からずぶつかる問題は史料の偽書、贋作などの問題だ。
 たとえば東北人の筆者などは、一時期胸躍らせるようにして興味を持ったものに「東日流三郡誌(つがるさんぐんし)」論争というのがあった。
 まだ日本列島に統一政権が成立していなかった奈良や平安の時代、東北地方は大和の政権による「征夷」という名の軍事侵略が繰り返された。
 歴史の本には坂上田村麻呂の「奥州征伐」などと書かれ、抵抗する者はまつろわぬ民であり、あるいは鬼とされた。
 東北地方に住む者として、大和から見て書かれた歴史に反発し、侵略への抵抗闘争に関心を持ち、また当時の奥州の独自の高い文化の存在に興味を持った。佐 治芳彦氏の「謎の東日三流郡誌」などは懸命に読んだ。中世に繁栄した津軽の十三湊(とさみなと)と荒吐(あらはばき)一族の興隆と滅亡など古代東北史の壮 大な物語は、アトランティス大陸の滅亡の悲話のようで、東北人の筆者を惹きつけた。
 しかし、「東日流三郡誌」はのちに地元青森などの古文書研究会らによって、発見者が書いた偽書との鑑定結果が公表された。
 大和の権力と戦った安東氏の伝説や、あたらしくはNHKの大河ドラマの奥州藤原氏と源義経に関する伝説など、事実も少なくないが、相当に脚色された面も多い。
 しかし、東北人はこうした説には騙されやすい側面がある。
 例の石器のねつ造問題もそうだ。
 差別と偏見にさらされてきた東北人としては、旧石器時代が大昔の東北・北海道にあったというだけで、スカッとするのだ。
 しかし、聖徳太子の手によるとされる「十七条憲法」が偽書だったとしたらどうだろうか。
 あるいは聖徳太子のもうひとつの書物「三経議疏(さんきょうぎしょ)」が実は彼の手になるものではないとしたらどうなるだろうか。
 改憲派が高く持ち上げる聖徳太子の和の精神、日本のすばらしい歴史・伝統・文化という議論は崩れ去るのだ。
 いまでは偽書の「東日流三郡誌」などの助けを借りなくとも、アテルイをはじめ大和の侵略に抗して戦った東北の民衆の歴史は存在することが証明できる。
 大山誠一という人の「聖徳太子と日本人」が角川文庫から出た。大山さんの史観には異論もあろうが、おもしろい。
 彼にいわせれば「厩戸王という一人の王族がいて、斑鳩の宮(奈良県)に住み、斑鳩寺(法隆寺)を建立したことは事実だが、……憲法十七条を制定し、『三 経議疏』を著したというのは事実ではなく、偉大な聖徳太子に関する史料は、すべてのちの時代につくられたものである」というのだ。
 一読をすすめる。

2007年12月30日 (日)

雑記(26)反戦の目。いまならまだ間に合う

毎日新聞のコラムである。
私はこれを書いた広岩記者を知らない。しかし、この文章は好感がもてたので紹介する。
ここしばらく、毎日新聞はときおり、こうした「賢人」たちのインタビューを掲載してきた。さまざまな人びとが登場したが、おおむね、それらのインタビューは平和とか憲法第9条などについて、深いところから考察されたものが多かった。なかなかマスメディアでこうした人びとの見解について、まとまってふれられる機会が少なくなっているだけに、貴重な企画であった。
記者が最後に書いているように「共通の視線は、反戦の目から投じられたと思う。反戦といえばイデオロギー的にとらえられがちな面もあるが、私たち市民が戦争に反対するのは当たり前で、右も左も中間もあるまい。反戦の目を胸に刻んで、新年を迎えたい」ということの大事さがしっかりと確認されなくてはならない。
これらの「賢人」たちは自らの生き様でそれを実践しつつ、語っている。それだから、掲載されたインタビューは説得力をもっていた。
広岩記者もいうように、「反戦」という主張について、イデオロギー的だとか、古くさいとか、高みから冷笑することで攻撃する、というような論調も一部にはある。この問題について消極的な立場をとる自らへの弁明の場合もある。
このような手合いには言わせておくしかない。
街には無数の「賢人」がいる。これらの人びととともに、新年はいっそうがんばりたい。
いまなら、まだ間に合うと思うからである。(高田)

http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20071230k0000m070101000c.html
発信箱:反戦の目=広岩近広(専門編集委員)

 除夜の鐘までカウントダウンとなった。あらたまって今年を振り返るに、私は共通の視線を思い出さずにはいられない。

 温厚で柔らかいまなざしの人が、ほんの一瞬ではあるが、鋭い視線に変わる。まぎれもなく突き刺さる視線であった。私は心の奥底まで見抜かれたにちがいない。

 今年、インタビューの機会に恵まれた人たちの視線である。鶴見俊輔さん、澤地久枝さん、新藤兼人さん、むのたけじさん、瀬戸内寂聴さん、日野原重明さん。身を乗り出して話を聞いていた私は、深い瞳から光り出た無言の視線に、こう厳しく問われたはずだ。「あなたは戦争の悲惨さを、どれほど知っていますか、想像できますか、本当に戦争に反対しますか、その気骨はありますか」

 戦争の時代を生きてきた賢人たちは、その実体験から揺るぎのない戦争観を持っている。戦争の本質を知り尽くしていた。

 一人一人の人生をはぎ取るのが戦争であろう。対極の平和は、安寧の日常があってはじめて享受できる。瀬戸内さんたちは記憶を寄せ集めてあの時代を語り、しかし軽々しく相づちを打つ戦後生まれの私の胸のうちを、その視線で射抜いた。

 戦争や平和という言葉を使い慣れしていたのではないか。私の反省である。

 共通の視線は、反戦の目から投じられたと思う。反戦といえばイデオロギー的にとらえられがちな面もあるが、私たち市民が戦争に反対するのは当たり前で、右も左も中間もあるまい。反戦の目を胸に刻んで、新年を迎えたい。

毎日新聞 2007年12月30日 0時22分

2007年12月29日 (土)

雑記(25)中村哲さんの「医者、用水路を拓く」(石風社)を読み終えて

ペシャワール会の中村哲さんの新著を取り寄せて、朝晩の電車の中で読み続けた。全376頁の大著なので、時間がかかったが、とてもいい本だと思った。
本書は2001年10月以来の5年半余にわたる中村さんとペシャワール会のアフガニスタンにおける、文字通りの苦闘の記録である。本書のサブタイトルには「アフガンの大地から世界の虚構に挑む」とある。本書の内容を要約した言葉である。
厳しいアフガンの自然の中で、地元の人びとに尊敬の念を込めて「ドクター・サーブ」と呼ばれる中村さんたちがいかに試行錯誤しながら、悪戦苦闘し、第1期工事として、13キロにもわたる用水路を切り開いたか。そうした中で、医者の中村さんたちがアフガンの自然の研究に研究を重ね、アフガンと、中村さんの出身地九州各地の日本の土着の工法などからも学び、地元にあった工法を作り出しながら難工事を進めていった。体得された中村さんたちの技術の水準の高さにも感心させられる。強靱な意志に支えられて、幾多の困難を乗り切って実現した用水路は、確実に多くのアフガンの人びとの生命をたすけたのである。
国会では新テロ特措法が強行されようとしている。日本政府の対応がいかに間違ったものであるか。ぜひみなさんにも読んでいただきたい本である。(高田)
1800円+税 申し込み問い合わせは092-714-4838まで。

2007年12月20日 (木)

雑記(24)霊感商法も貧困ビジネスも

「いやな渡世だなあ」などとつぶやいてみたくなる。腹立たしい限りだ。
あるいは、「このごろ都にはやるもの」と「四条河原の落書」に例えて、銃撃や強盗など並べて作ってみたいという欲求にも駆られるが、時間がないので自重、自重。
もし現代版落書を書くなら、入れたいものがある。
霊感商法、ヒーリング系、スピリチュアル系、麻薬売買、さらに加えて「貧困ビジネス」。庶民の悩みや、病や、貧困、挙句の果ては臓器まで、「癒し」「霊感」などと称してカネ儲けの種にするというのは、資本の習いで、「ベニスの商人」の昔からあるとはいえど、警視まで関与するとは、
地回りや「十手持ち」ならぬ、さしずめ与力か奉行クラスと悪徳商人が結託した悪行三昧か。
「お前の名前はタタラレテイル」などと脅して、金儲けする人間がテレビでもてはやされ、、身はあぶく銭で太りに太っても細木とはこれいかに。
とまれ、みなのシュウ。ゆめ、こんな連中に騙されることなかれ。(高田)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071220-00000055-mai-soci
<霊感商法>「占い」「癒やし」前面に客勧誘…警視関与疑惑

12月20日13時7分配信 毎日新聞

 神奈川県警の警備課長だった警視(51)が霊感商法にかかわっていた疑惑は、県警内に大きな衝撃を与えている。警視の口座には複数の警察官から現金が振り込まれていたことも確認され、警察組織を利用した霊感商法事件に発展する可能性も出てきた。

 ◇物品販売でトラブルも

 民間信用調査会社によると、警視が関与していたとみられるサロンの運営を統括する有限会社は00年設立。山梨県甲斐市に本部を置き、主要事業は「占いによる運勢・姓名鑑定」。申告所得額は03年8月期で3億2865万円、04年8月期で5億5846万円で、信者は年々増えているとみられる。ただ物品販売などからトラブルが聞かれ、営業実態は不透明な点が多いという。

 また、サロンについてまとめたホームページ「ヒーリングサロンによる被害」によると、同社は東京都稲城市などにある関連会社を通じてサロンを全国展開。春と秋に「大祭」と呼ばれる行事を開催し、例年3000人以上が集まるという。

 また紙に「力」と書かれた「ライセンス」と呼ばれるお守りのようなものを10万5000円で客に販売。このライセンスを「初級」とし、観音が描かれた「中級」を21万円、「上級」を52万5000円で売っている。

 「占い」や「癒やし」を前面に押し出し、「体験ヒーリング1回1000円」などと比較的安い料金で勧誘しており、徐々に高額な関連商品を販売し、若い女性の被害者が多く発生。7~8カ月間で150万~200万円を支払った被害者もいるという。

 今月4日に電話相談「スピリチュアル・霊感被害110番」を開いた全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、約4時間で寄せられた59件、1億3299万円の被害のうち、この企業グループに関する相談は12件で最も多かった。【池田知広】

 ◇最上階にサロン…東京・事務所

 グループがサロンを開設している東京都港区のマンションは20階建てで、1階から3階は会社の事務所が入り、4階より上が居住棟になっている。サロンは最上階にあるといい、警視も別の部屋で暮らしているという。

 マンションは普段から高級車が多く出入りし、周囲には東宮御所などがある赤坂御用地や六本木の新名所となっている東京ミッドタウンがある。この日は朝からマンション前に多数の報道陣が集まり、出勤する会社員らがけげんそうに眺めていた。【林哲平】

 ◇無言で男女出入り…山梨の本部

 グループを運営している団体の本部は山梨県甲斐市にある。県道5号沿いの木造平屋建ての日本家屋で、この日は朝から報道陣が見つめる中、30~40代とみられる複数の男女が時折、無言で出入りしていた。

 近くの住民によると、普段は若い女性や親子連れが多く訪問。毎月18日や大みそか、元日などには集会があるようで、そのたびに100台ほどがとめられる専用駐車場は県外ナンバーの車で埋まっていた。今月18日にもたくさんの人が訪れたが、これまで、近所での勧誘活動や住民とのトラブルは特になかったという。

 この施設では、現在はないが、二十数年前は別の名称の宗教団体が「薬を飲まずにアトピーが治る」などと大きな看板を掲げていたこともあったという。【小林悠太】

 ◇「報道で知る」…県警に危機感

 警備課のある神奈川県警本部15階はこの日、幹部が部屋を頻繁に行き来し慌ただしい様子。職員は記者に対し、「われわれも今朝ニュースで知った」と顔をこわばらせた。

 ある幹部は「露ほども知らなかった。少しでもうわさがあればサミットを控えた時期に、若い警視を警備部の所属長級に抜てきするはずがない。処理を誤れば(現職警察官の覚せい剤使用を組織ぐるみで隠した)99年どころの話ではなくなる」と危機感を募らせた。

 横浜市金沢区内にある警視の自宅には早朝から多くの報道陣が詰めかけた。「霊感商法にかかわっていたそうですが」という問いかけに、家にいた女性がドアを閉めたまま「新聞で読んだが、全然わからない。(警視と)連絡がとれなくて困っている」と当惑したような声で答えた。【梅田麻衣子】

2007年11月22日 (木)

雑記(23)夢想

本日の朝日紙からの転載である。
イラク特措法廃止法案は28日に参院本会議で採択され、衆院に送付される予定である。与党が多数の衆院では否決され、この法案は廃案になる運命だが、もし、衆院が選挙で野党が多数になっていたら、本日、インド洋から海上自衛隊が帰国したように、イラクから航空自衛隊も撤退しなくてはならなくなるはずだ。実現していれば、中東の平和を切り開く上で、どんなに画期的なことになっただろうか。
この「もし」というのは、目下のところは表題のように「夢想」にすぎない。これは与党の不当な解釈改憲によって成立したイラク特措法という違憲の戦争法の廃止ということだ。こうして、オセロゲームに例えては不謹慎ではあるが、黒を白にひっくり返せるとしたら、これまで自民党がこの国で作り出してきたさまざまな違憲状態を、ひとう、またひとつと憲法状態に復帰させ、憲法を実現することができる。
もとより、野党内の憲法についての態度もマチマチのところがあるのだから、衆院で野党が過半数をとったからといって、すべて解決するわけではない。小澤一郎民主党代表の国連と自衛隊についての「理論」など、危なっかしくてしょうがない。「夢想」するにしても、私たちはそんなに「極楽とんぼ」でいられるわけでもないわけだ。それはわかっている。
「しかし」だ。しかし、それでも、一歩前進ではないか。これを規定するのが院外での自覚・自立した市民運動の動向だ。そんな時代が来るかも知れない。そこまで来ているかも知れない。その時代をたくさんの市民が動き出せば、引き寄せることができるかもしれない。

いま、取り組んでいる「九条世界会議」だって、ある時の若者たちの「夢想」に淵源があるなんていったら、叱られるかな。
ジョン・レノンの「イマジン」にならって、こんなことを「夢想」しながら、さあ、当面は派兵・給油新法案の廃案と、憲法審査会の始動阻止の課題への取り組みだ。(高田)

http://www.asahi.com/politics/update/1122/TKY200711220084.html
イラク復興特措法廃止案、参院審議入り

2007年11月22日10時54分

 民主党提出のイラク復興支援特別措置法廃止法案が22日、参院外交防衛委員会で趣旨説明され、法案が審議入りした。同法案はイラクで多国籍軍への輸送支援活動に従事する航空自衛隊を即時撤退させるのが主な内容。同委員会では政府提出の補給支援特措法案の審議が控えているため、27日に委員会採決することで与野党間ですでに合意している。28日の参院本会議で民主党など野党の賛成多数で可決され、衆院に送られる見通しだ。
 イラクからの自衛隊撤退は民主党の政権公約。浅尾慶一郎「次の内閣」防衛相は趣旨説明の中で撤退理由として、(1)戦争の大義とされた大量破壊兵器は見つからず、イラクへの武力行使を明示的、直接に認める国連決議もない(2)自衛隊の活動の中心は多国籍軍の後方支援とみられるが政府の情報開示が不十分、などの点を挙げた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071122-00000004-yom-soci
海自護衛艦「きりさめ」、佐世保に帰港

11月22日14時12分配信 読売新聞

佐世保に帰港した護衛艦「きりさめ」(長崎県佐世保市で)
 テロ対策特別措置法が1日に期限切れになったことに伴い、インド洋での給油活動から撤収した海上自衛隊の護衛艦「きりさめ」が22日、長崎県佐世保市の佐世保港に帰港した。

 期限切れ後の艦船の帰港は初めて。

 きりさめが護衛していた補給艦「ときわ」も23日、神奈川県・横須賀港に帰港し、テロ特措法に基づき、6年間続いてきた給油活動の任務はこれで終了する。

 海自は、計11か国の艦船に794回、計約49万キロ・リットルの燃料を提供した。

2007年10月15日 (月)

雑記(22)中谷さんよ、国民が皆テロリストに見えるのは末期症状です

あえて反論したり、批判を書くまでもないことだが、中谷元がこう言ったということは記録にとどめておきたい。
こんな発想のもとに国会に提出される派兵・給油新法は阻止しなければならない。
まずは、17日、閣議決定に抗議するWPNの行動と、23日のヒューマンチェーン、25日の昼休みデモなどの行動から、新法に反対する運動を強めよう。
はて、これも「テロリスト」か。(高田)

http://www.asahi.com/politics/update/1015/TKY200710150085.html
「給油活動反対はテロリスト」 自民・中谷氏、民主を批判

2007年10月15日12時08分

 自民党の中谷元・安全保障調査会長は14日のフジテレビの番組で、インド洋での海上自衛隊の給油活動について「テロをなくそうという国際社会で非常に評価されている。これに反対するのはテロリストしかないのではないか」と述べ、反対している民主党の対応について「理解できない」と批判した。

 これに対し、民主党の鳩山由紀夫幹事長は同日の記者会見で「国民の3割が給油活動に反対しているが、日本に3割のテロリストがいるという話になる」と反論。「テロリストをなくさなくてはいけない作戦で、テロリストが急増している。戦争によって本当にテロがなくなるのか」と、給油活動への疑問を改めて示した。

2007年9月30日 (日)

雑記(21)ビルマの民衆に呼応して大使館にデモ

在日ビルマ人共同実行委員会が主催したデモに参加してきた。
雨の中、五反田南公園から品川御殿山の在日ビルマ大使館をめざし、さらにその先の公園まで、約1000人ほどの人びとがデモをした。参加者にはWPNの仲間や、宗教者の人びとなど日本人の姿も見えたが、ビルマ人の人びとがとても多かった。大使館前では道路に於かれた軍事政権指導者の写真をみんなが踏んで通った。

公園で配られたチラシにはローマ字でスローガンが書いてあった。

民主化運動の指導者アウンサンスーチー氏と全ての政治囚の釈放を   急げ!急げ!
国民的和解をするならスーチーさんとの対話を    急げ!急げ!
ビルマ国内で平和的に行っている民主化運動を     支持するぞ!支持するぞ!
独裁ミャンマー軍事政権は民主化運動を行っている僧侶と国民に武力弾圧を やめろ!やめろ!
国連安保理と日本の政府はミャンマー軍人政権が僧侶や国民にしていることをやめるために    圧力を!圧力を!
ビルマ民主化活動は    勝利するぞ 勝利するぞ!

前の部分をリーダーがマイクで叫ぶと、デモ隊があとのフレーズをくり返す、というシュプレヒコールで、私ははじめてだった。(高田)

2007年9月18日 (火)

雑記(20)安倍のお友達はいまどう思っているのか

これは面白い。本日の毎日新聞の夕刊の記事だ。
岡崎、櫻井、屋山という、安倍の「同志」やブレーンだった連中の感想だ。岡崎はショックを隠せずに、「反動の時代が来る」と叫んだ。櫻井は悔しさをかみ殺して「戦後体制からの脱却をうたった安倍さん自身が、戦後日本のもろさというものを体現していた」と強がりを言った。屋山は「いずれにしても、大砲は放たれた。あとはそれがどこに着弾するか。それを待つだけだよ」などと、どこかの国の性能の悪い弾道弾のようなことを言い放った。
三者三様だが、漫画チックで面白い。記事は長いけれど、読むのは苦にならないのではないかとおもう。(高田)

http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20070918dde012010036000c.html
「プリンス安倍」退場 保守論客の弁は

 憲法改正や教育再生を掲げ、“保守のプリンス”とも呼ばれた安倍晋三首相が退陣する。自民党総裁選は、安倍首相を支えた麻生太郎幹事長に対し、首相と距離を置いた福田康夫元官房長官が本命視され「戦後レジームからの脱却」路線は転換を迫られそうだ。「保守」の行方は、どうなるのか。プリンスを叱咤(しった)激励してきた論客に思いを聞いた。【太田阿利佐、藤原章生、大槻英二】

 ◇「反動の時代」が来る--外交評論家・岡崎久彦氏

 安倍首相の退陣理由は健康問題です。政策のどこかが行き詰まっていた、評判が悪いから辞める、とは言ってません。退陣表明の数時間前まで、首相としてやるつもりだった。職を賭してやると言っていたのを辞めると言うのは健康問題しかないでしょう。それは国民にも分かっています。マラソンに例えれば、ゴールを前に足がどうしても動かなくなってしまった。体力、気力の限界が来た。私もがっかりしたし、一般の保守層の人々もがっかりしたでしょう。だからといって、左翼思想や戦後の偏向教育思想に戻るということはありえない。健康問題だから仕方がありません。

 安倍政権は、教育基本法改正案、教育関連3法案を国会で成立させ、戦後何十年も放り出してあった国民投票についての法も整え、防衛庁も省に昇格させた。今後の日本にとってのレールを敷いた。それは非常に評価しています。特に教育は、思想が保守かどうかに一番影響を与える問題です。教育再生会議はあとは事務的にやればよく、教育はもう大丈夫だと思います。

 残っているのは憲法改正と、その前段の集団的自衛権の解釈問題です。後事を人に託する余裕もなかった。「保守に対する反動」もあるかもしれません。反動といっても、小沢一郎・民主党代表のように米国に肩を張ってみせれば人気が出ると思い込む人がいるだけで、イデオロギーも何もありません。具体的には、中国を刺激しない、憲法改正も安全保障問題も前進しない、ということです。集団的自衛権は2、3年は議論が進まないかもしれませんが、論点は整理したので、やる気のある内閣ならいつでもできる。ただ反動がどのぐらい長く続くかです。

 福田康夫氏が次期首相になったら、反動の時代が来る。麻生太郎氏なら反動もなし、ということです。安倍首相の仕事で最後に良かったのは、麻生氏を幹事長にしたことです。もし麻生氏が首相になったら、それは安倍首相の最後の実績でしょう。

 総裁選の結果は分かりません。しかし我々保守は、反動の時代に備えて頑張るしかない。相撲のインタビューみたいなもので「頑張ります」に決まっています。5年か10年か、健康に気を付けてもう一息、そういう気持ちです。

 ◇「戦後」のもろさ体現--ジャーナリスト・櫻井よしこ氏

 安倍さんの辞任は、誰も皆びっくりしたことでしょう。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げていた。それは米国の占領下で、憲法がつくられ、日本のそれまでの在り方が否定され、日本の在り方が根本的に変えられてしまったことに対しての反論です。

 そこから脱却するということは、自立できない日本を自立させ、自らの力で道を切り開く日本へ変えていくという決意です。しかし、そこには60年以上にわたる戦後体制になじんできた価値観があり、それを打ち破るのは、並大抵のことではありません。

 それを打ち破らなければいけないと言っていたご本人が結局、多くの圧力の前に疲れ果てて、政権を投げ出してしまった。そういう意味で、私は、戦後体制からの脱却をうたった安倍さん自身が、戦後日本のもろさというものを体現していたのではないかと思うのです。

 しかし、安倍政権がこの1年間にしてきたことは、教育基本法の改正も、公務員制度の改革も、後になって必ず高く評価されると思います。自らの任期内に憲法改正すると言って、政権をつくった首相は初めてです。

 衆院に導入された小選挙区制度のもとで、2大政党制へと流れは着実に収れんしています。かつての中選挙区制なら、自民党自身のあいまいさが許容された。しかし、小選挙区制は個々の政党が理念や政策を掲げて戦う政党同士の争いです。

 にもかかわらず、今回の自民党総裁選で、福田(康夫)政権が誕生することになれば、それは、安倍政権とはまったく政策の異なる政権が誕生することになります。憲法改正、靖国参拝、拉致問題などへの対応において、正反対の福田さんに、1年前安倍政権をあれほど熱烈に支持した人たちが、メダカの学校のように、先頭の魚の方向転換に従って、節操なく走ってしまうというのは、政党としての理念を欠く。それは自民党の終焉(しゅうえん)を意味すると思います。

 次の総選挙で、政権交代が現実のものとなれば、民主党政権もかなり混乱するでしょう。そのプロセスで、自民党と公明党の連立も解消されるかもしれない。小選挙区制の下で政界再編という形をはっきり取るかどうかはわかりませんが、政治の混迷は当面続くと思います。

 ◇「大砲」…どこに着弾--政治評論家・屋山太郎氏

 (安倍辞任で)ショックなんてないね。安倍さんが、官僚の天下りを根絶したいって言うんで賛成しただけだ。保守の敗北? 違うんじゃないか。憲法改正は自民党の党是なんだから、たとえ福田さんが首相になっても流れは大きく変わらない。ただ、公共事業ばらまきの古い「官僚内閣」に戻る心配はあるな。

 小泉構造改革で公共事業が激減した。でも、極端な話、地方の産業は公共事業だけだから、何の手当てもしなけりゃ、民主党に出し抜かれるのは当たり前なんだ。でも、どうだろうね。福田さんで(自民党は)選挙できるのか? (彼が)何か言っても、人はわからないだろ。

 安倍さんの成果は、憲法改正を真正面から取り上げ、(今年5月に)国民投票法を制定し、(昨年12月に)教育基本法を改正したこと。ただ、国民投票法も施行が3年延びたし、教育も成果が上がるまでに10年はかかる。長距離砲を撃って、着弾していないようなものだな。

 意義のある改革だけど、一般の国民は「大砲をぶっ放したけど、生活はどうなるんだ」と言うし、日米関係が良いからって国民の生活は変わんない。「テロとの戦い」で評価は得ても、身近な政治とは関係ない。

 安倍さんは天下りをなくそうと公務員制度改革をやってきたけど、これも国民の飯の種にはならない。天下りの度に所得を増やす官僚が、独立行政法人や特殊法人で5、6兆円も税金を使っている。

 そういう明治からの「官僚内閣制」をなくそうとしたんだから、反発はすごかった。政治資金のスキャンダルは官僚にやられたんだよ。それと日の丸・君が代に反対し、戦後体制に安住するマスコミにね。安倍さんはマサカリかついで17回も強行採決したから、改革を推す人も恐怖心が出たんじゃないか。

 ただ、(自分たちが)訴えたかったのはモラルの回復なんだ。日本人のモラルは恥の文化から来ている。それが日本のモノづくりの基礎になった。恥の文化のもとは名誉で、そのもとは武士道。それが廃れたから、今は子殺し、親殺しとめちゃくちゃじゃないか。恥の文化をもっと知らせなきゃならないんだ。いずれにしても、大砲は放たれた。あとはそれがどこに着弾するか。それを待つだけだよ。

==============

 ◇「夕刊とっておき」へご意見、ご感想を

t.yukan@mbx.mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

==============

 ■人物略歴

 ◇おかざき・ひさひこ

 1930年生まれ。元駐タイ大使。安倍首相が設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」メンバー。

==============

 ■人物略歴

 ◇さくらい・よしこ

 1945年生まれ。80~96年、日本テレビのニュースキャスター。従軍慰安婦やエイズなどの言論活動で、98年に菊池寛賞受賞。

==============

 ■人物略歴

 ◇ややま・たろう

 1932年生まれ。時事通信社ジュネーブ特派員などを経て87年に退社。著書に宰相論、教育論など。02年、正論大賞受賞。

毎日新聞 2007年9月18日 東京夕刊

雑記(19)局面転換?

本日の『毎日新聞』が「政策課題:「安倍カラー」も退場?」という記事を書いているので下に貼り付ける。
安倍首相は「局面の転換をはかる」と称して辞任を表明した。どうやら「民主党がイラク特措法の延長に反対し、小沢党首は自分にも会ってくれない、国際公約なのに行き詰まってしまったので」と言いたかったようであるが、なんとも理解しにくい言葉である。このところの安倍総理の発言は一事が万事、こんな調子で、意味不明のことが多かった。
辞職して、イラク特措法の「局面転換」がはかれるわけがない、ますます延長しにくくなり、新法をだすにしてもいたずらに空白を拡大するだけだ。それとも安倍首相のいう「国際公約」を反故にするためか。それなら話は通じる。たしかに局面転換だ。しかし、そんなわけはないだろう。
この記事のように、もともと不可能な、年金の「3月完了」の約束を反故にするためというのも同じ文脈で理解するのか。こんなことは願い下げだ。
反故にされて憤懣やるかたないだろうと思うのは、集団的自衛権の「安保法制懇」のメンバーと、教育再生会議のメンバーだろう。「安倍さんに頼まれて、やる気になっていたのに……」と恨み節でも言いたいところか。
であるなら、強行した「改憲手続き法」の結果、憲法審査会がハコだけ出来たものの、稼働も出来ない状況になっていることも、局面転換をやってもらいたいものだ。欠陥立法の改憲手続き法の抜本的再検討と、廃止法とはいかないものか。これなら膠着状態の局面転換になるぞ。
郵政民営化法だって、国民新党の主張に呼応して「廃止法案」を参院に上程するのだ。盗聴法も廃止法案を準備したことがある。教育基本法も、防衛省昇格法も……(ウーン、これらは民主党が賛成しているからだめだなあ)。
まあ、それにしても、肝心なことは、安倍がやめて麻生になっても、福田になっても「局面転換」が期待できないことだ。運動と世論の追い打ちなしに局面転換はないか。(高田)

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070918ddm002010027000c.html
政策課題:「安倍カラー」も退場? 検討作業綱渡り、支え役不在…

 安倍晋三首相が突然の退陣表明をしたことで、憲法9条解釈の見直しや教育再生など「安倍カラー」の強い政策課題の検討作業が宙に浮く事態となっている。いずれもトーンダウンを余儀なくされそうなうえ、首相が公約した年金記録の照合についても先行きが危ぶまれている。【吉田啓志、佐藤丈一、三沢耕平】

 ●集団的自衛権

 憲法9条解釈の見直しを検討する首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)は14日に予定していた第6回会合を中止した。存続は新首相の判断に委ねられる。

 懇談会は「公海上で攻撃を受けた米軍艦船の護衛」など首相が検討を指示した4類型について、集団的自衛権の行使を容認する方向だ。ただ、与謝野馨官房長官は13日の記者会見で、「落ち着いた雰囲気の中で議論してほしい」と述べ、性急に結論を出さないようくぎを刺した。次期首相が有力になっている福田康夫元官房長官は見直しに慎重姿勢を表明している。

 ●年金問題

 宙に浮く5000万件の年金記録統合策として首相が打ち出した「照合と結果の本人通知を来年3月までに完了する」との公約についても、政府内に実現を不安視する声が広がりつつある。

 照合完了目標は当初、08年5月だった。舛添要一厚生労働相は9日、「(政府内に)3月までにできると言った人はいない」と述べ、首相の公約には裏付けがないことを明かしている。

 社会保険庁は今後必要となる作業量を把握できていない。先に「3月完了」という枠をはめられたため、「作業量が判明していく過程で随時、公約達成に必要な人、金を投入していく」(舛添氏)という綱渡りを強いられる。官邸主導の日程前倒しについて、厚労省内には「政府というより安倍印の公約」(幹部)という冷めた意識がある。首相が官邸を去り、政治の圧力が弱まれば、社保庁の先送り体質が再び頭をもたげかねない。

 ●教育再生

 首相がトップダウンで設置した政府の教育再生会議。池田守男座長代理(資生堂相談役)は「次期首相が引き継ぎ、大きな花を開いてくれると信じる」と語り、存続に望みを託すが、これも先行きは不透明だ。同会議は12月に最終報告をまとめる予定だが、後ろ盾だった塩崎恭久前官房長官や下村博文前官房副長官に加え、首相も交代すると支え役は不在となる。伊吹文明文部科学相は「会議がなくなっても困ることはない」と主導権争いで「勝利宣言」した。

 ●公務員改革

 公務員制度改革関連法が先の通常国会で成立し、国家公務員の再就職のあっせんを一元化する新人材バンクが08年中に設置される。現在、二つの有識者会議がバンクのあり方や人事制度の見直しを検討中。政府はその結論を踏まえて来年の通常国会に国家公務員制度改革基本法(仮称)を提出する方針だ。しかし、官僚の抵抗はなお強く、新首相と「霞が関」の距離感しだいで天下り規制策が後退する懸念もある。

毎日新聞 2007年9月18日 東京朝刊

2007年8月21日 (火)

雑記(17)安倍首相とパール判事

安倍首相はインドでパール判事の遺族らに会うという。
安倍はパール判事から何を学んだのか。日本の右翼もそうだが、パール判事の思想と、彼らの思想とは対極にあることを考えるべきだ。安倍のこうした浅薄な行動は、憲法をデタラメに引用して平気だった前任者の小泉純一郎ばりのつまみ食いである。
評論家の森田実氏が論評している。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C03597.HTML

2007年8月15日 (水)

雑記(16) 本日の北海道新聞の社説の紹介

62回目の8月15日が来ました。
私は62年前のこの日は、0歳8ヶ月、母親の腕の中で迎えたはずです(記憶は全くないのですが)。いまからわずか62年前、この国は戦争をしていました。

本日の北海道新聞の社説を紹介します。
少し前ですが、これを書いた論説委員のAさんの取材を受けました。二人で1時間以上、いろいろ話し合いました。改憲反対の運動の現状も詳細にお話ししました。この記者の方はその後、この社説を書いている最中も電話をくれました。
私は市民運動の事務所に常勤しているという立場上、さまざまなメディアの記者さんたちの取材を受けることがあります。それらの皆さんと話し合っていると、厳しいメディア状況の中で、なんとかしたいという意志を持って奮闘しているジャーナリストがいまなお少なくないことを知りますし、そのことに、私は希望を感じます。
市民運動が、メディアの現状をあきらめず、力を尽くすことの重要さを共に確認できれば幸いです。(高田)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/43507.html

2007年8月 1日 (水)

雑記(15)小田実さん 中島通子さん

7月30日、私が運動でいろいろお世話になった先輩が2人、亡くなってしまった。何という日だろう。哀しいことだ。メディアでは参院選の結果が報じられており、民主党が第一党になるという政治的激変が明らかになった日だ。

ひとりは未明に東京の病院で亡くなった小田実さん。九条の会の呼びかけ人として、この3年、とりわけお世話になり、親密なおつきあいをさせて頂いた。

ひとりは中島通子弁護士。本日のニュースで知ったが、日本時間30日の午前、ハワイで遊泳中の事故死だ。憲法調査会市民監視センター(現・けんぽう市民フォーラム)設立以来の会員で、イラク派兵違憲訴訟弁護団として、WORLD PEACE NOWの運動でも大変お世話になった。

お二人について、少し時間が経ったら、ここでも何か書きたいと思う。いまはただ深い哀悼の意を表したい。(高田)

2007年7月18日 (水)

雑記(14)原発の耐震安全性は根底から崩れた

以下は原子力資料情報室からの最新情報だ。今回の震災による柏崎刈羽原発の被害は時を追うごとにその事故が重大で広範囲に及んでいることが明らかになりつつある。全国の原発の即時稼働停止と全面的な点検、及び国の原発政策の抜本的再検討は緊急の課題だ。
「百年安心の年金政策」と並んで、「百年安心のエネルギー政策」が必要だ。政府の責任が問われるべきだ。(高田)


http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=550

原発の耐震安全性は根底から崩れた

2007年7月17日 原子力資料情報室

7月16日午前10時13分ごろ中越沖地震が起きた。この地震の揺れによって稼働中の柏崎刈羽原発4基が自動停止した。停止したのは2号炉、3号炉、4号炉、7号炉で、うち2号炉は定期検査の最終段階の調整運転のために原子炉を起動中だった。他は定期検査中で原子炉を停止していた。
震災にあわれた方々の苦痛はさらに続くだろうが、原子炉が緊急停止したのは不幸中の幸いというほかない。仮に停止に失敗していたら、放射能が大量に放出される原発震災に至る怖れもあった。
停止に続いて3号炉では外部電源を取り込む変圧器で火災が起きた。絶縁油が漏れ、何らかの理由で引火したためだろう。原因について詳細な発表はないが、漏れは地震により機器・配管に亀裂が入ったことで起きた可能性が高い。鎮火までに2時間近くもかかったのは、消火剤の調達に時間がかかったからといわれている。油火災への備えがなかったことは深刻な不備と言わざるを得ない。
変圧器が機能しなければ、外部電源喪失事故という特に沸騰水型原発では恐れられている事故となる。直ちに非常用のディーゼル発電機が起動することになっているが、この起動の信頼性は必ずしも高くなく、地震により起動しない恐れもある。炉心燃料は自動停止した後も高熱を発しているため冷却を続ける必要があり、これに失敗すると燃料は溶融して高濃度の放射能が環境に放出されることになる。場合によってはその後に爆発を伴うこともあり得る。それほど重要なことを内包する火災だったが、東京電力は変圧器が機能し続けていたか、非常用電源が起動したかなどの重要な情報を発表していない。
さらに東電は6号炉で放射能を含んだ水が放水口から海に放出されたと発表した。発表では6万ベクレルである。この発表がそのとおりとすれば、放射能による環境や人体への影響はほとんどないと言えるかもしれないが、そう言うには放射能の種類ごとのデータが不可欠だ。
また、漏れの原因については十分に調査されるべきである。使用済燃料プール水が揺れで溢れだした可能性は高いが、例えば、プールに亀裂が入っていることも、プール水循環装置からの漏えいも考えられる。このような場合、漏えいは止まらず、早急な対策が取られなければならない。水漏れから放射能の確認まで6時間近くたっており、原因究明が急がれる。使用済燃料プール水の溢れだしは地震のたびにおきていることからすれば、海への放出にまで至ったのは明らかな対策の不備である。
建屋内の情報が公表されないので被害状況が分からないが、機器や壁などがさまざまな影響をうけているに違いない。今回の地震の揺れは設計用限界地震(実際には起こらないが念のために想定する地震動)として想定した値を超えていた。東電の発表によれば、最も厳しい場合が1号炉でおよそ 2.5倍に達している。今回の地震は東西30㎞、深さ25㎞の断層が破壊されたという。そして、原発建設時にはこの断層は検討されなかった。検討されていたのは20㎞も先の中越地震を起こした断層の一部だ。耐震設計の甘さが否めない。想定外の場所で想定を超える地震が発生したことから、陸域・海域を含め周辺の地盤や地層の十分かつ厳密な調査を欠くことはできない。東電はまずこれを進めるべきである。
2005年8月16日の宮城県沖地震、07年3月 25日の能登半島地震、そして今回の中越沖地震、わずか2年ほどの間に3回もそれぞれの原発での設計用限界地震を上回った地震が発生している。原子力安全委員会は06年9月に耐震設計審査指針を28年ぶりに改定し、電力各社は既存原発に対して新指針に基づく耐震安全性チェックを進めているが、ほんらいはすべての原発を止めておこなうべきことであろう。原発を稼働しながら数年内にチェックを終えればよしとしている原子力安全・保安院の現在の姿勢は根本的に見直されるべきである。

2007年7月17日 (火)

雑記(13)「私の内閣」

本日(17日)の毎日新聞の「新聞時評」で静岡県立大学の小針進教授が、同紙6日の夕刊のコラム「近事片々」を引用している。私はこのコラムを見落としていたので紹介しておく。いわく「安倍さんが連発する『私の内閣』という言葉には、内閣が私有物のような語感が付きまとう」と。

実は私は「全く同感」と拍手したくなるのだ。

日ごろ、この「私の内閣」という安倍首相特有のフレーズを聞く度にヤーな感じがしていたのだ。幼児性のようなものを感じてならないのだ。普通だったら、例えば「安倍内閣では」とか表現することで多少なりとも、相対化するところなのではないか。特に安倍首相がいうからよけいと、お坊ちゃんが自己の所有物だと言いはっているような感じがするのかもしれない。すこぶる危なっかしい。

そしてその「私の内閣」が立法府である国会の運営に口を突っ込み、強権的に強行採決を乱発した。あるいは「私の内閣」に幾多の諮問機関をつくり、あたかもそれを公的機関のように偽装する。そうやって「私の内閣」が従来の内閣の憲法解釈すら「私の解釈」に置き換えようとする。あるいは「私の内閣」の間に「憲法を変える」ということで、憲法まで私物化する。

安倍内閣の下では立憲主義が逆立ちさせられている。なにくわぬ顔で「公僕」が「主人公」になっている。今、これに「ガツン」とやらないと、かつてのワイマール憲法の下でナチスが権力を私物化した二の舞になるのではないか。そのように、病床で「九条の会」の小田実さんがくり返しくり返し警告している。我らは小田さんの警鐘をしかりと受け止めなくてはなるまい。(高田)

2007年7月 9日 (月)

雑記(12)SIGHT 2007 SUMMERについて

本屋に行って雑誌を捜していたら「SIGHT 2007 SUMMER」というのま目に入った。読者の方は「今ごろそんなこといってんの?」と言うかも知れないが、私はこの雑誌は知らなかった。これが結構面白い。

リベラルに世界を読む 渋谷陽一責任編集

総力特集 反対しないと戦争は終わらない

×9条改正  対談:坂本龍一×藤原帰一

加藤紘一  菅直人   枝野幸男  中村哲/内田樹/大芝亮  高橋源一郎×斎藤美奈子

などなど、いろいろな人が出てくる。なかにはなぜこの人かというのもいるかも知れないが、そこいらは大まかでいいんじゃないかと思う。

 

「対談:坂本龍一×藤原帰一」から一部、見出しを拝借する。

藤原「日本核武装論?素人がカミソリで遊ぶのはいい加減にしてもらいたいです」

坂本「ぼくたちミュージシャンに誰も理論なんか期待していないでしょ。言いたいことがあるんならいえばいいだけのことです」

坂本「なんで、みんながアフガン攻撃はしょうがないと思ったのか理解できない。論理が全部、飛んじゃうんだろうね」

藤原「イラク戦争では、プロが非現実的なことを言い出したので、びっくりしました」

藤原「アメリカは十分なインテリジェンスに基づいて戦争してるっていうけど、とんでもない誤解です」

坂本「変な言い方だけど、左がいなくなっちゃったよね」

坂本「問題があればスピークアウトする。それは市民として当たり前のマナーだよね」

藤原「だってイラク戦争って、日本の自衛戦争ですらないでしょう?」

面白いよねえ。

加藤紘一の「何があっても口を閉ざしません。政治家は話すことが仕事ですから」「『乱暴でもいい、たくましく行こう』という外交は危ないですね」などというのも面白い。

菅直人の「安倍総理は左翼コンプレックスなんです。『美しい国』は日教組をやっつけろってことじゃないですかね」なんてのも面白い。まあ、いろいろ言いたいけどね。(高田)

2007年7月 1日 (日)

(雑記11)久間防衛相の発言によせて

久間防衛相の「原爆投下、しょうがない」発言が被爆地をはじめ、各方面からの怒りを買っている。防衛庁も防衛省になり、その初代の大臣としていっぱしの戦略家ぶっておきたいという欲求に駆られたのかも知れない。米国の核兵器を使った無差別殺戮という基本問題を忘れて、将棋の駒でも動かしているかのような感覚で飛び出した発言だ。

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。

 米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と指摘。

 また「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べた。(共同通信)

安倍内閣の閣僚の発言が「ともかく軽すぎる」という批判をテレビでしている人がいた。しかし、より大事なことはかれらの発言は「本音」であると言うことだ。おそらく、普段考えていて、あるいは親しい者との会話では日常化していて、それが飛び出しているのではないか。これまでは多くは、そう思っても各方面に配慮して軽々には発言しないということがあったのは事実だろう。閣僚の発言が深い思考に欠けているという点では、たしかに軽いといえば軽いのだが。

久間は特に愚かで、「放言癖」がある。この間、物議を醸す発言があまりに多すぎる。なかには「歯に衣をきせない発言だ」などと好意的に評価する向きもあるが、私は久間は基本的にアホだと思っている。

あとで最近の「弾道ミサイル攻撃は99%防衛できる」という発言を取り上げるが、最近話題になった発言を、思いつく限りをあげても、「(辺野古への掃海艇ぶんごの派遣は)沖縄県民に銃口を突きつけたとの印象を与えたとされたが、掃海母艦は戦闘用でなく、それは違う」(6月末、沖縄で)、「政府はイラク戦争を支持すると公式に言っていない」(昨年12月、国会)、「イラク開戦は、核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ大統領は踏み切ったのだろうが、その判断が間違っていたと思う」(1月、日本記者クラブで)、「普天間基地の移転問題について「私は米国に『あんまり偉そうに言うな。日本のことは日本に任せてくれ』と言っている。県知事の意見も聞き入れながらやっていかなければならないが、米国は根回しが分からない」(1月末、長崎県内での講演で)等々。

ほかにもいろいろあると思う。先の長崎市長銃撃でもとんでもない発言をしてひんしゅくを買ったはずだ。特にイラク開戦批判(事実、あたっている面もあるが、それなら今国会で強行採決したイラク特措法の延長はやめるべきではなかったか)では米国当局を怒らせて、しばらく米国政府は久間防衛相をシカトし、日米防衛首脳会談が設定できなくなったほどだ。

この久間という人物の今回の発言は、もしかしたらこの間の対米批判発言に対する穴埋めという意図でもあって、米国にゴマを擦ったつもりだったのではないか。

真意の詮索はさておき、「弾道ミサイル攻撃は99%、防衛できる」(6月末、沖縄で)という発言については一言、コメントしておきたい。

久間章生防衛相は24日、沖縄県宮古島市のホテルで講演し、北朝鮮などから弾道ミサイル攻撃を受けた場合の防衛態勢について「今のミサイル防衛 (MD)システムで99%は排除できる」との認識を示した。日本のMDは、海上配備のSM3ミサイル、地上配備のPAC3ミサイルの2段階で迎撃する仕組 み。久間氏は「今のSM3で9割以上迎撃でき、外れた1割をPAC3が撃つ確率は9割」と説明した。

安倍首相がいま、その私的諮問機関「集団的自衛権に関する有識者懇」に検討させている「日本付近を通過して米国に向かう弾道ミサイルを迎撃するのは違憲かどうか」という議論が、実はそうした迎撃を可能にする軍事的能力をいまの自衛隊は持っていないこと、それを実現するには膨大な資金と日時を要すること、その意味で机上の空理空論であることは知られている。

しかし、防衛相たる久間のこの発言もトンデモものだ。海上配備のSM3で9割というが、たしかに米海軍は昨年までに8回迎撃実験をして7回成功している(これが9割ということか)。しかしこの実験は各1発で、弾道ミサイルの発射地点、発射時間、発射方向などがほとんどわかっている上での迎撃実験だ。複数弾頭とか、おとり弾頭とか、多連続発射でもない。これらに対応できる「SM3-2」というイージス艦搭載迎撃ミサイルの共同開発はいまだ予定も立っていないのが現状だ。

地上配備の「パトリオットPAC3」による迎撃体制はどうか。これは沖縄の米軍嘉手納基地に配備され、先ごろは埼玉県入間の自衛隊基地に配備されたが、8発という(1発8億円)。その射程距離は20キロ以下で、横田基地を守るか、自走発射機で移動して、国会と皇居を守るしかない。先日、一部、新聞でこの移動訓練の実態が報道されていた。近々に横須賀、習志野、霞ヶ浦にも配備する計画だが、全部合わせても32発。さらにここ数年かけて、阪神・中京地区、佐世保など北部九州、三沢など青函地区に合わせて32発配備する計画だ。いずれにしても、命中精度100%と仮定してさえ、射程範囲20キロのPAC3を配備予定分全てを日本列島に並べても、ごく一部しかカバーできないのは明らかで、どこから99%という数値が出てくるのか。たいした防衛相ではある。(参考文献「北朝鮮・中国はどれだけ恐いか」田岡俊次・朝日新書)

私は常々、講演では「いかに戦争に備えるか」ではなく、「いかにして戦争を防ぐか」だといっている。(高田)

http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY200706300263.html

http://www.47news.jp/CN/200706/CN2007063001000274.html

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070625k0000m010035000c.html

http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070128/ssk070128000.htm

2007年6月26日 (火)

(雑記10)小田実さんの新著などのこと

4月27日、小田実さんを「九条の会」のKさんとともに西宮のご自宅に訪ねた。そのときに小田さんから、今度、6月にNHK出版から新書を出すよと聞いていた本が、このほど本屋に出た。
「中流の復興」という「NHK生活人新書」というシリーズの本である。帯には「日本の『中流』が世界を変える」とある。もうこれだけで物議を醸すかも知れない。しかし、とにかく読んでみて頂きたい。私も読み始めている。
出だしが面白い。小田さんはアレン・ネルソンが「実戦の中では音楽がない」といった話を紹介しながら、戦争をドラマやドキュメンタリーで見る場合、「臭いが伝わってこない」「実際の戦争には音楽はないが(鉄と死体の)臭いがある」という。なるほどと思った。これは本当の戦争を知った者が言える言葉だ。私は戦争末期に生まれ、この臭いを知らない。
友人の内田雅敏弁護士が「靖国問題Q&A」(出版・スペース伽耶)という本を出して、そのサブタイトルが「『特攻記念館』で涙を流すだけでよいのでしょうか」とある。これも特攻の実態を知らないままに、特攻を礼賛する安倍晋三首相のような考えへの痛烈な批判である。じつはこれも読み始めたばかりだ。
そしてもう一冊、読み始めているのが若い友人、ジャーナリストの志葉玲クンが書いた「たたかう!ジャーナリスト宣言~ボクの観た本当の戦争」(社会批評社)だ。最近のイラク戦争、レバノン戦争に取材して書きあげた本だ。
この3冊を同時に読みながら、これからの九条をめぐる攻防に思いをめぐらしている。
小田さんは、「あとがき」にかえて~友人への手紙から、の最後で、「できるかぎり、書きつづけていこうと思っています……ではおたがい、奇妙な言い方かも知れませんが、生きているかぎり、お元気で」と書いている。この小田さんの手紙を見て、西宮に駆けつけたのがこの小文の冒頭のところにつながる。(高田)

2007年6月13日 (水)

(雑記9)安倍内閣の各種の諮問機関など

気のあった仲間だけを集めて、結論がさきにありきの諮問機関をつくり、議論させて、さも権威ある機関が議論しているかのようなペテンをやる安倍首相の政治手法は危険だ。
集団的自衛権行使の問題で安倍首相がつくった私的諮問機関「有識者懇談会=安全保障の法的基盤整備の再構築に関する懇談会」について考えているうちに気になったので調べてみた。安倍内閣の使っている私的諮問機関や各種の政策会議などの一覧をサイトでみると以下のようなものがある。ざっと見で、80~100ほどもあろうか。安倍政権になってからも20ほどの機関をつくっているようだ。
安倍首相がこの間、日本会議などの仲間と共におだをあげていたトンデモの議論をここで権威付け、マスコミを使って世論操作をやるのだ。これはファシズムの政治手法ではないか。(高田)

首相官邸のサイトから=政策会議等活動情報
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/index.html
内閣官房のサイトから=各種本部・連絡会議などの活動情報
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/katudou.html

2007年6月 7日 (木)

雑記(8)自衛隊情報保全隊、人権を無視して系統的に市民情報を収集

共産党が内部情報資料を暴露

(これはあるメディアに依頼されて書いた原稿を若干手直しして掲載するもの)

イラクへの自衛隊派遣に関する市民の監視活動などについて調査した陸上自衛隊東北方面情報保全隊作成による内部文書が、6月6日、日本共産党の志位和夫委員長の記者会見で暴露された。文書は2種類、A4版で166枚におよぶ。ひとつは2004年1月7日から2月25日までの期間のうちの5週間分の収集情報の資料、もうひとつは2003年11月24日から2004年2月29日までの家、6週間分の「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」と題する文書。イラク反戦関係だけでも監視対象とされた団体・個人は41都道府県293団体・個人であり、さらにイラク派兵反対の活動の他、医療費負担増に反対する運動、年金改悪反対運動、消費税増税反対運動など、直接自衛隊とは関係のない各種の運動にまで監視対象を拡げていることがわかる。また報告書はこれらの監視対象を記号で区分しており、共産党(系)、社民党(系)、民主党(系)、連合、新左翼、これら以外の市民運動などの表示がある。報告には集会やデモの写真まで貼付されている。

例えば、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」も構成団体になっている「WORLD PEACE NOW」は「反戦市民」という分類だ。2004年2月の報告では「World Peace Now(ママ)を代表とする各地の反戦市民団体は、インターネットなどを通じ、連携を呼びかけ、各地の団体が同一日同一時刻に呼応する抗議行動を行うなどの全国的な連携が認められたが……」などとして、活動を監視していることが明らかにされた。資料が短期間に限定されているのでWPNに関する記述はあまり多くないが、それでも報告では、「イラク入りしたフリージャーナリストのC」「反戦市民団体代表、画家の(a)」など、WPN関係者の特定の人物をあらわす表現もある。WPNの活動の中で、集会の周辺でうろつき写真を撮る不審な数人のグループに抗議して逃げ去られ、この件で付近にいた公安刑事を追及すると「あれはわれわれの関係者ではない」などと弁明するので、「ではあれは何者か、自衛隊か」と追及したことが一再ならずあったのも事実だ。確かにこの連中は公安とは異なった雰囲気を持つ者たちで、私たちは当時、活動の中で自衛隊調査隊の影を実感していた。今回の文書はこれを裏付けた形だ。

一方、04年1月の記述では、民主党の増子輝彦衆院議員(当時)が隊友会の新年会の祝辞でイラク派兵反対の言及したことについて、「反自衛隊活動」に分類し、隊友会幹事長が「今後、同議員を隊友会名誉会員から外し、隊友会の公式行事には招待しない」ことを示唆したなどと記録している。監視は市民団体、労働団体だけでなく、民主党の国会議員にまで及んでいた。

今回、暴露された文書は東北方面隊の作成による短期間のものだけで、まさに氷山の一角にすぎない。各方面隊などの機関がひきつづき市民運動や労働運動、宗教団体、政党などの活動を監視し、スパイ・調査活動に従事していることは疑いない。久間防衛相は「自衛隊の写真撮影なども差し支えない」と居直り、さらに、「年金改悪反対」や「消費税増税反対」など自衛隊の活動とは無関係な分野の情報を集めていた点についても「公開の場に出かけて、事実として把握するだけの話。踏み込んだということにならない」との考えを示し、塩崎官房長官も「法令の範囲内なら問題なし」と強弁している。

しかし「自衛隊の情報を守る」ことを口実にして設置された軍事組織の機関が、民間の運動を監視すること自体が自衛隊法にすら定められていない違法な活動であり、憲法に定められた基本的人権を侵害する重大な違法行為で、決して許されるものではない。先の海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」の辺野古派遣といい、今回の情報保全隊の報告書といい、事態はここまで来たかという思いを強くする。
なお、この「情報保全隊」とは2003年3月以前は「調査隊」と呼ばれていたもので、陸海空3自衛隊に設けられているもので、中央直轄の本部のもとに5つの方面隊ごと(今回の文書は東北方面隊のもの)に置かれ、隊員総数約900人という。(高田)

2007年6月 4日 (月)

雑記(7)聖徳太子非実在説について

 大山誠一氏の聖徳太子非実在説はひそかに私も注目してきたもので、本日の毎日紙の夕刊に記事が載っているので、紹介しておきます。憲法調査会などでの改憲派の国会議員が「十七条憲法=日本最古の憲法」とか、「以和為貴(和をもって貴しとなす)=これぞ日本精神の神髄」などという愚かな議論を聞いていると、その憲法論の水準の低さにあきれるのだが、そうした面々には、こういう説もあることを知ってもらいたいと思う。「十七条の憲法」は憲法という用語こそ同じではあるが、近代憲法などとは目的も意味もまったく異なるのであって、いまさら「わが国最古の憲法」もないものだ。厩戸さんは実在したが、太子さんは作り上げられた偶像だとする大山説は注目に値すると思う。
 わが友人の皆さんにもこの毎日の記事は読んで頂きたいと思うので、紹介しておきます。(高田)


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20070604dde014040021000c.html

聖徳太子非実在説:発表10年 進む大山誠一教授の研究

 ◇万世一系への疑問も--見えてくる意外な天皇制像

 「聖徳太子はいなかった」とする大胆な学説を大山誠一・中部大教授(日本古代史)が発表して10年。美術史や仏教史も含めた広い範囲で通説の根本的見直しを迫り、学界の衝撃や反発も強かった。正統アカデミズム発の説としては抜群の話題性を持つ非実在説の現況や今後の構想について、大山氏に聞いた。【伊藤和史】

 高校の日本史教科書の一つ、『詳説日本史』(山川出版社)最新版(02年度検定)では、「厩戸(うまやと)王(聖徳太子)」と太子がカッコ内に入っている。一つ前の97年度検定版では「聖徳太子(厩戸皇子)」と逆だった。聖徳太子は主から従に転落したわけだ。

 「歴史学の世界では、聖徳太子が実在の人物ではないという理解が定着したのではないか。もちろん、実在を守りたい人は次々現れたが、『いないとは言えない』といった反論だけで、実在の根拠を示す研究は皆無だった」

 自信を深める背景には、論拠の個別研究の進展がある。最大の成果の一つが刺しゅうの入った帳(とばり)「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」(国宝、中宮寺蔵)の年代論という。622年の太子の死の直後、悲しむ妻の一人によってつくられたとされてきた。ところが、銘文に7世紀末に使用が始まる暦の儀鳳暦(ぎほうれき)が使われていることが判明し、推古朝製作説が明確に否定された。

 「根拠を示せない実在論が消えるのは時間の問題です。そろそろ次の段階に進む時」と、今はより壮大な課題に取り組んでいる。聖徳太子を創作した『日本書紀』全体への疑問である。この課題は万世一系や高天原(たかまのはら)神話がいつ、どのように生まれたかなど、天皇制の解明に直結する。

 「高天原の概念は持統天皇が孫の文武天皇に譲位する際に創出されたと考えられる。まず持統→文武の関係からアマテラス→ニニギノミコトの関係がつくられ、ニニギを高天原から天孫として降臨させた。さらに、高天原と文武を直結させる必要から、途中の天皇も一系でなければならず、高天原・天孫降臨・万世一系の神話が成立した」

 こうした見解は、従来の神話観に重大な再考を迫るものだ。神話が太古にさかのぼるものではなく、全く新たにつくられたというのである。

 日本と朝鮮の関係の見直しも迫る。一例として、ニニギが降臨した先の「クジフルタケ」と同音の山が釜山近くに実在し、朝鮮で王が天から下ったとする神話に注目する。朝鮮神話を日本が模倣したのではないかというわけだ。

 「記紀には日本の古いものが集められ、文字化されたと思われているが、実際には朝鮮語が多く含まれている。滅亡した百済や高句麗人がどっと入ってきた時期だから、影響が大きいのは当然です」

 過去の万世一系が虚構ならば、古代王権の実態もまるで変わってくる。現在のような一貫して男系でつながるようなものではなく、さまざまな勢力の寄せ集まりの中から有力者が即位する--これが大化の改新以前の王権の姿だとみる。そうすると、蘇我(そがの)馬子なども即位していた可能性が高くなる。定説とは全く異なる歴史像が見えてくる。

 「大化の改新後、中央集権化が進み、一応、中国的な皇帝権力が生まれた。それを日本の文化の中にどう表現し、誰に皇位を継がせるかというのが『日本書紀』の構想。その際、事実と異なる妙な男系の万世一系の論理で編さんしたため、非常に大きな無理が生まれた。神話をつくり、聖徳太子をつくったのも、その無理を隠すためでしょう」

 ◇「捏造」表現に抵抗ある--近著『聖徳太子と飛鳥仏教』で、大山説に批判的検討を加えた曽根正人・就実大大学院教授(日本仏教思想史)の話

 後世に造形され、肥大化した聖徳太子がいなかったという点では大山説に反対しない。厩戸王の実像をどう考えるかでは見解が違う。歴史物語の研究によれば、全くのゼロから記事がつくられた例がない。素材となった記録・記事が何であるかは今後の課題だが、皆無とは考えにくい。例えば、十七条憲法が捏造されたという表現には抵抗がある。従来、飛鳥時代の仏教理解を余りに高く考えすぎた。厩戸も周囲から抜きんでてはいても、まだ世俗的な理解であり、仏教の本質までは理解してはいなかった。十七条憲法も官人心得として一般的な内容であり、厩戸がつくったとしても不自然ではない。

==============

 ◇聖徳太子非実在説

 通説によれば、聖徳太子(本名・厩戸王)は飛鳥時代、推古女帝の摂政として冠位十二階や十七条憲法の制定、小野妹子の隋派遣などの優れた政治的業績を上げた。また仏教のハイレベルな理解者であり、仏教興隆にも貢献した。

 ところが1996年末、大山氏が「聖徳太子に関する確実な史料は皆無。厩戸王は実在したが、太子としての数々の偉大な業績は『日本書紀』編さん時に捏造(ねつぞう)された」とする論文を発表。律令制が確立され、藤原氏が政治的実権を握りつつあった持統~奈良朝の時代状況を背景に、藤原不比等らが「天皇制の中に中国的な聖天子像を取り入れる必要があったから」と捏造が行われた理由を説明した。

毎日新聞 2007年6月4日 東京夕刊

2007年5月29日 (火)

雑記(6)・松岡の自殺と安倍ネオコン内閣の人脈

松岡利勝・農林水産相は「ナントカ還元水」で有名になった政治資金管理団体の事務所費問題や、緑資源開発機構の官製談合事件にまつわる関連団体からの資金供与問題などで疑惑の渦中にあったが、何も説明しないままに5月28日昼、議員宿舎で自殺を遂げた。続いて29日には緑資源開発機構の「陰のドン」とよばれていた、機構の前身、森林開発公団の理事長をしていた山崎進一氏が自殺した。これによって問題は闇に葬られてしまう可能性が出てきた。これらの連続自殺にシナリオがあるか、ないかはさておいても、こんなことは断じて許されない。

安倍首相は松岡農相の責任を追及する野党や世論のまえに一貫して農相擁護の姿勢を堅持し、かばいつづけた。松岡農相は辞めるに辞められなかったようだ。安倍晋三首相の責任は重大だ。

安倍首相がかくも自分の閣僚を擁護するには、内閣誕生にまつわる背景がある。私は昨年の安倍政権誕生以来、各地の講演で語り続けたことだが、日本版ネオコンともいうべき安倍内閣とその思想的人脈を概略確認しておきたい。

安倍内閣とは、安倍私党内閣であり、「日本会議」内閣であり、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」内閣であり、最近では価値観議連を応援団とする内閣であり、戦後保守傍流が主流に躍り出た、日本版ネオコン内閣だ。

それは1997年5月に結成された日本会議国会議員懇談会(日本会議議連、会長:平沼赳夫、参加者は248[235名?]名)であり、その幹部は麻生太郎・前会長、中川昭一・前会長代理、高市・安倍等も座長を務めた。民主も25人おり、安倍も2年前までは副幹事長だった。安倍内閣の閣僚18人中、日本会議国会議員懇談会メンバーが11名(渡辺喜美が補充で12名)いる。安倍晋三首相、菅義偉総務相、長勢甚遠法務相、麻生太郎外務相、尾身孝次財務相、伊吹文明文科相、松岡利勝農水相、甘利明経産相、若林俊環境相、塩崎恭久官房長官、高市早苗沖縄北方担当相、渡辺喜美規制改革担当相。

首相補佐官の議員4名は全員日本会議。官房副長官の議員2名も。官房長官も日本会議。首相、首相補佐官、官房は官僚以外は全部日本会議。まさに、日本会議内閣そのものだ。メンバーには島村宜伸、麻生太郎、安倍晋三、山谷えり子、稲田朋美、平沼赳夫、中川昭一、高市早苗、下村博文、西村真悟等、極右分子がズラリといる。

同様に「日本の前途と歴史教育を考える(若手議員の)会」の元幹部たち出もあり、安倍、高市、下村、山谷、中川、中山成彬、らがそのメンバーだ。

安倍の施政方針演説でのべられた「価値観外交」を掲げて、最近、若手を中心に価値観議連がつくられた。真の保守主義(復古的な価値観)を標榜するもので、事実上の安倍派といわれている。会長に、郵政民営化問題の復党組の古屋圭司衆院議員(日本会議議連副会長、安倍と成蹊大の同窓)が付き、顧問・中川昭一、事務局長・萩生田光一衆院議員(日本会議議連事務局長)の体制で、古屋-萩生田コンビは新憲法制定促進議連の座長-事務局長コンビでもある。下村博文官房副長官、山谷えり子補佐官らも加わっている。中川、古屋らによれば、中国は一番近くて脅威の国だ。共通の価値観を持つ国ではない(中川)、人権擁護法案、皇室典範、靖国参拝、国民投票法、民法772条(嫡出の推定)の問題はいずれも思想信条に直結する(古屋)、というもので、復古主義的だ。古屋は中川の父親らの「青嵐会」を高く評価している。

最近(4月に結成)では「家族の絆を守る会」(日本会議系地方議員)も活動しており、顧問に古屋、稲田、西川京子、萩生田らがついている。

ついでだが、例の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(有識者懇談会)」のメンバーは、座長:柳井俊二(前駐米大使、国際海洋法裁判所判事)、岩間陽子政策研究大学院大学准教授/岡崎久彦NPO法人 岡崎研究所理事長・所長/葛西敬之東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長/北岡伸一東京大学大学院教授/坂元一哉大阪大学大学院教授/佐瀬昌盛拓殖大学海外事情研究所客員教授/佐藤 謙財団法人 世界平和研究所副会長/田中明彦東京大学教授/中西 寛京都大学教授/西 修駒澤大学教授/西元徹也NPO法人 日本地雷処理を支援する会会長/村瀬信也上智大学教授で、集団的自衛権合憲論に導く意図が明白な構成だ。

安倍政権は財界の御手洗経団連(御手洗ビジョン「希望の国 日本」)とのブロックを積極的に強めている。中東訪問には数百人の大型経済ミッションも同行した。御手洗会長が率いる財界訪問団の首相同行は昨年11月のベトナムに次いで、2回目だ。財界内には「官邸と密着し過ぎると外交を巡る政治的思惑に巻き込まれる」と懸念する声もある。しかし、御手洗会長は「(外交でも)政府と企業は車の両輪」と経団連関係者に話しており、今後も積極的な「財界外交」を展開しそうだといわれる。

安倍晋三のブレーンはこんな人物たちだ。日本の言論界の極右に属する伊藤哲夫・日本政策研究センター所長(元成長の家活動家)、西岡力・東京基督大学教授(救う会常任副会長)、島田洋一・福井県立大学教授(救う会副会長)は憲法を「敵前逃亡憲法」と批判、八木秀次・高崎経済大学教授(元・新しい歴史教科書をつくる会会長、現在「日本教育再生機構」(06年6月結成、西岡、島田、中西も発起人)代表、中西輝政・京都大学教授、岡崎久彦(元・駐タイ大使)らの10年来の信頼関係というブレーンに依存。この連中は核武装論や、憲法改正論で安倍とは10年来の交友関係だ。

安倍内閣は、自らの仲間だけを周辺に置き、その意見で政治をやろうとしている。こうした政治手法は波に乗っているときには強く見えるが、柔軟性がなく、意外ともろい側面を持っているのが常だ。松岡事件はその証明だ。

こんなネオコン、改憲暴走内閣を何としても包囲し、打倒しよう。(高田)

2007年5月14日 (月)

雑記(5)~この10年のたたかいをふりかえって

 本日、5月14日、改憲手続き法が参議院本会議で採択されたとき、私は「5・3憲法集会実行委員会」の皆さんと共に、参議院議院会館の前、議事堂の参議院の裏にいた。市民連絡会もオレンジののぼりを2本出し、憲法会議、憲法を生かす会、宗教者平和ネット、キリスト者ネット、YWCA、日本山の南無妙法蓮華経の幟などが林立した。議面集会には150人以上の人々が詰めかけ、社民党や共産党の議員の報告に耳を傾けた。

この日、私は多くのメディアからのインタビューを受けた。事務所に戻ってからも電話が幾つもあった。記者さんたちは一様に「たいへんですね、厳しいですね」「どんな感想をお持ちですか」「今後はどうするのですか」などという問いかけで始まる。

私は質問を受けながら「少し違うな」と感じていた。

10年前(1997年)の5月、私たちは議員会館の裏のキャピトル東急ホテル前で早朝から抗議行動をしていた。憲法調査会の設置をめざす「改憲議連」(中山太郎会長)の結成への抗議だった。憲法50周年運動という市民運動が5月3日、江戸東京博物館で開いた数百名規模の市民集会を経て、

一旦、解散しようとしていた矢先に、この議連が準備されているというベタ記事を見て、「これでは解散もできない」と皆で相談して始めたのが、以降のながいながい改憲議連との闘いの始まりだった。その後、全国ネットワークとしての「許すな!憲法改悪・市民連絡会」も結成された。

1999年6月には自由党大会で改憲手続き法の必要性が主張され、自由党は国民投票法案と国会法改正案をつくった。この年の145通常国会は地獄の釜のフタが開いた(佐高信)といわれた国会で、ここで憲法調査会の設置が決められた。2000年1月に両院に憲法調査会が設置された。私はこのときから国会審議の傍聴をはじめ、それを毎週のように「週刊金曜日」にコラムを書いて報告し始めた。以降、5年半にわたって、私は地方公聴会も含めて憲法調査会の全審議を傍聴することになった。3月には市民と学者、弁護士、ジャーナリストなどによる「憲法調査会市民監視センター」も立ち上がった。

各方面から期せずして運動の共同の模索が始められ、2001年5月、それまでは別々に開いていた憲法記念日の集会が統一して、「5・3憲法集会」が日比谷公会堂で開かれ、社民党の土井党首と共産党の志位委員長が壇上に立った。当時では画期的な一日共闘で、メディアも大きく注目した。これは以来6年、計7回の共同集会をやり、今日では5月3日以外にも日常的に共同行動をするようになってきた。ちなみにこの165通常国会では計14回の議面集会、日比谷野音での集会2回、5波にわたるヒューマンチェーンという国会前行動、国会初日の院内集会、上野や新宿での街頭宣伝などをやるようになった。

2001年11月、改憲議連は「国民投票法案」の改憲議連案をつくって発表し、国会で採択するよう要求した。「許すな!憲法改悪・市民連絡会」はただちにこれを批判し、法案反対の署名運動を呼びかけた。

2003年春にはWORLD PEACE NOWの大規模な運動がくり広げられた。

こうした共同の運動の拡がりの中で、2004年春から「九条の会」が準備され、6月に呼びかけが発表された。以降、九条の会は急速に全国に組織され、今日、その数は6000を超えた。

市民連絡会の仲間たちも、署名やリーフレット、ビラなどを精力的につくりながら、全国的なネットワークを拡大していった。私もこの数年、全国各地で講演をしたりしながら、市民のネットワークを強めて来た。

こうした中で、2006年5月に国会に「改憲手続き法」案が出された。

先般の読売新聞の世論調査が示す「V字型」のグラフは、この10年の中で、後半の3年が明らかに「9条改憲するな」の声が増大していることを示した。またこうした世論を背景にして、民主党も与党批判を強め、憲法調査会で中山会長らが一貫して追求してきた法案の自公民3党による共同提案も失敗した。

安倍首相の焦りにも似た対応により、法案は成立したが、はたして私たちは敗北したのだろうか。法案を成立させないという政治的闘いでは明らかに敗北した。しかし、彼らが目標とした「改憲」はこれによって近づいただろうか。私はそうは思わない。これが今日のインタビューでの私の違和感の根底にある。厳しくない、緊張していない、といったらウソになる。しかし、私たちには敗北感はない。同じ法案阻止の闘いであっても、有事法制阻止などの課題で闘ったときとは、なにか違いのようなものを感じている。

私はかつてうたっていた歌の歌詞をかりて「たたかいはここからだ、たたかいはいまからだ」と言った。意地をはっているのではなく、本当にそう思う。(高田健)  

2007年2月26日 (月)

(雑記4)「日本は同質的な国」「人権メタボ」と文科相発言

伊吹文科相のこの発言を見ると、この手合いはつくづくどうしようもない人びとだと思ってしまう。実にこれが文科相の発言だから恐れ入る。記事にある中曽根発言もそうだが、憲法調査会でも「単一民族論」は私の記憶では少なくとも3回、飛び出した。自由党の藤島正之委員らと、参考人で出てきた中教審の鳥居会長の発言だ。

この人びとには日本史に関する基礎知識がなく、皇国史観で教えられた「知識」がしっかりと刷り込まれてしまっている。網野善彦氏の研究を引き合いに出すまでもなく、中世以前の日本列島は「大和民族が統治してきた」などとは言いようがない。これは九州、沖縄や東北、北海道の歴史をひもとくだけで容易にわかることだ。

まして、この人権に関する発言はなにをか言わんやだ。(高田)

http://www.asahi.com/politics/update/0225/010.html

「日本は同質的な国」「人権メタボ」と文科相発言

 伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で、「大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国」と発言した。「教育再生の現状と展望」と題して約600人を前に講演し、昨年12月に改正された教育基本法に触れて「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とも語った。

 同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについては、「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」と説明。人権をバターに例えて「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。

 86年には、当時の中曽根首相が「日本は単一民族」と発言し、アイヌ民族から抗議を受けた。

2007年2月19日 (月)

雑記(3) 絶対的な忠誠だって?

「絶対的な忠誠、自己犠牲の精神がもとめられる」んだって

問題発言が相次ぐ安倍内閣の閣僚の姿勢に対する中川秀直のいらつきかも知れないが、これも「暴言」ではないのか。封建時代まがいの「絶対的な忠誠」などという言葉が飛び出す感覚は異常ではないか。これが問題にならないのはおかしい。こんな奴輩に民主主義など語る資格はないのだ。(高田)

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20070219k0000m010050000c.html

中川自民幹事長:「忠誠心なき閣僚は去れ」講演で苦言呈す

 「安倍晋三首相が(閣議で)入室したときに起立できない、私語を慎めない政治家は美しい国づくり内閣にふさわしくない」。自民党の中川秀直幹事長は18日、仙台市で講演し、異例の厳しい表現で政権内の緊張感欠如に苦言を呈した。

 中川氏は「閣僚、官僚のスタッフには首相に対して絶対的な忠誠、自己犠牲の精神が求められる。首相の当選回数や、かつて仲良しグループだったかどうかは関係ない」と強調した。

  閣僚の相次ぐ失言や、正副官房長官、首相補佐官らの連携不足が首相の指導力発揮を妨げているとの党内の懸念を代弁した形だが、中川氏のボルテージは上がる 一方。「自分が目立つことを最優先する政治家や、野党の追及が怖くて改革を進められない政治家は、内閣・首相官邸から去るべきだ。首相を先頭に一糸乱れぬ 団結で最高峰を目指すべきだ」とぶち上げた。【大場伸也】

毎日新聞 2007年2月18日 19時41分 (最終更新時間 2月18日 19時45分)

2007年1月17日 (水)

雑記(1)福島県の自由民権運動のことなど

雑記(1)

福島県の南相馬市に住む友人のつてで、同市内の「はらまち九条の会」で講演をすることになった。講演依頼の手紙の中に、話の内容についての希望があって、私の通常のテーマである①改憲問題の現状、②改憲を阻止するために私たちができること、と合わせて、③ふるさとの憲法学者鈴木安蔵について、と書いてあった。

「ふるさとの憲法学者」、鈴木安蔵というのだ。

私も福島県の生まれだが、中通り地方の三春町の在だ。今は私の村は郡山市に組み込まれている。南相馬市は浜通り地方で、合併前は相馬原町や小高町などであり、鈴木安蔵は1904年にこの小高町に生まれた。その後、京大に入り、治安維持法違反第一号事件の「学連事件」で検挙された。以降、憲法学などを研究し、敗戦を経て、1945年に「憲法研究会」案の憲法草案要綱を起草。これがGHQに注目され、日本国憲法の制定に大きな影響を与えた。今、この鈴木安蔵を主人公にした下映画「日本の青い空」がクランクインしており、3月には完成するということで、全国で自主上映運動が始まっており、私もささやかな協力をしている。

鈴木は釈放後、憲法学、とくに明治期の私擬憲法草案運動などを本格的に研究した。彼は特高の監視下の暗黒の時代に、必ず役立つ日が来ることを信じて、黙々とこれらを研究していた。明治10年代に全国に何百もの民権結社が生まれ、それらの中から、民主主義、人権などを主張する私擬憲法草案運動が生まれた。植木枝盛の「日本国国憲案」や、のちに色川大吉さんらが発掘した「五日市憲法草案」はそれらの中での代表的なものだ。古関彰一さんらの研究で広く知られるようになったが、日本国憲法には鈴木等の努力によって、この明治期の私擬憲法草案運動の成果が引き継がれている。いわゆる「押しつけ憲法」論者は、これらの歴史の事実を認めない。

現行憲法の主権在民の思想は1945年の敗戦から突然に生まれたものではないし、米国の思想の直輸入によるだけというものでもない。それより60~70年前の明治期、すでにこの思想は日本の民衆運動の中で花開いていた。明治10年代の前半には全国各地に澎湃として生まれていた民権結社は憲法準備のための学習・研究に全力を傾けていた。

自由民権運動の最終段階、1884年には秩父蜂起があった。1914年から1925年までは大正デモクラシーの運動があり、「普通選挙運動」があった。民主主義の発展とは連続的、累積的なものだ。それがときおり、光を浴びたり、陰にかくれたりしただけだ。日本の人権思想はその過程で豊かになってきた。

福島県は高知・土佐などに次いで自由民権運動の盛んなところで、のちに歴史に残る福島事件なども起こった。土佐に立志社がはじめて創立された明治8年、早くも中通りの県南の石川町には石陽社が生まれている。これをつくった河野広中は出張の帰り道、馬上でJ・S・ミルの「自由の理」を」読んだと言われ、石陽社の学塾規則第一条では、ベンサム、スペンサー、ルソー、ミル、ブルンチュリー、リーバーらの著作がテキストに指定されていたという。当時の青年たちの熱情の一端がわかる。私の育った三春地方でも河野広中らに代表される「三師社」などがあったし、相馬には「北辰社」があった。鈴木も地元にこのような運動があったことから何らかの影響を受けたに違いないが、私はそれを確かめてはいない。しかし、今、この相馬においては「北辰社」から「鈴木安蔵」、そして「はらまち九条の会」と歴史の糸がつながった。

頃は60年安保闘争の終盤期、私が通学していた郡山の安積高校に、高橋哲夫という名物教師がいた。極度の会津なまりで歴史の授業をする先生で、授業には政府批判がポンポンと飛び出し、学生の興味を惹きつけていた。私はあとで知るのだが、高橋先生はこの福島における自由民権運動の研究の第一人者だった。「福島事件」(三一書房)、「福島自由民権運動史」(理論社)、「加波山事件と青年群像」(図書刊行会)など多数の著作がある。私の歴史好きはこの先生の影響かも知れない。

80年代の後半、私は友人たちと「幕末明治民衆運動史研究会」を立ち上げた。文久3年、千葉で起こった「九十九里叛乱」への関心がきっかけだが、フィールドワークや定例研究会などを積み重ねて、この会は10年ほど続いた。相楽の赤報隊事件、私擬憲法草案運動、秩父困民党なども研究の対象にしていた。当時、カネもなかったが、古本屋を漁り回って、高橋先生の本なども手に入れた。私はこの研究会と同時期に憲法改悪反対の運動にも取り組むことになり、いつしかそちらの多忙さで、「幕明研」は閉じることになってしまった。残念ではある。(高田健)