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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2013年8月29日 (木)

特集ワイド:憲法よ 作家・作詩家、なかにし礼さん

http://mainichi.jp/feature/news/20130829dde012040085000c.html
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特集ワイド:憲法よ 作家・作詩家、なかにし礼さん

毎日新聞 2013年08月29日 東京夕刊

 <この国はどこへ行こうとしているのか>
 ◇時代こそ間違っている??作家・作詩家、なかにし礼さん(74)
 ◇国家を国民の上に置く自民党改憲案、死を人ごとだと思っているのか

 ジャケットの内ポケットに手を入れ、取り出したのは手のひらサイズの日本国憲法の小さな冊子だった。作詩家にして直木賞作家のなかにし礼さんが最初に引用したのは前文でも9条でもなく、基本的人権の本質を規定した97条だった。「『この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、過去幾多の試錬に堪え……』。素晴らしい一文じゃないですか。ところが自民党の改憲草案では、この部分がすっぽり削除されている。現憲法の最高法規性を平気で無視しようとしている」

 「天使の誘惑」「北酒場」「石狩挽歌(ばんか)」など数々の名曲を生み出した人が今、改憲の動きに警鐘を鳴らしている。自らのコラムで「憲法を守る気がないのなら、さっさとバッヂを外しなさい」と国会議員を激しく糾弾した。なぜそうまで?

 「現憲法は主権者が国民であることを明記している。しかし改憲案には『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』とあり、国家を国民の上に置こうとしている。おこがましいにもほどがある」

 国家への不信が原点にある。旧満州の牡丹江市(現中国黒竜江省)で生まれ、7歳になる直前に終戦を迎えた。その4日前、ソ連軍部隊が間近に迫り牡丹江駅には避難しようとする日本人市民であふれていた。だが、旧満州を守る日本陸軍の精鋭といわれた関東軍は市民を置き去りにし、夜の闇に紛れ軍用列車で逃れた。

 関東軍だけではない。国もまた旧満州の居留民を見捨てた。<ポツダム宣言を受諾したがゆえに日本は、国境外には力を及ばすことが出来ない、そして日本は近来に無い飢饉(ききん)である。ゆえにあなた方を養い難し>。引き揚げを待っていた居留民に届いた日本の外相名の通達の内容を知り、絶望のふちに沈み嘆く大人たちの姿が焼きついている。

 声のトーンが上がった。「最近も某政治家が『国民の基本的人権が破られたときに、誰がそれを守るのか。国家です』なんて発言していましたが、何をばかな。国が国民を守らなかった事例など山ほどある。沖縄戦でもそうだったし、国策によって造られた福島第1原発の事故で多くの人たちが古里を追われている現状だって。所詮、国家は個人の集合体がつくり上げた一つの概念に過ぎない。そんな不完全なものの権力を監視し、制限するためにあるのが現憲法なんです」
戦時下は多くの作家、芸術家が国家に協力した。歌で戦争を美化し、兵士を鼓舞した。童謡「赤とんぼ」「兎(うさぎ)のダンス」で知られる音楽家の山田耕筰は戦前から戦中にかけて軍歌「肉弾三勇士の歌」や「米英撃滅の歌」を残した。敗戦後の国民を勇気づけた「リンゴの唄」を作詞したサトウハチローも「敵の炎」で「憎き翼がけがす 祖国の蒼天 怒り心に沸き立ち 握る拳ぞ」と書いた。「芸術家はどんな時にも最高の作品をつくろうと力を尽くす。しかし、その作品にあおられて大勢の若者が戦地に赴くことへの想像力が欠けていた。芸術とは自ら発想して生み出すもので、『国家のため』というのは根本的に誤っている。御用作家はすでに芸術家ではありません」

 人類普遍の原理と理想が書かれた現憲法は「作家の目線で見ても哲学的、文学的な名作」と評する。「憲法が時代にそぐわなくなっている」との改憲派の批判を真っ向から否定した。「逆です。そんな時代の方こそ否定し、時代というものを説得していかなければいけない。現憲法は理想を語っているのだから、その理想を達成するために全力を挙げるのです」

 時代を切り取ってきた作詩家だけに「戦後レジームからの脱却」という乱暴な言葉が許せない。「私は戦後の繁栄をむさぼってきた人間」と自嘲しながらも「平和だった戦後のどこがいけないのか。戦後に対して失礼だ」と憤る。

 改憲派への鋭い批判が「結果として自分の活動範囲を狭めることは分かっている」と言う。しかし今の日本は昭和初期の日本にあまりに似ていないか。軍国主義が戦争をたくらんでいるような、どんよりと暗雲がかかった時代の空気をひしひしと感じている。

 2012年2月。食道に4センチほどの腫瘍が見つかった。がんだった。著書「生きる力 心でがんに克(か)つ」(講談社)に心境を記している。「病に伏して、眠られぬ夜がいくたびかあった。後悔と不安、あきらめと絶望。私は従容として死におもむくべしと、己に言い聞かせる。と同時に昨日まで暮らしていた世の中が蜃気楼(しんきろう)のように、おぼろに遠のき消えていく。その現実感に慄然(りつぜん)とする」
終戦時、何度も死線をさまよった。牡丹江市を逃れる日の午前、ソ連軍機の爆撃を受けた。爆撃機の胴体から「鹿のフン」のような物体が落ちてきた。その形がはっきりと爆弾とわかった直後、爆風で吹き飛ばされた。乗り込んだ軍用列車はソ連機の機銃攻撃にさらされた。目の前にミシンをかけたように機銃掃射の線ができ、撃たれた人がドス黒い血を流して倒れるのを目の当たりにした。だが、そんな経験をしても死への現実感はなかった。「それはあくまでも偶発的な、他人に起こった出来事でしかなかった。死というものを意識したのはがんになってからが初めて。そばにいる妻でさえ私の葛藤を心から理解はしていないのではないか。戦争で人が死ぬということに現実感覚を持つのはそれだけ難しいのです。その感覚があれば誰も戦争しようなんて発想は出てこない。あえて戦争への道を切りひらくような憲法に変えようとするのは、死を人ごとだと思っている証拠に他ならない」

 心臓に持病を抱えており、手術には耐えられないと思った。他の選択肢として抗がん剤、放射線があったが、それらも体への負担は大きい。医師を次々あたってようやく探し当てたのが体への負担が少ない放射線治療の一種、陽子線治療だった。がんを消し去り、告知から約8カ月後には仕事に復帰した。

 がん治療を乗り越えたことを「生まれ変わった」と表現した。だからこそ憲法について語り続ける。「がんから運良く生き残ったのだから、言いたいことを言う。いや、言うべきことを、ですね。人を死なすためじゃない、人が生きていくために憲法はあるのだから」

 「生きていきましょう」。帰りがけに投げかけられた何気ない一言。その重みが胸にずしりと響いた。【庄司哲也】

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