無料ブログはココログ

許すな!憲法改悪・市民連絡会

« 防衛省設置法成立見送り=与野党協議不調、日豪に影響も | トップページ | 赤旗主張/12年版「防衛白書」/「動的防衛協力」は有害無益 »

2012年8月 4日 (土)

三木睦子さん死去=護憲活動に尽力-故三木元首相夫人

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012080300759
三木睦子さん死去=護憲活動に尽力-故三木元首相夫人

 故三木武夫元首相夫人で、護憲活動に尽力した三木睦子(みき・むつこ)さんが7月31日午後0時34分、大腸腫瘍のため都内の病院で死去した。95歳だった。千葉県勝浦市出身。自宅は東京都渋谷区南平台町18の20。葬儀は近親者で済ませた。お別れの献花式は7日午後3時から、港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長男啓史(ひろふみ)氏。
 三木さんは昭和電工の創業者である森矗昶(のぶてる)氏の次女として生まれ、1940年に三木元首相と結婚。以降、元首相が88年に亡くなるまで、「クリーン三木」と称された夫の政治活動を陰で支えた。同年には、国連婦人会会長や全国発明婦人協会会長を務めた功績から藍綬褒章を受けている。
 元首相の死後は、積極的に表に出て言論活動に従事し、「リベラル」派の象徴的存在として活躍。作家の大江健三郎氏や評論家の故加藤周一氏らとともに、憲法9条堅持を目指す「九条の会」の呼び掛け人になるなど、護憲活動、平和運動に携わった。また、北朝鮮との国交正常化にも取り組み、再三にわたり訪朝。94年には金日成主席(当時)と面会した。2000年に発足した「日朝国交促進国民協会」の副会長も務めた。 (2012/08/03-20:13)


http://www.asahi.com/obituaries/update/0803/TKY201208030376.html
三木睦子さん死去 95歳 三木元首相の妻、護憲に尽力

 故三木武夫元首相夫人で護憲運動や女性の政治参加を進める活動に取り組んだ三木睦子(みき・むつこ)さんが7月31日、大腸腫瘍(しゅよう)のため東京都内の病院で死去した。95歳だった。葬儀は近親者で営まれた。お別れの献花式を7日午後3時から4時30分まで、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で行う。喪主は長男啓史(ひろふみ)さん。

 1940年に武夫氏と結婚。74年12月に三木政権が発足すると、首相夫人として政治活動を支えた。88年に元首相が死去してからも、従軍慰安婦の補償問題、護憲にかかわる運動などに積極的にかかわった。04年には作家の大江健三郎さんらとともに、憲法9条を守ろうと訴える「九条の会」を結成。アジア婦人友好会会長、国連婦人会会長なども務めた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2012080402000104.html


三木睦子さん死去 元首相の妻、「九条の会」

2012年8月4日

写真

 故三木武夫元首相夫人で、護憲の立場から積極的に発言した三木睦子(むつこ)さんが七月三十一日午後零時三十四分、大腸腫瘍のため東京都千代田区の三井記念病院で死去した。九十五歳。千葉県出身。葬儀は近親者で八月三日に済ませた。お別れの献花式を七日午後三時から東京都港区南青山二の三三の二〇、青山葬儀所で行う。喪主は長男啓史(ひろふみ)氏。

 一九四〇年に三木氏と結婚。七四年十二月の三木政権発足後は首相夫人として支えた。八八年に三木氏が死去した後も、北朝鮮との国交正常化や護憲を訴え活動した。九五年、民間基金で元従軍慰安婦に補償する「女性のためのアジア平和国民基金」の呼び掛け人となったが、政府が「慰安婦問題は法的に解決済み」と国家賠償を否定したことに落胆し、翌年辞任した。

 大江健三郎、梅原猛両氏らとともに、改憲に反対する「九条の会」呼び掛け人として各地で護憲を訴えた。二〇〇二年には、日朝親善で積極的に活動したとして、北朝鮮から勲章を授与された。

 父は昭和電工創業者の森矗昶(のぶてる)元衆院議員で、森美秀元環境庁長官、森清元総務長官は弟(いずれも故人)。高橋紀世子元参院議員は長女、森英介衆院議員はおい。

    ◇

 九二年には、東京新聞に「この道」を連載した。

« 防衛省設置法成立見送り=与野党協議不調、日豪に影響も | トップページ | 赤旗主張/12年版「防衛白書」/「動的防衛協力」は有害無益 »

民衆の運動」カテゴリの記事