無料ブログはココログ

許すな!憲法改悪・市民連絡会

« 東日本大震災:どうする放射能汚染/6止 子どもの保養、支援広がる | トップページ | 沖縄米軍、3300人も国外に グアム移転は4700人 »

2012年3月14日 (水)

特集ワイド:「分断」という被害 「原発いらない! 3・11福島県民大集会」一緒に歩き聞いた

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120314dde012040008000c.html
特集ワイド:「分断」という被害 「原発いらない! 3・11福島県民大集会」一緒に歩き聞いた
清水修二さんは「放射能災害は家族や地域をばらばらにし、人々の絆を断ち切った」と脱原発を訴えた。左端は作家の大江健三郎さん=福島県郡山市で2012年3月11日午後2時13分、尾籠章裕撮影
清水修二さんは「放射能災害は家族や地域をばらばらにし、人々の絆を断ち切った」と脱原発を訴えた。左端は作家の大江健三郎さん=福島県郡山市で2012年3月11日午後2時13分、尾籠章裕撮影

 東京電力福島第1原発事故から1年。今も放射線量が低くない地域で暮らす人たちにとって、何が変わり、何が変わらなかったのか。それが知りたくて、福島県郡山市で11日にあった「原発いらない! 3・11福島県民大集会」に出かけ、一緒に歩いた。【宍戸護】
 ◇放射能災害の最も嫌なところは、被害者同士の対立
 ◇何も悪くないのに、家族が壊れたら悔しいじゃない

 郡山市役所の向かいにある開成山野球場スタンドは参加者で埋め尽くされ、赤や白の労組の旗がいたるところで揺らめいていた。3月というのに冷たい風が容赦なく首筋に忍び込み、肩をすぼめ手をすりあわせる姿も目立つ。

 午後1時過ぎ。グラウンド内の特設ステージで、歌手の加藤登紀子さんは「原発はすぐにとめなければ」と語り、呼びかけ人代表で福島大副学長の清水修二さん(63)が「『原発いらない』の声は、痛恨の思いを込めた福島県民の叫びだ」と訴えた。会場からは「そうだ」のかけ声。

 主催者のウェブサイトによると、スタンドの放射線空間線量は2月の測定で最大毎時0・69マイクロシーベルト。国が除染支援の基準値としている毎時0・23マイクロシーベルトと比べても、やはり高い。にもかかわらず1万6000人(主催者発表)が駆けつけた。

 <オレたちは外であそびたいんだ!>。そう書いたプラカードを胸にぶら下げた男の子を見つけた。父親で福島市の会社員、大沢由記(よしのり)さん(40)は、この1年をこう振り返った。

 「事故後はすごく不安で、どうすればいいか毎日悩んでいました。けれど自分たちなりに学習をして、いろいろ調べて知識をつけて、県外に避難するよりも家族皆でここで暮らした方が幸せなんじゃないかなと思って、これまでやってきました……」

 大沢さんは妻と子ども2人と集会に参加していた。

 午後3時過ぎ。デモ行進に移ると、あちこちから「原発なくせ」とのシュプレヒコールが上がる。警察官が多い。集会パンフレットには「これだけの規模のデモは福島では前例がありません」とあるから、警備する側も緊張しているのだろう。

 「放射能汚染を避け、近所でも県外に引っ越す人が数家族いました」と大沢さんは続けた。「ただ、出ていく人に私たちが出ていくなとは言えない。出ていく人も、私たちに一緒に出ていこうとも言わない。そこで気持ちが分断されるより、一緒に考えていければいい」。穏やかな表情でそう語った。

 だが、現実の「分断」はいや応なく起きている。小4の長女と一緒に会場に来ていた郡山市の看護師(42)は「娘のクラス28人のうち4人が転校しました」。小3の長女といた同市の主婦(47)は「学期が終わるごとに1人、2人と転校していくのです」と力なく語った。

   ■

 「分断」という言葉、実は集会宣言にもある。<耐え難いのは、住民同士の間で生まれているさまざまな分断と対立です……>と。

 どういう意味なのか。この文案づくりに関わった清水さんに聞いた。

 京都大で経済を学んだ清水さんは1980年、福島大助教授に就任。80年代から福島第2原発設置許可の取り消しを求める訴訟に関わった。専門の地方財政論を中心に、脱原発の立場から、いわゆる電源3法の背景や仕組みを論じてきた。「原発をどこに造るか、本来は、必要ならばきちんと議論して決めるべきことを、お金で受け入れてもらうという発想でやってきた。その仕組みが、今回の事故で破綻したのです」

 これまで旧ソ連のチェルノブイリ原発事故などの現場を視察し、原発に関する著書もあるが、自ら経験する放射能被害は、健康影響にとどまらないと確信したという。

 「放射能災害の最も嫌なところは、被害者同士が対立関係に陥ることです。農業生産者と消費者、学校の先生と保護者、県外に避難する人と避難しない人、首長と住民……あらゆるところで分断、摩擦、亀裂がある。これも目に見えない被害の一つです」

 とりわけ清水さんは、県外に避難した人との感情的しこりを憂う。「残っている側の立場からすると、県外から、何で子どもを置いておくんだと言われるのは一番こたえる。県内にとどまらざるを得ない人、大丈夫だと思っている人がたくさんいることも分かってほしい。結局はお互いの気持ちを思いやるということに尽きるんです」

   ■

 デモ行進は野球場を出て道路を歩き始めた。雨がポツリポツリと降り始め、アスファルトの地面が黒く染まっていく。大沢さんの小2の長男(7)に「放射能という言葉を知っている?」と尋ねると「危ないものとパパとママが言っていた。学校は除染しているけど、公園はしていない。外で遊べるけどあんまり……」。

 妻の秋恵さん(39)が言葉を補う。「『外で遊んできていいよ』とは言いますが、側溝のものをいじっていないかなとか、のどにものがつっかえている感じがいつもしちゃって……。これから花見の季節ですけど、ござを敷いて数時間座っていて、放射能の影響はないだろうかということが頭をかすめたりもします」

 地元に残ることは夫婦で何度も話し合った結果だ。秋恵さんは口調を強めた。「仕事も、友達関係も、財産も捨てて、もしかしたら二重ローンですよ。ここに残っていたらもうダメだ、危ないと確信が持てなければ、県外避難にはなかなか踏み切れない」。由記さんが言葉を継ぐ。「夫婦の意見が合わず離婚するケースもあると聞きます。でも、何も悪くないのに放射能のせいで家族が壊れたら、悔しいじゃないですか。地元で暮らしながら子どもを守るために最善を尽くすしかない」

 福島市の高1の女性(16)とも言葉を交わした。友達2人と一緒に参加。通っている高校は中庭に放射線量の高い立ち入り禁止地区があり、マスクが手放せないという。近所の知り合いの家族は県外へ引っ越した。「小さな子どもがいる家族が避難することは仕方ないし、元気でいてほしい。でも私はお世話になった人もいるから、福島を離れたくない」。ただ時折、健康問題について考えてしまうという。「今は大丈夫だけど、10年後は……という不安に駆られることはあります」

 「福島県民には引き裂かれた心情がある」と清水さん。「社会、経済的には大変な被害を受けたと訴えたい一方、健康への影響は、それほど大きくならないんだという考え方が強まっている。私自身、願わくは健康影響は放射能被害のマイナーな一つであってほしいと思いますが……」

 郡山駅に向かうバスに揺られながら、出口が見えない不安にある人々の葛藤を思い続けた。

==============

« 東日本大震災:どうする放射能汚染/6止 子どもの保養、支援広がる | トップページ | 沖縄米軍、3300人も国外に グアム移転は4700人 »

民衆の運動」カテゴリの記事