http://digital.asahi.com/articles/TKY201308080619.html?ref=pcviewer
元内閣法制局長官・阪田雅裕さん「海外で武力、認める余地ない
解釈改憲は邪道」
安倍晋三首相は8日、憲法解釈を担う内閣法制局の新長官に、
元国際法局長の小松一郎駐仏大使を起用した。
初の外務省出身の長官で、歴代内閣が違憲と解釈してきた集団的
自衛権の行使を認める地ならしだ。
こうした動きは、「法の番人」と呼ばれる内閣法制局の側からはどう
見えるのか。
元長官の阪田雅裕氏が朝日新聞のインタビューに応じ、平和主義や
法治主義の観点から批判した。
概要は次の通り。
――集団的自衛権は同盟国などへの攻撃に反撃する権利です。
歴代内閣は、憲法9条の下で行使は認められないとの解釈を示して
きました。
首相や自民党はこの解釈を変え、行使できるようにしようとしています。
こうした動きをどう思いますか
今の憲法解釈は自衛隊が発足してからこれまで、政府が一貫して
とってきた立場だ。
9条の文言だけでなく、憲法全体の趣旨など、いろんなことをふまえて
いまの解釈が導かれている。
そのうえで、60年近くにわたって国会での論議が積み重ねられた。
法論理としては、今までの政府の解釈は非常に優れている。
これを変えることは、今までの理屈が間違っていたということだ。
法律の理屈として別の正解を導き出さなければならないが、我々の
頭では非常に考え出しにくい。
取って代わる論理をどうやって見つけるのかなというのが、第一番の
問題だ。
さらに言うと、憲法規範として集団的自衛権の行使を容認するとは
どういうことか。
国際法上、集団的自衛権の行使と国連による集団安全保障措置へ
の参加を超える武力の行使はすべて違法とされている。
従って日本は国際法上、適法な戦争は全部できる国になるという
ことだ。
日本の憲法が米、英、中を含む他の国々と同じレベルの憲法規範
になる。日本国憲法98条2項には国際法は守るとある。
もし9条が集団的自衛権の行使を認めると解釈するなら、98条2項
があれば用は足りるので、9条は格別の意味がない念押し規定で
しかなくなる。日本が格別の平和主義ではなくなる。
いま中学校や高校の教科書には、日本国憲法には国民主権、
基本的人権の尊重、そして世界に誇る平和主義を基本原理として
いますとある。
だからまず教科書を書き換えないといけない。
そこはずいぶん国民の常識と違う。
――そもそも、どうして9条のもとでは集団的自衛権の行使が
認められないのでしょうか
大前提として、9条で一番わかりにくいのは自衛隊が合憲だと
いうことだ。
9条の1項(戦争放棄)は他国の憲法にも国際法にも例がある。
パリ不戦条約やイタリア憲法に同じようなことが書かれている。
1項だけなら侵略戦争禁止という意味で、98条2項の入念規定と
言えなくもない。
日本国憲法の非常に特異なところは2項だ。
戦力を持たず、交戦権を認めないとある。
にもかかわらずなぜ自衛隊の存在は許されるのかは9条の大きな
一つの問題だった。
55年体制下では圧倒的にその点について政府が追及を受けて
きた。
政府はどう考えてきたか。9条だけでなく全体をよく見れば、
憲法は前文に国民の平和的生存権、13条に国民の幸福追求権
を規定している。
国民が平和的に暮らせるような環境を整備し、人間として幸福を
精いっぱい追求できる状況を保つことが、国の責務として書かれ
ている。
外国から武力攻撃があれば直ちに国民の生命、財産が危機に
ひんする。
これを主権国家が指をくわえて見ていろというのは憲法の要請かと
いうことだ。
国民を守るために外国の攻撃を排除するだけの実力組織が必要。
だから自衛隊の存在は許されると理解してきた。
他方で、自衛隊はそういうことのために存在が認められるのだから、
それ以外の目的で海外に出かけて武力行使をするところまで
9条が許容しているとは、憲法全体をどうひっくり返してみても
読む余地がない。
我が国への武力攻撃がないわけだから、国民の生命、身体、
財産が脅かされたり、国土そのものが外国に侵略されたりして
いるわけではない。
そんななかで日本の領土、領海、領空を離れ、戦闘に及ぶことに
なる。
従って集団的自衛権の行使、集団安全保障措置、多国籍軍
への参加はできないと考えてきた。
――首相は、日本を取り巻く安全保障環境の厳しさから、集団的
自衛権の行使容認を検討すべきだという立場です
憲法が時代に合わなくなることはもちろんありうる。
法律の場合、時代に合わなくなったらどうするか。
政府が柔軟に解釈して、昨日まで適法だったことが今日から
違法だなんてことはありえない。
法律を新しく作り改正する。
だからこそ法治国家なのだ。
憲法がおよそ改正できないならば話は違うが、手続きがきちんと
書いてある。
今の9条がもし時代に合わないなら、国民に十分説明し、納得
してもらって改正するのが正しい道だ。
特に集団的自衛権は、国民にも相当覚悟がいる問題だ。
安保法制懇(首相の私的諮問機関)で論じられていることは、
頭上を米国向けのミサイルが通過するとか、公海上の米艦を
どう助けるとか、あまり国民にぴんと来ない、直接に痛みがない
問題だ。
しかし集団的自衛権の行使ができるということは、過去の
事例を見ても、現実に海外での戦闘に加われるということだ。
自衛隊員に犠牲者が出ることや、隊員が別の国の軍人を
殺傷することも起こりうる。
そういうものと国民が受け止めておくことがすごく大事だ。
日本がPKO(国連平和維持活動)に最初に参加したカンボ
ジアで1993年、文民警察官の高田晴行警視(岡山県警、
当時33)が殉職された。
こんなはずじゃなかったと国民が非常に心配した。
そういうことがPKOで起きる可能性は少ないと思うが、
集団的自衛権の行使で戦闘に加わることになると、
ベトナムを見てもイラクを見ても普通に起こりうる。
国民の十分な覚悟が必要だ。
その意味で憲法改正に必要な国民投票はしっかりやるべきだ。
――自民党が直近の衆院選、参院選で勝ち、首相は
民意を得ました。
だから首相は持論の集団的自衛権の行使容認を実現する
ため、憲法解釈を変えてもいいという考え方があります
民意はトータルとして示されている。
経済政策も非常に大きかったし、消費税、社会保障制度の
問題もある。
いろんな事柄をパッケージで衆院選、参院選は行われている。
それと、民意を得たから法律を好きに解釈して執行して
いいなんてことにはならない。
民意を得た政権は立法府で法律を作り政策を実現する。
憲法改正はよりハードルが高いが、法治国家のルールに
のっとる努力をするのが政治のあるべき姿でないか。
解釈改憲でいいというのは邪道になっていないか。
立法府として自殺行為的な色彩がないか。
――小沢一郎氏などは、憲法解釈での政治主導を主張
します。
内閣法制局の解釈に頼ってきた政治家が悪い。
選挙で民意を得た政権が憲法解釈を変えても構わないと
いうものです
全く間違っているということはない。
憲法だって生き物だし、時代が変わることは否定しない。
解釈を一字一句変えちゃいけないなんてことはおそらくない。
ただ、よく法制局が批判されるが、非常に遺憾だ。
内閣法制局設置法にあるが、内閣に意見具申する立場でしか
ない。
決めるのはあくまで内閣。
法律の議論は細かいから、国会では法制局長官が技術的な
側面を含め政府を代弁している。
だから、集団的自衛権の行使を認めない憲法解釈も、
歴代の内閣にはいつでも変える機会があった。
だが、それが正当かどうか。
日本国憲法の三大原理の一つの平和主義に関わり、国会の
憲法論議も圧倒的に9条に集中して積み重ねられてきた。
そういう蓄積を全く無視して、今までのは全部違っていたという
ことが果たしてあっていいのか。
これまでの憲法解釈のすべての責任が法制局にあるような
とらえ方は非常に不本意だ。
集団的自衛権の行使について、今までの解釈は違う、これが
正しいということなら、内閣として国会でしっかり説明し、
国民の大方が納得することが最低限必要だ。それが政治だ。
――内閣法制局としては、いびつな憲法解釈を出さざるを
えないのでは
そうですね。
荷は重いと思うが、あらん限りの知恵を絞って。
でも、過去を全否定することだ。
僕らも歴代内閣も否定される。
内閣の側は法制局がそう言うから言っていたと言うかもしれ
ないが、そんな軽いものではない。
何度も質問主意書への答弁として閣議決定し、歴代の首相も
国会で述べている。
――安倍首相は憲法解釈を変更する環境整備として、内閣
法制局長官を代えました。
こうした手法をどう思いますか
適材適所というご判断だろうから、私の立場では何とも。
ただ、例えば私のようなものがその職にあれば、これまでの政府
解釈はなぜまっとうなのか、どういう議論を積み重ねてきたかを
ご理解をいただくべくお話をさせてもらうことに非常に力を注ぐ
だろう。
だけど、従来から政府の解釈はおかしいと仮に思う人が組織の
長になった場合は、そういう努力よりも、新しい内閣の意向に
沿って解釈を変更するための理屈を、一つといわず二つも三つも
考えることにエネルギーを注ぐのかな。
長官にもし過去の経緯を十分承知のない方が就任されれば、
その方にご理解いただくための努力を、法制局の残りの幹部
たちはやるとは思う。
――安倍首相は、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を
認めることに意欲を示しています。
阪田さんは小泉内閣での内閣法制局長官で、そのころ安倍首相は
官房長官でした。
当時、憲法解釈を変えたいという思いには接しましたか
いえ。当時は小泉内閣だったから。
ご持論は承知していたが、今すぐ実現しろと言うたぐいの圧力を
受けたことは全くなかった。
ただ、次に首相になられることはわかっていたので、よくご理解を
いただいておいた方がいいと思った。
政府は集団的自衛権をなぜ行使できないと理解してきたのか、
(首相の祖父)岸信介首相の答弁はどういう趣旨だったのかと
いったことについて、お時間をいただいて話をさせていただいた
記憶がある。
――岸首相の答弁とは
安倍さんが当時、岸首相は集団的自衛権の行使を全否定して
おらず、行使できるものがあると答弁したと話されていると聞いた。
しかし、岸首相の当時、集団的自衛権は国連憲章で初めて出て
きた新しい概念で、一体何だろうと国際法上も議論があったこと
による。
例えば資金援助とか、我が国で言えば米軍への基地提供も集団
的自衛権の行使にあたるんじゃないかという話があった。
それで、岸首相当時の林修三内閣法制局長官が、仮に集団
的自衛権に基地提供などが含まれるとすれば、我が国の憲法は
そのすべてを否定しているものではないと答弁した。
しかし、集団的自衛権で中核的な部分である武力の行使は憲法
上できないともはっきり言っていた。
そういうことを説明したと思う。
――その時の安倍官房長官の反応は
それはちょっと。
ただ、そこで侃々諤々ということではなかった。
――首相は憲法解釈の変更で集団的自衛権を認めるという
考えは変わらないまま、再登板しました
結果としてはそういうことですかね。
――最後に、そんな今の安倍首相に言いたいことは
総理がお考えになっていることを私がいいとか悪いとか論評する
立場にないが、正面からぜひ取り組んでもらいたい。
集団的自衛権の肝の部分が何かを国民にしっかりと説明し、万一
憲法解釈を変えるような場合には、その論理と、それによって
日本の平和主義が変質するということを、きちんと説明をしてほしい。
さかた・まさひろ 東大卒、66年大蔵省入省。
内閣法制局第1部長、内閣法制次長を経て、04年8月から
06年9月まで小泉内閣で内閣法制局長官を務めた。
弁護士。69歳。