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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2012年4月17日 (火)

安全保障編・東祥三「集団的自衛権は自然権」「いつまで入り口論にとどまっているのか」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120413/plc12041300200000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120413/plc12041300200000-n2.htm

憲法の焦点(5)】
安全保障編・東祥三「集団的自衛権は自然権」「いつまで入り口論にとどまっているのか」
2012.4.13 00:15 (1/2ページ)[安全保障]
民主党の東祥三衆院安全保障委員長=12日午後、衆院第2議員会館(酒巻俊介撮影)

民主党の東祥三衆院安全保障委員長=12日午後、衆院第2議員会館(酒巻俊介撮影)

 「安全保障を法律だけで語ってよいのか」。これが私の本質論だ。安全保障をめぐる環境は変わる。それに合わせて憲法や法律を柔軟に変えなければならないはずだ。それができなければ、憲法解釈の変更で対応するしかない。

 もし現状に即応した憲法改正ができるのならば、こうしたらどうだろうか。

 9条1項は残す。現行の2項は「日本に軍隊を持たせない」と書いてある。つまり国連憲章の「敵国条項」と同じだ。これは断固として削除し「自衛のために自衛隊を使うことができる」とすべきだろう。

 そして3項として国際の平和と安全のため自衛隊を派遣することを新設する。自衛隊という名称を陸海空軍を有する「国防軍」にするのもいいだろう。

 ただし、国の軍隊と位置づけるならば、軍法会議、捕虜の扱い、死者への顕彰-という部分も整備しなければならない。

 自衛権というのは、そもそも各国に当然認められる「自然権」なので憲法に書かれないのは当たり前だ。集団的自衛権も自然権なのに、これを認めない内閣法制局の憲法解釈はどういうことか。シマウマはライオンと戦うとき集団を組んで後ろ足で蹴散らすだろ。これこそ集団的自衛権であり、これを放棄することは「弱者は強者に負けろ」「国民の命は守りません」というのに等しい。

ただ、何のために集団的自衛権を行使するかを考えねばならない。前提には国益がある。将兵の命は国益を守る代替になるからであり「いつ何のために剣を抜くのか」という戦略論を考えねば意味がない。

 集団安全保障の世界ではどうか。国連のお墨付きによって編成された「多国籍軍」の一員として行動することは国の指揮権発動にはならないが、参加の是非についてもしっかり議論すべきではないか。

 実は内閣府副大臣当時、国連平和維持活動(PKO)についても武器使用基準やPKO参加五原則などを一気に見直し、国連のルール・オブ・エンゲージメント(ROE=武器使用権限)に基づく形にしようと検討してみた。ただ、ときの政権が安全保障に精通していなければ難しい…。

 日本の安全保障の議論は、長い間安全を米国に委ねすぎたからか、総花的なことばかりだ。日米同盟だってあり方は変わる。いつまでも入口論にとどまっているべきではないだろう。

                  ◇

 あずま・しょうぞう 東京都生まれ。創価大大学院博士課程修了。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務後、平成2年の衆院選に公明党公認で初当選。平成15年に自由党から民主党に合流。衆院安全保障委員長。5期目。60歳。

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