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2013年5月20日 (月)

特集ワイド:憲法への熱い思い 口語化に尽力・山本有三、随筆集「竹」を手がかりに探る

例えば、16日の衆院憲法審査会で維新の会の伊東信久という議員が、こう述べた。
前文についてですが、そもそも現行憲法は、占領軍によって英文で起草され、その英文を日本語に翻訳したという歴史的経緯もあり、美しい日本語とはとても言えない状況です。

「美しいか、美しくないか」は好みの問題もあるが、前文などは著名な文豪の一人である山本有三が監修しているということを知ったら、伊東はどう思うだろうか。

http://mainichi.jp/feature/news/20130520dde012040002000c.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130520dde012040002000c2.html
http://mainichi.jp/feature/news/20130520dde012040002000c3.html

特集ワイド:憲法への熱い思い 口語化に尽力・山本有三、随筆集「竹」を手がかりに探る

毎日新聞 2013年05月20日 東京夕刊
 ◇「はだかより強いものはない」

 「路傍の石」で知られる作家、山本有三(1887?1974年)は、憲法の口語化に尽力した。また参院議員の1期生として、文化国家建設を訴え続けた。近づく参院選で憲法改正論議が高まっている。有三の思いはどうだろうか? 1冊の随筆集を手がかりに考えた。【鈴木琢磨】

 あれは2月のこと、たまにのぞく東京・JR中央線荻窪駅そばの古本屋で小さな本を手に入れた。タイトルは「竹」。終戦直後に発表された憲法にまつわる有三の随筆など7編が収められていた。奥付には1948年の発行とある。100ページ足らずながら、物資不足の時代に手すき和紙を使ったぜいたくな造本に驚いた。

 本のタイトルにもなった「竹」は終戦から半年もたたない46年1月5日夜にJOAK(現NHK)で放送された談話である。軍国主義的な気風を高める桜でなく、竹が好き、と語る。<……春の末から夏になると、わか竹がすくすくと伸びてゆきます。こいつは、きまって、おや竹よりも太い。そして、せえも高くなります。子のほうが、親よりも、若いもののほうが、老人よりも、立派なものになってゆくところも、わたくしにはうれしいことの一つです>

 そして次が「戦争放棄と日本」。新憲法が46年11月3日に公布され、その翌日の朝日新聞に寄せた一文である。

 <……はだかより強いものはないのである。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさぐられる。……わたくしは特に若い人たちにお願いしたい。あなた方は、これからの日本をしょって立つ人々である。あなた方が、もし道をあやまったならば、日本はさらに、どんな事にならないとも限らない。たきぎにふしきもをなめても、戦争以前の日本に返したいなぞと考えているものが、もしあなた方のなかにあったら、それは非常なまちがいである>

 なぜ憲法公布日にあわせて書いたのか? 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)主導で憲法づくりが進み、内閣が草案を片仮名・文語体で発表するや、誰にでも使いこなせる「国民の国語運動」を推進していた有三らが口語体に、と要望する。それに共鳴した内閣法制局の若手官僚が上司にかけあい、有三に口語化を依頼。有三が前文から9条までの草案を書きあげた。現憲法はこれを下敷きにしている。

 世紀も変わり、すでに「はだか」どころではない自衛隊を持ち、日増しに北東アジアがキナ臭くなりつつあるいま、こうした文を読めば、改憲派ならずとも理想主義がすぎる気はする。有三の孫で早大教授の瀬戸直彦さん(58)も認める。「いまどきの若者なら『イタイ』なんて言うのかなあ。祖父は骨の髄まで理想主義者でしたから。でも、新鮮で、ハッとさせられるんです」。有三が新しい憲法に希望を抱いた時代の空気が知りたくなった。

 JR中央線三鷹駅から玉川上水沿いを歩いて10分ほどのところに有三旧邸がある。現在は三鷹市山本有三記念館になっている。迎えてくれたのは学芸員の渡辺美知代さん(31)。庭に青々とした竹が生えていた。「昔は竹林みたいだったそうですよ」。渡辺さんは11年に「文化人・山本有三の足跡??『竹』から読み解く昭和20年代」を企画した。「小説や戯曲と違って、随筆のたぐいは光が当たっていませんでした。でも、この『竹』は文化人、政治家としての有三のエッセンスが詰まっています。もうひとつの顔をぜひ紹介したかったんです」

 ひときわしゃれた洋館である。占領下、近くに住んでいた法制局の若手官僚が自転車で井の頭公園を抜けてきては、文豪に頭を下げ、口語化を頼んだらしい。どんなやりとりだったか、想像がふくらむ。「戦争が拡大し、だんだん検閲の圧力が強まってくると、有三は『路傍の石』の筆を折りました。そして戦後はある意味で進駐軍との戦い。この洋館は接収され、壁にペンキが塗られてしまい、有三こだわりの家具なども荒っぽく扱われる。返還されてからも有三は二度と住もうとしませんでした」

 企画展を開いて10日後、東日本大震災が発生した。「有三は、死ぬことよりも生きること、一つのものをどんなに苦労しても築き上げていく精神を、雪が降り積もってもはねのける竹に託しました。戦争と震災は異なりますが、そうした有三の訴えは来館者の心を打ったようでした。勇気づけられた、とアンケートにありましたから」。展示品には47年に有三が第1回の参院選に全国区から立候補したときのポスターもあった。<「路傍の石」の山本有三 純無所属>と印刷され、有三のまっすぐさが伝わってくるようだ。
その立候補に当たっての放送演説原稿も「竹」に入っている。<今までは、学者とか文学者とかいう者は、とかく政治にたずさわる事を喜ばなかった。それは、竹林の七賢のように、世間から遠ざかって、自分ひとりで気炎をあげていることが、清い、高い生活であるとする、東洋風な思想がはびこっていたからであると思います。しかし今、あたらしい国家を築きあげてゆこうとする時、文化人みずからが引っ込んでいて、どうして、ほんとうの文化国家を建設する事ができましょう>

 結果は9位で当選、無所属クラブ「緑風会」を結成するなど、53年に任期を終えるまで衆院の行き過ぎをチェックする第2院のあり方を追求した。議員時代のエピソードも憲法がらみ。祝日法が制定されることになり、有三は憲法公布の11月3日を「憲法記念日」にすべくGHQとやりあった。11月3日は明治節(明治天皇の誕生日)、復古的な動きを警戒するGHQは5月3日の施行日を選んだ。有三はこう反論した。「思い出していただきたい。アメリカの独立記念日は、独立宣言の日か、独立完了の日か、と」。占領下でぎりぎりの抵抗を試みた有三の文学者らしい機知に富んだ皮肉であった。

 祖父の近衛文麿元首相が有三と旧制一高で同級生だった元首相の細川護熙さん(75)はこう語る。「祖母から有三さんの話はよく聞きました。党派を超えた賢人の集まりである緑風会こそ、本来の議会のあり方。参院もそういうものなら存在意義がありますね」

 「竹」にしおりがはさんであった。版元の細川書店からの便りである。<ただ自信を以(もっ)て申し上げておきたいことは、小店の造本は戦前のものに決して及ばぬことはないということです>。焼け跡が残り、闇市のあった時代に、すてきな装丁にくるんで有三の言葉を読者に届けようとした版元があったのである。憲法はそれほど輝いたものであったのだろう。そしていま、竹のようにしなやかで強い政治家はいるのか??。玉川上水沿いを歩き、思った。

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 ◇やまもと・ゆうぞう

 劇作家、小説家。栃木県生まれ。東大卒。芥川龍之介らと第3次「新思潮」を創刊。小説に「真実一路」「女の一生」など。戦中は軍国主義を批判した。1965年文化勲章。

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