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許すな!憲法改悪・市民連絡会

護憲

2014年1月 5日 (日)

東京新聞【社説】年のはじめに考える 憲法を守る道を行く 2014年1月5日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014010502000128.html

東京新聞【社説】年のはじめに考える 憲法を守る道を行く  2014年1月5日

 安倍晋三政権は今年、憲法改正まで突っ走るのでしょうか。不安がよぎります。選挙の公約とはいえ、本当に国民はそれを受け入れたのでしょうか。

 吉田茂邸が全焼しました。二〇〇九年のことで、神奈川県大磯町に屋敷がありました。日本国憲法が公布、施行されたときの首相で、戦後日本を長く牽引(けんいん)した、「ワンマン宰相」です。

 総ひのき造りで数寄屋風の「吉田御殿」は、多くの人々が「大磯参り」を続けた政治の舞台でもありました。

 炎上のニュースを知って、詩人で作家の辻井喬(堤清二)は「惜しいことに」と感じました。
◆吉田茂が怒っている

 西武百貨店などセゾングループの総帥でもあった人です。吉田死去後に首相の佐藤栄作から「大磯の吉田邸を君のところで買わんか」と頼まれ、「お引き受けします」と即断した思い出があるのです。池田勇人、三木武夫、宮沢喜一、大平正芳ら、首相経験者とも付き合いがありました。

 吉田邸の建物と庭を思い出しつつ、辻井は回顧録「叙情と闘争」(中央公論新社)の中で、こう考えを巡らせていきます。

 <今日の保守政治の堕落にあの世の吉田茂が烈火の如(ごと)く怒っているのではないか(中略)だから燃えてしまったのだ>

 吉田が戦時中、東条英機ら軍閥の無謀な戦争計画を批判して、憲兵隊に逮捕されたことも、辻井は回想します。

 <僕の考えからすれば、平和憲法とその思想を高く掲げることによって独立国家への道を歩むしかないと思うから、その道は細く険しいのかもしれない>

 <憲法九条を変えて軍備を持ってしまうことは、吉田茂の残した宿題に正面から答える道ではないように僕は思う>

 つまり、今の保守政治に「堕落」の烙印(らくいん)を押し、憲法九条の改正に反対する意思表明です。
◆小さな穴から広がる

 安倍政権は憲法改正を公約して誕生しました。自民党の改正草案は、自衛隊を「国防軍」とする名称変更だけではありません。交戦権の否認条項を削除し、国際協力という名のもとに、戦争に参加することが可能な条文です。

 自由や権利についても、「責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とします。明治憲法と同じ留保付きの人権保障なのです。復古そのものです。

 国家権力を縛るのが憲法の役目なのに、逆に国家が国民を縛る改正草案です。先進国の憲法ではありません。

 昨年に強行可決された特定秘密保護法は、この草案中にも「機密の保持」と明記があり、実質的な改正に向け、脈を打ち始めていると考えてもよいでしょう。

 <政治家の系譜を辿(たど)ってみると、吉田茂を源流とする流れと、戦前のナショナリストの流れにいる岸信介の系譜、この二つがあるように僕には見える>

 辻井はそう観察します。岸を祖父に持つ安倍首相がどちらに属するかは自明です。「戦前のナショナリストの流れ」を引き継ぐ政治家が膨張しているようにも思われる今日の政治状況です。

 終戦前に生まれた国会議員は六十八人にとどまり、戦後生まれは六百五十四人にも達します。最高齢の石原慎太郎氏でも終戦時には、十二歳の少年にすぎません。

 東京新聞(中日新聞東京本社)社会部編の「憲法と、生きる」(岩波書店)では、政界引退した自民党元幹事長の古賀誠氏が、自衛隊の海外派遣について警告しています。

 <たとえ小さな穴でも、一つあけば広がっていく。先の戦争のときもそうだった>

 戦争で父を亡くした古賀氏の政治哲学です。彼は「吉田茂を源流とする流れ」にいた一人です。こうした政治家は、今や少数派になったのでしょうか。

 辻井は実業家として、「池袋サンシャインシティ」を開発します。占領下では「巣鴨プリズン」があった場所です。A級戦犯の容疑者として、岸は三年間、ここで幽囚の日々を送りました。

 郷里の山口県から離れる前に、旧制一高の恩師から「自決」を促す短歌をもらいます。でも、岸はこんな歌を返しました。
◆岸信介は「聖戦」の認識

 <名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ>

 「みいくさ」とは聖戦です。あの戦争に反省さえしません。安倍首相も国会で「侵略戦争の定義は定まっていない」と答弁しています。祖父から同じ歴史認識を受け継いでいると感じられます。

 辻井は昨年十一月に亡くなりました。彼が「細く険しい」という平和憲法を守る道に、私たちは立ちます。

2013年10月21日 (月)

京新聞【社説】坂口安吾と憲法9条 戦争放棄という明察 2013年10月21日

坂口安吾ファンはもとより、相でない人もぜひ読んでもらいたい社説。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013102102000125.html

京新聞【社説】坂口安吾と憲法9条 戦争放棄という明察 2013年10月21日

 戦後の混乱期、「堕落論」で一躍人気作家となった坂口安吾は、戦争放棄の憲法九条を高く評価していました。それは今の時代状況にも通じる明察です。

 坂口安吾は、一九〇六(明治三十九)年のきのう十月二十日、新潟市に生まれました。今年は生誕百七年に当たります。

 東洋大学印度哲学科卒業後、作家の道を歩み始めます。文壇では高い評価を得ていましたが、世評的には不遇の時代が続きます。

 一変するのは戦後です。四六(昭和二十一)年、「新潮」に掲載された「堕落論」でした。
◆本質見抜く洞察力

 <戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕(お)ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない>

 国家のために死ぬことは当然、日本人なら清く正しく生きなければならない、と教え込まれていた当時の人々にとって、堕落こそ人間救済の道という逆説的な省察は衝撃的でもありました。本質を見抜く洞察力に貫かれたこの随筆を機に一躍、人気作家となります。

 太平洋戦争の開戦時、安吾は三十五歳。年齢故に召集もされず、四四(同十九)年には、日本映画社の嘱託となります。安吾の戦場は遠い戦地ではなく、幾度も空襲に見舞われ、降り注ぐ爆弾や焼夷(しょうい)弾から逃げ惑った東京でした。

 安吾自身、反戦主義者ではなかったようですが、戦争を冷徹な目で見ていました。四三(同十八)年、海軍の山本五十六元帥の訃報に接し、こう書き記しています。
◆根源から問い直す

 <実際の戦果ほど偉大なる宣伝力はなく、又(また)、これのみが決戦の鍵だ。飛行機があれば戦争に勝つ。それならば、ただガムシャラに飛行機をつくれ。全てを犠牲に飛行機をつくれ。さうして実際の戦果をあげる。ただ、戦果、それのみが勝つ道、全部である>(現代文学「巻頭随筆」)

 戦争に勝つには、精神力ではなく軍事力、国民を奮い立たせるのは、うその大本営発表ではなく真の戦果、というわけです。

 虚構ではなく実質。今となっては当然ですが、戦後六十八年がたっても色あせない洞察力こそが、今なお安吾作品が読み継がれている理由でしょう。

 「根源から問い直す精神」。評論家の奥野健男さんは、安吾の魅力をこう書き残しています。

 堕落論の約半年後、日本国憲法が公布されます。主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大原則とする新しい憲法です。

 安吾の精神は、憲法論に遺憾なく発揮されます。特に、評価を与えたのが、国際紛争を解決する手段としての戦争と、陸海空その他の戦力を放棄した九条でした。

 <私は敗戦後の日本に、二つの優秀なことがあったと思う。一つは農地の解放で、一つは戦争抛棄(ほうき)という新憲法の一項目だ><小(ち)ッポケな自衛権など、全然無用の長物だ。与えられた戦争抛棄を意識的に活用するのが、他のいかなる方法よりも利口だ>(文芸春秋「安吾巷談(こうだん)」)

 <軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑(つ)かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ><ともかく憲法によって軍備も戦争も捨てたというのは日本だけだということ、そしてその憲法が人から与えられ強いられたものであるという面子(メンツ)に拘泥さえしなければどの国よりも先にキツネを落(おと)す機会にめぐまれているのも日本だけだということは確かであろう>(文学界「もう軍備はいらない」)

 東西冷戦に突入し、核戦争の恐怖が覆っていた時代です。軍備増強より、九条の精神を生かす方が現実的との指摘は、古びるどころか、今なお新鮮さをもって私たちに進むべき道を教えています。
◆改憲潮流の時代に

 安吾は五五(同三十)年に亡くなります。四十八歳でした。この年の十一月に結党された自民党は今、安倍晋三首相の下、党是である憲法改正を目指しています。

 自衛隊を「国防軍」に改組し、集団的自衛権を行使できるようにする内容です。首相は世界の平和と安定に積極的に貢献する「積極的平和主義」も掲げ始めました。

 しかし、ここで言う「平和」に実質はあるのか。軍拡競争をあおったり、米国の誤った戦争に加担することが、本当にないのか。

 本質を見抜き、根源から問い直す。安吾の精神が今ほど必要とされる時代はありません。

2013年7月 6日 (土)

【社説】<2013岐路>憲法問題 国のかたち変えるのか

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013070602000148.html

【社説】<2013岐路>憲法問題 国のかたち変えるのか

2013年7月6日

 参院選の大きな争点は、憲法問題だ。改憲勢力が三分の二を制すれば、憲法改正が一気に現実化しうるためだ。「国のかたち」を変えるのかが、問われている。

 社会が暗く、閉塞(へいそく)感が覆う。格差社会は深刻だ。低所得者があふれ、生活苦にあえぐ。若者も未来に希望が持てないでいる。

 憲法改正によって、さまざまな社会問題や国際問題が解決するわけではない。けれど、そんな幻想がまとわりついていないか。危うさを覚える中での選挙だ。
◆3分の2のせめぎ合い

 自民党が憲法改正草案をつくり、堂々と公約に掲げている。国防軍の創設をうたう九条改正や、改憲の発議要件を「三分の二」から「過半数」へと緩和する九六条改正…。日本維新の会もみんなの党も、憲法改正をめざしている。

 自民と維新、みんなを合わせた改憲勢力は衆議院で、三分の二のハードルを越えている。議席数で実に76%にも達し、発議要件を十分、満たしているのだ。

 安倍晋三首相は「次期国会で直ちに発議しない」と発言したものの、参議院でも三分の二を超えれば、憲法を改正する千載一遇のチャンスを与える。

 その意味で、こんな参院選は近年にない。改憲か、護憲か-。現実的な数のせめぎ合いになる。

 国民主権、基本的人権、平和主義などの骨格に支えられた憲法は、国民生活に深く染みいり、現実に戦後は平和で自由な社会を築いてきた。選挙の結果次第で、この「国のかたち」が、変貌してしまうかもしれない。

 参院選は日本の岐路となる歴史的な選択なのだ。それゆえに、われわれは日本国憲法の意義をあらためて、かみしめるべきだ。

 「国民の手に憲法を取り戻す」と首相は語った。では、今まで国民は憲法を握っていなかったのか。
◆権力は鎖で縛らねば

 学校教育などを通じて、多くの国民が親しみを持つ法典である。逆に、そもそも今、なぜ憲法改正が必要なのか。疑問に思う。

 むしろ、占領下の米国によってつくられた「戦後レジーム」からの脱却を唱えてきた首相が、改憲への風をあおり立てている。「三分の一を超える議員が反対すれば、国民は指一本触れられない」とも首相は述べた。

 しかし、国会議員を投票で選んでいるのは、国民である。憲法施行から六十六年間も、改憲を阻んできたのは、国民の意思表示と受け取るべきだ。

 「国民の手に憲法を取り戻す」という言葉とは裏腹に、まるで自民党の改正草案は「権力の手に憲法を」と主張しているかのような中身である。

 現行憲法の前文は「日本国民は」で始まるのに、改正草案は「日本国は」を主語に国家観が語られる。出発点から異質なのだ。

 「日本国民」を主語にした文脈では「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合う」ことが要求される。

 国民の自由と権利の条項には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」と、言葉が加わる。義務がやたらと目につく。

 何よりも、まるで一般の法律のように、国家権力が国民を拘束しているかのようだ。立場は逆であるはずだ。

 国民が国家権力を拘束するのが、本来の憲法の姿である。立憲主義では、たとえ国民が選んだ権力であれ、力を乱用させない「権力を縛る鎖」なのだ。

 その憲法を国民の名を借りて、権力側が自らつながれた鎖をほどこうとする改憲などありえない。改正草案を見る限り、時計の針を古い時代に巻き戻しているような印象だ。

 果たして自民党のすべての議員が、改正草案を支持しているのだろうか。戦争体験のある同党議員OBらは、公然と「改憲反対」を唱えている。議員一人一人の考えを聞いてみたいものだ。

 民主党は九六条改正には反対するが、改憲自体には「未来志向の憲法を構想する」と述べ、国民との「憲法対話」を進めることにとどまっている。やはり党内には、憲法に対する意見は、賛否両論が渦巻いているのだろう。

 公明党は、環境権や地方自治の拡充で新たな理念を加える「加憲」の立場だ。政党によって、また議員個人の信条によって、憲法への考え方は多様である。
◆声をじっくり聞いて

 本紙は憲法を守る精神に立つ。自由や平等など人類の英知を集めた憲法をより生かすことで、現在の苦境は乗り越えられよう。「国のかたち」を変えうる国政選挙だけに、有権者は各立候補者が訴える声をじっくり聞いて、「一票」の判断をしよう。

2013年5月 6日 (月)

9条の叫び 神奈川から改憲を問う<4> 多民族共生 憲法の縮図

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20130506/CK2013050602000158.html

9条の叫び 神奈川から改憲を問う<4> 多民族共生 憲法の縮図

2013年5月6日

「神奈川は憲法の縮図だ」と語る阿部教授=横浜市神奈川区で
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◆神奈川大教授 阿部浩己さん

 中国や北朝鮮、韓国などの多くの外国人がともに暮らす一方、各地に米軍基地を抱える神奈川。この場所で、憲法九条はどんな意味を持つのか。神奈川大学法科大学院の阿部浩己教授(54)=国際人権法=に聞いた。

 阿部教授は「私たちは基地を抱えたまま、憲法の理念を生かし、多民族と共生するという矛盾した行動を取っている。神奈川は憲法の縮図だ」と指摘する。
■ ■

 阿部教授は、九条が代表する憲法の特徴を「世界全体を視野に入れ、民族や文化が異なる人たちの視点を織り込んだ点と、日本の戦争の歴史を刻み込んだ点」だと評価する。

 「日本は過去の戦争の歴史を乗り越えるために、非暴力で、他民族、他文化の人たちとともに生きていく方向性を打ち出した」と、背景を説明する。

 他国でも「憲法は悪いことをした後、反省してつくられる。かつてアパルトヘイト(人種隔離)の国だった南アフリカ共和国は、アパルトヘイト政策の廃止後に制定した新憲法で、人種差別を禁止するため、他の国にないような細かい人権規定を書き込んだ」と、似たケースがあることを指摘する。

 その上で「日本人は常に目の前の現在だけを考え、歴史と向き合わない。原発再稼働の動き、中国や韓国との領土摩擦、沖縄の基地問題。これらは、過去の歴史と相手側の視線を考慮しないため、繰り返された問題だ」と警鐘を鳴らす。

 県内では、黒岩祐治知事が、北朝鮮の核実験に抗議し、朝鮮学校向け補助金を本年度予算に計上しなかった。

 阿部教授は「これは共生よりも、敵が誰かを名指しする動きだ」と批判。「敵国と同盟国を色分けし、憲法九条の絶対平和主義を変えようとする全国的な動きと、神奈川の状況は相似形に見える」と分析する。

 対照的に、憲法が目指すのは「平和をリードするために、清濁あわせのむ度量の大きい国」だと、阿部教授は読み解く。

 「武力で白黒付けたがるのは、激情的で稚拙な発想。非暴力で紛争を解決するには、摩擦に耐えて交流する老練な力が必要。摩擦のない人間関係はない。国交も同じ。多民族社会の神奈川は、それを実践する格好の場だ」と強調する。
■ ■

 しかし、こうした共存の論理と相いれないのが、武力の論理を象徴する基地の存在だ。

 阿部教授は「基地はもちろんない方がいいが、物事は簡単には進まない」と前置きした上で「基地の脱力化」を唱える。

 「基地の必要性を低下させ、兵隊を置かなくてもいい状況を目指す。中長期的には、憲法の老練な力が基地の脱力化に貢献すると思う」と予測する。

 ただし、米軍が戦争する相手が、従来の国家から、米国が指定する「テロリスト」に変質している点には、危機感も隠さない。

 「テロリストと呼ばれる彼らにとっては、米軍のいる場所が戦場だ。横須賀基地も厚木基地も狙われる可能性がある。それでも米国に協力した方が安全なのか。私たちは自分の頭で考えた方がいい」(新開浩)

=おわり

2013年4月21日 (日)

96条改正阻止で議連結成へ=護憲派、巻き返し狙う-野党

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013042100100
96条改正阻止で議連結成へ=護憲派、巻き返し狙う-野党

 憲法改正手続きを定めた憲法96条の改正阻止に向け、民主、社民両党など野党の護憲派議員が25日、議員連盟「立憲フォーラム」を結成する。自民党や日本維新の会が96条改正を掲げ、参院選で改憲発議に必要な3分の2の勢力確保を目指していることから、巻き返しを狙う。 
 議連の呼び掛け人は、民主党の近藤昭一、辻元清美両衆院議員、社民党の吉田忠智参院議員ら。設立趣旨書で「平和、人権、環境を重視する立場から提言を行う」とし、「96条改正の意味するものを議論し、立法府の構成員としての責任を果たしたい」と訴えている。
 自民、維新両党などは、96条改正で改憲発議要件を衆参両院の過半数に緩和するよう主張。これに対し、護憲派は戦争放棄を定めた9条改正につながることへの危機感を募らせており、議連を通じて問題提起をしていく考えだ。(2013/04/21-14:15)

2013年4月20日 (土)

9条改正、高校生の63%が反対 日高教の憲法意識調査

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013041901002125.html

9条改正、高校生の63%が反対 日高教の憲法意識調査

2013年4月19日 19時30分

 戦争放棄をうたった憲法9条を変えない方が良いと考える高校生は63%に上ることが19日、日本高等学校教職員組合(日高教)の意識調査で分かった。2008年の前回調査より2ポイント上昇した。

 昨年11月に調査し、日高教の加盟組織がある道府県の高校生1万2480人が答えた。

 変えない方が良い理由は「9条を変えると戦争への道を開く恐れがあるから」が76%、「9条は世界に誇るものだから」は15%だった。

 変える方が良いと考える生徒は14%で、「今の9条では対応できない新たな国際的問題が生じているため」や「中国・北朝鮮などの脅威に対抗するため」などが主な理由だった。
(共同)


http://www.nikkokyo.org/news/2013/04/2012-5.php

「2012年度高校生1万人憲法意識調査」のまとめを発表

日高教は、4月19日「2012年度高校生1万人憲法意識調査」のまとめを発表しました。この調査結果をもとに、日本国憲法について、そして平和で民主的な社会について、大いに議論を展開するとともに、全国各地で主権者教育を推進しましょう。

「2012年度高校生1万人憲法意識調査」まとめ.pdf

「2012年度高校生1万人憲法意識調査」種別集計表.pdf

2013年4月19日 (金)

改憲:96条改正反対議連25日発足 民・社などの有志

http://mainichi.jp/select/news/20130419k0000m010054000c.html

改憲:96条改正反対議連25日発足 民・社などの有志

毎日新聞 2013年04月18日 20時23分

 改憲の発議要件を定めた憲法96条改正に反対する民主、社民両党などの有志議員は25日、超党派議連「立憲フォーラム」を発足させる。護憲勢力をまとめ、96条の先行改正を進める自民党などをけん制するのが狙い。改憲に前向きな日本維新の会とみんなの党を除く野党各党の国会議員に参加を呼び掛ける。

 呼びかけ人は民主党の辻元清美、近藤昭一両衆院議員、社民党の吉田忠智参院議員、日本未来の党代表の阿部知子衆院議員ら計12人。設立趣意書では、自民党の憲法改正案について「主権在民という立憲主義の原則を根本的に否定するもの」と批判している。

 96条を巡り、自民党や維新は改憲の発議要件を現行の衆参両院議員の「3分の2以上」から「過半数」に緩和することを目指している。議連呼びかけ人の一人は「憲法は2分の1の力だけで変えてはいけない。立憲主義が危うい」と要件維持の必要性を訴えた。改憲に慎重な与党・公明党との連携は議連発足後、検討する。【笈田直樹】

2013年4月18日 (木)

憲法96条改正阻止で議連発足へ

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130418/k10013996831000.html

憲法96条改正阻止で議連発足へ

憲法改正の要件を定めた憲法96条を巡る議論が活発化するなか、民主党や社民党などの有志の国会議員が、自民党や日本維新の会に対抗し、96条の改正阻止を目指すなどとした議員連盟を新たに発足させることになりました。

憲法96条は、国会が憲法改正を発議するには、衆参両院のそれぞれで、すべての議員の「3分の2以上の賛成」が必要と定めています。
この要件を巡っては、自民党や日本維新の会が、「過半数の賛成」に緩和する改正を目指すなど、議論が活発化しています。
こうしたなか、民主党の近藤昭一元環境副大臣ら民主党や社民党などの有志の国会議員が、来週にも、憲法に関する議員連盟を新たに発足させることになりました。
議員連盟の設立趣意書によりますと、「自民党は、自衛隊を国防軍にするなど、戦後日本社会の枠組みを根本から変えようとしており、維新の会は、今の憲法を『日本を孤立と軽蔑の対象におとしめた』と位置づけている」などと批判したうえで、96条の改正阻止を目指すなどとしています。
議員連盟としては、夏の参議院選挙をにらみ、自民党や維新の会との対立軸を打ち出すことで、憲法に基づいて平和や人権、環境を重視する勢力の拡大を目指したいとしています。

2013年2月23日 (土)

河北新報社説:憲法96条/統治者には拘束が必要だ

http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2013/02/20130223s01.htm
河北新報社説:憲法96条/統治者には拘束が必要だ

 スポーツで、試合のルールを自分に有利なように変更することは許されない。
 例えば野球で、貧打に悩むチームが「三振」を「四振」に変えてくれと相手チームに持ち掛けても、通るはずがなかろう。
 憲法改正手続きをめぐって、安倍晋三首相がルール変更の必要性を繰り返し主張している。理由は「ハードルが高すぎる」。
 最高権力者が簡単に緩和を口にするようでは、専横とのそしりは免れない。何より、立憲主義に対する理解不足を疑われても仕方がない。
 首相が改憲を志向することの是非は、あえて問わない。だが、衆院選大勝の余勢を駆ってルール変更に動くことは無謀であり、国民的理解も得られない。
 議論になっているのは、憲法改正手続きについて規定している96条。改憲には衆参両院とも総員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、承認には「国民投票で過半数の賛成が必要」としている。
 首相はかねて96条を問題視してきた。衆院選前には「たった3分の1を超える国会議員の反対で、発議できないのはおかしい。そういう(改憲に消極的な)横柄な議員には退場してもらう選挙を行うべきだ」と述べた。
 発議に「3分の2以上」という特別多数を求めている点で、日本国憲法は「硬性憲法」といわれる。自民党など改憲肯定派は、これを過半数という単純多数に引き下げることで、改憲に向けた環境整備を図ろうとしている。「軟性憲法」化だ。
 仙台市出身の憲法学者、樋口陽一東大名誉教授は「憲法は権力を持っている人たちを縛り、持たない人の自由を確保するのが主眼」と述べている。
 統治者を拘束する国の最高法規であるからこそ、発議要件は厳格に。これが「硬性」に込められたメッセージだろう。
 発議要件を過半数とした場合、確かに発議は容易になる。だが、今度は政権交代があるたびに与党の意向でいとも簡単に改廃できるようになる。
 「不磨」と同様、「朝令暮改」も憲法を害する行為であることを指摘しておきたい。
 首相にとってのジレンマは96条を変えるにしても、差し当たりは現行の規定に沿って事を進めなければならないことだ。つまり、衆参で3分の2以上の改憲勢力を確保する必要がある。
 自民、公明両党は衆院で325議席を獲得。数字上は可能だが、公明党は発議要件の緩和に慎重だ。このため、改憲に前向きな日本維新の会などとの連携を視野に入れる。
 焦点は参院だ。自民党はことし夏の参院選で「ねじれ状態」の解消はもちろんのこと、民主党内にも一定数いる憲法改正派を糾合して、改憲を政治日程に載せる戦略を描いている。
 であるなら、参院選を「憲法とは何か」という根底的な問いをめぐる国民的議論の場としなければならない。
 「横柄な議員」とは誰のことを言うのか、見極めるのは私たち国民である。

2013年2月 1日 (金)

沖縄タイムス社説[首相改憲表明]「まず96条」は危うい

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-02-01_44718

沖縄タイムス社説[首相改憲表明]「まず96条」は危うい

 安倍晋三首相が30日の衆院本会議で、憲法96条の改正に取り組むと明言した。現職の首相が、国会答弁で具体的に改憲を口にするのは極めて異例だ。衆院事務局も「これだけ明確な改憲の意思表示」は初耳だという。

 改憲表明は維新の会の代表質問に答える形で飛び出した。「96条改正が憲法改正の要だと言われているが…」と維新の平沼赳夫氏が質問、安倍首相は「まずは多くの党派が主張する憲法96条の改正に取り組む」と応じている。

 まるで96条改正ありきの質疑応答で、国会に改憲案を出せる賛成議員数を衆参各3分2以上から過半数にするのが狙いだ。「改憲」「創憲」「加憲」と党派で異なる議論の中身よりも、手続きを先に改め、改憲の環境を整える考である。

 安倍政権は当初、今夏の参院選をにらみ、経済政策を優先、反対の声が強い課題は後に回す「安全運転」に徹するとみられてきた。しかし、改憲については、注目度の高い所信表明を避けつつも、積極的かつ着実に進める首相の強い意志を示したととらえるべきだろう。

 背景には、昨年12月の衆院選圧勝を受け、改憲に積極的な他党派を囲い込み、改憲以外の政策でも協力し合い、参院選の共闘につなげる思惑も透けて見える。

 平沼氏との質疑応答で安倍首相は、集団的自衛権の行使について積極的に検討する考えも示している。改憲の流れの先に軍備へ偏重した動きも想定され、強い危機感を覚えざるを得ない。

    ■    ■

 昨年末の衆院選では、何も国民が自民党にフリーハンドの国政運営を与えたわけではない。

 衆院が導入する小選挙区比例代表並立制は、一方に大きく振れやすい問題点が指摘されている。各党が得た得票率が議席の占有率に反映しない問題がある。

 例えば今衆院選の自民党小選挙区の得票率は43%。一方、議席の占有率は79%という開きが生じている。つまり国民の10人に4人しか自民党議員を支持しなかったのに、衆院では10人に8人が自民議員が占めた。投票率との関係で単純比較は難しいが、自民党は2009年の前回衆院選より得票数を下げている。

 こうした選挙制度の“欠陥”を無視して数の論理で改憲を押し通そうとするなら、国民の付託を見誤った数の横暴との批判は免れない。数の力で改憲手続きのハードルを下げ、その後に中身を議論する手順も本末転倒の極みだ。

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 安倍首相の改憲志向は何も今に始まったことではない。なぜ今、改憲の必要があるのか。何をどのようにするつもりなのか。変えることでどのような社会を形成するつもりなのか。こうした基本的な議論なしに改憲手続きのハードルだけを下げるのは極めて危うい。現行の選挙制度の下ではなおさらだ。

 憲法は国家を規定する最高位のルールで、数にまかせた一時的な国会の空気で改憲論議を進めるべきではない。多数派の暴走を食い止める国民の注視も重要だ。

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