同感だ! だから私は復旧・復興の「復興」と言う言葉を使うのすら抵抗感がある。地元が臨んでいるのは「日常の回復」=「復旧」なのだ。火事場泥棒を許すな!(高田)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011100902000041.html
【社説】週のはじめに考える 「住民の論理」で復興を
2011年10月9日
大震災の復興のスピードが遅すぎます。被災者が望むのは夢の未来都市の建設ではなく、いち早い日常の回復です。「住民の論理」での復興を望みます。
「神戸の復興のマネをしてはいけませんよ。長田区の復興が成功したとは思いません」
神戸市で写真館を営む松原洋さん(80)は、悔しそうに語りました。かつてJR新長田駅の商店街や町内会などの会長を務めていた人です。阪神大震災で一帯が焼失した長田区では、再開発事業などが行われ、今や超高層ビルが林立しています。
◆震災はチャンスなのか
「お仕着せの再開発でした。震災前から計画があり、『震災さまさま』でできたようなものです。何の味もない高層ビルばかりで、入居した商店は、一階はともかく地下や二階はまるで客が集まりません。町に人情もなくなってしまいました」
震災直後に神戸市は、新長田駅周辺などのまちづくり案や都市計画道路の着手など、矢継ぎ早に緊急復興計画を打ち出しました。これに住民らは次のような抗議のアピールを行っています。
《都市計画事業はいずれも住民の反対や批判などで、事業化が難航していたものです。住民が震災で打ちのめされ、無力感に襲われているこの時に、強権を発動して一挙に実現しようというのでしょうか》
「震災を行政や政治権力が『千載一遇のチャンス』ととらえたのです」と指摘するのは、神戸育ちの経済評論家・内橋克人さんです。「不幸な震災を逆に利用して、これまで住民の反対で立ち往生してきた事業を一挙に強行してしまう行政ファシズムです。災害に強いまちづくりの名のもとに、大手ゼネコンが入り込み、利益獲得のチャンスとしたわけです。その結果、地元の中小の建設会社はつぶれてしまいました」
◆白紙状態に便乗して
大災害や戦争など衝撃的な出来事を巧妙に利用する政策が、世界各地で強行されたことをカナダ在住のジャーナリスト、ナオミ・クライン氏は近著「ショック・ドクトリン」(岩波書店)で検証しています。人々が茫然(ぼうぜん)自失している間に急進的な社会的・経済的変革を進めるのが、「ショック・ドクトリン」です。
ハリケーン・カトリーナが二〇〇五年に米国南部を襲ったとき、被災地の下院議員は「これで低所得者用公営住宅が、きれいさっぱり一掃できた。われわれの力ではとうてい無理だった。これぞ神の御業(みわざ)だ」と発言したそうです。
〇四年のスマトラ沖地震では、スリランカの海岸線も津波の大被害を受けました。漁師たちは追い払われ、リゾートホテルを建てる再開発計画ができました。
政府幹部はやはり「津波が観光産業に味方をしてくれた」と語ったといいます。
漁民の支援団体は「第二の津波」だと批判しました。被災者の白紙状態の心理に付け込み、惨事に便乗した獰猛(どうもう)な資本主義の姿がそこに見えます。
東日本大震災では、町の高台移転や漁業特区などが構想されています。復興構想会議の提言の目玉も「特区」の積極活用でした。内橋さんは続けます。
「特区とは規制緩和の極致であり、『マネー』にとってのバリアフリー化です。漁業に『マネー』を導入することは、日常的に海を守ってきた人を排除して、漁民をサラリーマン化することではないでしょうか」
魚を取り尽くさないよう資源管理型の漁業に取り組んできた漁業者が三陸地方には大勢います。宮城県知事の主張する漁業特区の考え方には、漁協が全面反対の声を上げました。果たして漁業権を民間企業に開放したら、どうなるでしょうか。
加瀬和俊・東大社会科学研究所教授は「利潤を保証する優良漁場を企業の手に集中させ、復旧を困難にします。歯を食いしばって立ち直ろうとしている漁業者の利害とは絶対的に相反します」と警告しました。
高台移転など災害に強いまちづくりは、むろん大事なことです。でも、創造的復興の言葉を御旗にして、千載一遇のチャンスとばかり、「行政の論理」や「大資本の論理」がうごめいているのなら、注意喚起が必要です。
◆「日常の回復」こそ
内橋さんは被災地を何度も回りました。被災者は「日常を取り戻すことが最大の望みだ」と口々に漏らしたそうです。
もっと豊かになどと口にせず、ひたすら普通の生活を渇望しているわけです。二重ローンに苦しんだり、近隣のつながりを切断された阪神大震災後の「負」を見つめ、「第二の津波」と言われぬ施策が必要です。