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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2013年1月 3日 (木)

ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法 22歳で男女平等起草

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013010302000108.html

ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法 22歳で男女平等起草

2013年1月3日 朝刊

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 【ニューヨーク=共同】第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年十二月三十日、膵臓(すいぞう)がんのためニューヨークの自宅で死去した。八十九歳だった。娘のニコルさんが三十一日、共同通信に明らかにした。追悼式は後日行われる。 

 ニコルさんは「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。改正に総じて反対だったが、この二つ(の変更や削除)を特に懸念していた」と語った。供物で弔意を示したい場合は、代わりに護憲団体「九条の会」に寄付してほしいという。

 一九二三年、国際的ピアニスト、レオ・シロタ氏の娘としてウィーンに生まれた。作曲家の山田耕筰氏から東京音楽学校(現東京芸大)教授に招かれたシロタ氏に伴って二九年に来日、約十年間を日本で過ごした。

 三九年、両親を日本に残し米カリフォルニア州の名門ミルズ大に留学。米国籍を取得した。卒業後、米誌タイムの助手として働き、終戦後の四五年末にGHQ付の通訳・翻訳官として再来日した。

 四六年二月、民政局長ホイットニー准将の下、二十二歳の若さで憲法起草作業に従事。二四条(両性の平等)など人権に関する条項を書き上げる一方、案文をめぐる日本政府との折衝で通訳を務めた。

 四七年に離日。GHQの通訳だった男性と結婚し、ニコルさんらをもうけた。育児の傍らニューヨークのジャパン・ソサエティーなどに勤務、日米交流を進めた。

 晩年は度々来日、憲法起草での役割を積極的に語った。日本の憲法は「歴史の英知」として戦争放棄をうたった九条を擁護。故市川房枝氏ら日本の女性リーダーとも広く交流した。  (写真は共同)

http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013010101001215.html

ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法の男女平等条項起草

 死去したベアテ・シロタ・ゴードンさん

 【ニューヨーク共同】第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平等に関する条項を書き上げた米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓がんのためニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。娘のニコルさんが31日、共同通信に明らかにした。追悼式は後日行われる。

 ニコルさんは「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴えていた。改正に総じて反対だったが、この二つ(の変更や削除)を特に懸念していた」と語った。供物で弔意を示したい場合は護憲団体「九条の会」に寄付してほしいという。

http://mainichi.jp/select/news/20130101k0000e030119000c.html

訃報:日本国憲法起草のベアテ・シロタ・ゴードンさん死去

毎日新聞 2013年01月01日 14時18分(最終更新 01月01日 23時16分)

 【ニューヨーク草野和彦】第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)民政局員として日本国憲法の男女平等などの条項を起草した米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月30日、膵臓(すいぞう)がんのため、ニューヨーク市内の自宅で死亡した。89歳だった。親族が毎日新聞に明らかにした。

 ゴードンさんは生前、「日本の憲法は米国の憲法より素晴らしい。決して『押しつけ』ではない」と主張し、9条(戦争放棄)を含む改憲の動きに反対していた。親族は、故人への供花をする代わりに、作家の大江健三郎さんらが設立した「9条の会」への寄付などを呼びかけている。

 1923年、ウィーン生まれ。有名ピアニストだった父が東京音楽学校(現東京芸大)に招かれたことに伴い、一家で来日。5〜15歳まで東京で暮らした。米国の大学に進学後に太平洋戦争が開戦。ニューヨークで米タイム誌に勤務していたころ、日本に残った両親の無事を知ってGHQの民間人要員に応募、45年に再来日した。

 25人の民政局員の中では最年少の22歳だった。憲法起草委員会では人権部門を担当。10年間の日本生活で、貧しい家の少女の身売りなどを見知っていたことから、女性の地位向上を提案。14条(法の下の平等)や24条(両性の平等)に反映された。

 米国に戻った後もしばしば講演などで来日。00年5月2日には国会の憲法調査会で意見陳述し、「日本国憲法は世界に誇るモデルだから50年以上も改正されなかった。他の国にその精神を広げてほしい」と訴えた。

 また、ニューヨークの日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」などに勤務し、狂言の野村万蔵さん、版画家の棟方志功さん、茶道の千宗室さんらを米国で紹介。文化の橋渡し役としても活躍した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013010302000110.html

東京新聞【コラム】筆洗

2013年1月3日


 父親が反対したら、好きな人とも結婚できない。自分から夫に離婚を申し出ることもできない。貧しい農家では、家族のために少女が身を売っている…。世界的なピアニストを父に持ち、五歳から十五歳まで戦前の日本で暮らしていた米国人の女性は、家制度に縛られた日本女性の苦しい立場をよく理解していた▼連合国軍総司令部(GHQ)民政局に設置された憲法草案制定会議の一員として、日本の新憲法の起草にかかわり、草案の翻訳にも通訳として加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんである▼当時二十二歳。唯一の女性スタッフだったゴードンさんが任されたのは、男女平等や社会福祉に関する条項の起草だった。男女の平等は「日本の文化に合わない」と主張する日本側と激論の末、個人の尊厳と両性の平等を定めた二四条として結実したことはよく知られている▼晩年にしばしば来日し、憲法制定にかかわった自らの役割を明らかにしてきたゴードンさんが昨年暮れ、ニューヨークの自宅で亡くなった。八十九歳だった▼二〇〇〇年五月に参院憲法調査会に招かれ、意見陳述した際、長く沈黙を守った理由を「憲法を改正したい人たちが私の若さを盾にとって改正を進めることを恐れていた」と語っていた▼だれが起草しようとも、二四条はすでに普遍的な理念として、私たちの中でしっかりと息づいている。

http://www.asahi.com/paper/column.html
朝日新聞 天声人語    天声人語    1月3日付

 「日本の憲法は押しつけられた」「いや、そうではない」と戦後68年の今も論議は続く。その憲法の草案づくりに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、いつもこう語った。「日本の憲法はアメリカよりすばらしい」。そして憲法が日々の暮らしに根を張ることを願ってきた▼憲法24条は男女の平等をうたう。草案の人権小委員会の一員として22歳でそれを書いた彼女の訃報(ふほう)が、米国から届いた。89歳。ただ書いただけでなく、戦後の日本を見つめ続けた人だった▼戦前に一家で日本へ来た。少女時代を東京で過ごし、二・二六事件にも遭遇する。開戦前に単身渡米して学び、戦争が終わると、両親を捜すために連合国軍総司令部の要員に応募して日本に戻った▼憲法施行の年に離日したが、その後も訪日を重ねた。各地での講演は100回をゆうに超す。かつて同僚の取材に、草案を書いたことを「ちょうど私がそこにいただけ」と答えていた。さりげない言葉の向こうに、だれが書こうが平等は普遍の原理だという信念が感じられたものだ▼社会にも会社にも女性の力が求められて久しいのに、この国での進出は今もおぼつかない。企業や官庁に幹部は少なく、首長も議員も一握り。ある調査では男女の平等度は135カ国中の101位とお寒い限りだ▼ベアテさんの最後の言葉は、日本国憲法の平和条項と女性の権利を守ってほしい旨の願いだったという。元気を欠きがちなリベラルへのエールのように、それは聞こえてくる。

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