教科書検定―「重大な欠陥」の欠陥
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教科書検定―「重大な欠陥」の欠陥
執筆者と教科書会社を萎縮させる「改革」はやめるべきだ。
文部科学省が教科書検定の基準改定を打ち出した。
一番の問題は、「改正教育基本法の教育目標などに照らし、重大な欠陥がある場合」は不合格にできるという点だ。
その教育目標には、愛国心や郷土愛、国際協調の態度を養うといった項目がある。具体的には歴史や公民の教科書検定にかかわってくる。
「目標に照らして重大な欠陥があれば、個々の記述の適否を吟味するまでもなく不合格とする」と下村文科相は説明する。
個々の記述を吟味しないで、全体として重大な欠陥があるなどと判断できるのか。
一つ一つ記述を積み上げ、あれもこれも一つの史観に偏っているから不合格だと言われるならまだしも反論はできる。が、「全体に自虐的だ」とか「自国中心主義に過ぎる」とか切り捨てられてしまうならば、抗弁も検証もしようがない。恣意(しい)的な検定になる危険がある。
歴史学者の家永三郎氏との30年を超える教科書裁判で、国が史実の解釈に介入する是非が問われた。この経験から文科省は価値観への立ち入りを控え、学説に基づく客観的な指摘中心の検定姿勢にシフトした。日本の歴史教科書は他国より冷静で客観的だという評価が、海外の学者から出るようになった。
書き手や出版社が、指導要領の枠内で特色ある教科書を自由に作り、採択を競い合う。そのことが教科書の質を高め、記述の妥当さを支えてきた。
今回の改定方針は、その大転換になりかねない。抽象的な基準で不合格にされるかもしれないとなれば、執筆者や出版社は萎縮する。検定制度の根幹である多様さと客観主義が損なわれる。撤回すべきだ。
文科省は、政府見解がある場合はそれをふまえた記述にすることも求めている。
賛否にかかわらず自国の公式見解を知っておく必要はある。ただ、今でも、政府見解がある領土問題や、諸説ある南京大虐殺の犠牲者数の記述には、しばしば検定意見がつく。複数の説に目配りする定めがすでに検定基準にある。政府見解を強調する意図には首をかしげる。
「もちろん、政府見解と違う見解を併記することまで否定しない」と文科相は語る。
検定はこの一線を越えてはならないし、書く側も異論の併記をためらうべきではない。それが文科省のいう「バランスよく教えられる教科書」を作るために最も大切なことだからだ。
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