無料ブログはココログ

許すな!憲法改悪・市民連絡会

« 石原知事、仲井真沖縄知事と会談の意向 尖閣共同購入提案か | トップページ | 安倍氏に自重促す 総裁選で森元首相 »

2012年9月 2日 (日)

沖縄タイムスの民主主義再考論

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-09-01_38432
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-09-02_38470

[民主主義再考(上)]政党はどこへ行くのか

[民主主義再考(下)]政治動かすてこは何か

   

2012年9月1日 09時12分
(28時間15分前に更新)

 政府や政党が有権者から信用されなくなった。そのことを示す世論調査結果を二つ紹介したい。

 内閣府が1月に実施した「社会意識に関する世論調査」によると、国の政策に国民の考えや意見がどの程度反映されていると思うかを聞いたところ、「反映されている」と答えた人の割合が15・5%だったのに対し、「反映されていない」との回答は81・9%に達した。

 民主主義といえば、議会制民主主義、代表制民主主義のことである。この数字を見る限り、日本の民主主義は重度の機能不全に陥っていることになる。

 共同通信社が7月に実施した全国電話世論調査によると、政党支持率は自民党17・8%に対し、政権与党の民主党は15・4%。両党の支持率を足しても33・2%にしかならない。「支持政党なし」の44・4%に、はるかに及ばないのである。政党の衰退と政治の劣化は深刻だ。

 民主党はなぜ、政権運営に失敗し、有権者の期待を裏切ったのか。

 「官僚主導から政治主導へ」の理念も、普天間飛行場の移設問題も、つまずいた理由ははっきりしている。自民党政権時代に形成された政官業・米の「利益共同体」が政策転換をしぶり、水面下で改革を妨害したからだ。

 政策が実現しなかったから不信感を招いたのではない。国民を後ろ盾に政策実現に取り組む道が残されていたにもかかわらず、「利益共同体」の軍門に下って、掲げた政策をあっさり放棄したからだ。

 自民党政権末期の3人の首相がそうであったように、民主党政権も「ねじれ国会」に振り回され続けている。

 「ねじれ国会」の特徴は、与野党の足の引っ張り合いが激しくなることだ。次の総選挙での政権獲得をねらって野党は、政権を追い詰めることを目標に掲げる。多数を占める参議院で問責決議を連発し、国政は停滞する。

 実際、自民党は、自公を除く他の野党が提出した首相問責決議案に賛成した。消費増税をめぐる民自公の姿勢を批判した文言であるにもかかわらず、野田政権を追い詰めるため賛成に回った。自民党の判断は、理解不能としかいいようがない。

 「ねじれ国会」の下で調整・妥協という「政治の技芸」が機能せず、対立状態が続けば、政党政治は間違いなく衰退するだろう。それを避けるため民自公の大連立を唱える人たちもいるが、それもまた、政党政治に対する不信感を高めるだけである。

 では、どうするか。次の総選挙を、その問いに正面から応える機会にしなければならない。

 国民は今、政党の間で繰り返される政争や政局に深い失望感を抱いている。こと基地問題に関して言えば、沖縄では、代表制民主主義が全く機能していない。

 この状況は危険だ。

 どのようにすれば政党政治の機能不全を治癒することができるのか。まずは政治家が国民の失望を受け止め、危機意識を共有することだ。

脱原発運動の隆盛が注目を集めている。きっかけは無論福島第1原発事故である。昨年の事故以来、脱原発を訴える市民集会やデモは全国各地に広がった。中でも継続的な盛り上がりを見せるのは、毎週金曜夕に首相官邸周辺で行われる「官邸デモ」だ。政府による大飯原発(福井県)の再稼働決定後、参加者は一層膨らんだ。8月には代表メンバーが官邸で野田佳彦首相との面談にこぎ着けている。

 全国規模の社会運動の高揚は1960年の安保闘争以来ともいわれる。そのスタイルは安保闘争とは対極といえるほど様変わりした。官邸デモで目につくのは、家族連れや仕事帰りのサラリーマンだ。主宰者は非暴力と秩序維持を最優先し、個人で参加しやすい環境づくりに腐心。首相面談も、非暴力の抗議を合法的に官邸内に持ち込んだ「官邸内抗議」と位置付けている。

 60年代末の学生運動に代表される社会運動は暴力性を帯び、衰退を余儀なくされた。組織動員が支える運動形態も作用し、社会運動は一部のプロの運動家が担うもの、との見方も定着した。非暴力と個人参加を重視する現在のデモはこうしたイメージを覆しつつある。成熟した民主主義社会にふさわしい、自律的な政治参加の表現形態の一つといえるだろう。

 穏やかなアピールでは急激な変化は望めない、との指摘もある。だが逆に、過激な運動は一過性で終わるもろさも抱える。脱原発の実現に時間がかかるのは避けられない。粘り強く政治の回路に乗せる機会を探るべきだろう。

 脱原発に積極的な河野太郎衆院議員(自民)は、署名やデモよりも有効な手段として「地元の国会議員に自分の思いを伝えること」を唱えている。確かにそれも重要だ。しかし、官邸前での脱原発デモのうねりは、いら立つ民意をすくい取れない政党の劣化を反映したものといえる。議会制民主主義が十分機能していない現実が背景にあるのだ。

 沖縄が抱える米軍基地問題はさらに深刻だ。普天間問題では、沖縄選出の国会議員に限らず、知事や県議会などがこぞって「県外移設」を求めている。にもかかわらず、政府は一顧だにしない状況が続く。地元の政治家に思いを伝え、政治家たちがその民意をくんでも、国政には決して反映されない。「47分の1」の沖縄県民の民意は、民主主義の名の下に常に置き去りにされる。「国政の壁」をどう越えるかは沖縄の自己決定権の獲得に直結する課題である。

 一方で、沖縄には復帰前から断続的に蓄積された抵抗運動の経験と実績がある。

 作家の目取真俊さんは本紙のインタビューで官邸デモを引き合いに、「週1回でもいいから、市民が幅広く参加しやすい曜日、時間帯に普天間基地のゲート前に集まり、エネルギーを集中させて声を上げてはどうか」と提言している。沖縄の直接民主主義のエネルギーは、基地問題を政治の回路に乗せる「切り札」でもある。今月9日のオスプレイ配備反対の県民大会も、その重要な一里塚であるのは言うまでもない。

« 石原知事、仲井真沖縄知事と会談の意向 尖閣共同購入提案か | トップページ | 安倍氏に自重促す 総裁選で森元首相 »

民衆の運動」カテゴリの記事