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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2013年3月27日 (水)

産経新聞【山河有情】元検事総長・但木敬一 改憲に先人なじる必要なし

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130327/plc13032703390009-n1.htm

産経新聞【山河有情】元検事総長・但木敬一 改憲に先人なじる必要なし
2013.3.27 03:39

 「永田町の首相官邸は、できてから今日まで二度、日本軍の機関銃によって撃たれている。二・二六事件のときと終戦のときとである。そしてまた今上陛下(昭和天皇)の御代になってから、陛下の積極的なご意思の表明によって、国の方針がきまったことも二度しかない。それがまた、二・二六事件のときと終戦のときとである」(迫水久常『機関銃下の首相官邸』)。

 昭和天皇が自ら態度を表明し国の方針を決めたのには理由がある。二・二六事件は統帥権にかかわる重大事であったうえ、軍首脳の方針が一向に定まらず、そのまま放置せんか立憲君主制そのものの崩壊を招きかねない状況下で、叛徒(はんと)を鎮圧すべしとの意思を明らかにしたのである。2度目は、ポツダム宣言を受諾すべきか否かについて、天皇を補弼(ほひつ)すべき内閣の意見がまとまらず、閣議決定のないまま、天皇の聖断を求められたため、自らの義務として、受諾すべしとの決断を下したのである。

 法は万民に適用されなければならず、君主もその例外ではない。昭和天皇は、当時の立憲君主制のもとで、君主の守るべき限界と自己の決断を示さなければならない場面とを実に正確に認識していたと言うべきであろう。

 昭和20年8月14日、一億玉砕の軍部の戦争完遂論とクーデターの現実的危険性の中にあって、昭和天皇は重臣たちを前に、戦陣に死し、非命に斃(たお)れた人々とその遺族への思いに引き裂かれながら、一人でも多くの民の生存とその力による国の復興を願い、自らの運命を国民の意思に託し、ポツダム宣言を受諾する決断を述べた。重臣たちも自らの死を覚悟しつつこの決断を受け入れ、全員一致で閣議決定をした。連合国側も終戦の詔書を尊重し、最も神経質な問題であった「天皇制」を日本国憲法の第1章に位置づけた。

 当時のわが国が置かれた状況、国際環境、焦土からの復興を考えれば、連合国側と価値観を共有し、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の三原則をもとに新憲法を制定したことは至当である。現にこの憲法の下に立法・司法・行政はもちろん、国民生活や経済活動が営まれてきた。間違いなく、昭和22年の施行以来新憲法はわが国の根本法として機能してきたといえよう。これを「押し付け憲法」という名の下に無価値であるかのように評するのは、新憲法誕生に至る全国民の塗炭の苦しみと戦後の自由主義の下の輝かしい復興を否定することになるのではあるまいか。「世異なれば則(すなわ)ち事異なり」(韓非子)の古言どおり、新憲法施行以来六十有余年が経過し、国民生活も、国力も、国際的に果たすべき役割もすっかり変わった。それであれば、それに合わせて憲法を変えていいのであって、先人の聡明(そうめい)さをなじる必要は毫(ごう)もあるまい。憲法改正は今生きているわれわれの課題である。

 最後に裁判員制度や法曹養成制度の見直しが行われていると聞く。裁判員制度は長い年月を経て完成させてゆくべき制度であり、基本的には運用の積み重ねに期すべきであろう。法曹養成制度も、国民の権利擁護や法の支配という長期的観点に立って論議してもらいたいと念願するものである。(ただき けいいち)

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