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2012年1月24日 (火)

日米再処理交渉 77年 カーター政権内で激論

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012012402000039.html
日米再処理交渉 77年 カーター政権内で激論

2012年1月24日 朝刊

 日本が核燃料サイクル開発を進める第一歩となった東海再処理工場(茨城県東海村)をめぐる一九七七年の日米交渉で、本紙は当時のカーター米政権の外交記録や内部資料の一部を入手した。核兵器に転用可能なプルトニウムの拡散を懸念して運転に反対するカーター大統領と、対日関係を重視する側近や外交当局者らとの間で激しいやりとりがあったことをうかがわせた。 

 文書や資料はホワイトハウスや国務省、エネルギー省、国家安全保障会議のメモや公電、書簡など。ジミー・カーター図書館(米ジョージア州アトランタ)に保管されていた。

 大統領は七四年のインド核実験で核拡散の脅威が高まったとして、就任から三カ月後の七七年四月に新原子力政策を発表。原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理や、それを燃料とする高速増殖炉開発などの無期延期を決めた。影響は、原発の核燃料を米国産に依存する日本に飛び火し、試運転目前だった東海再処理工場に反対する考えを示した。七三年の石油危機に見舞われた日本は代替エネルギーの確保が悲願だった。

 後に親日家として知られるマンスフィールド駐日大使は七七年七月に着任後「将来の良好な日米関係のためには妥協が必要不可欠」との極秘公電を送り、米側の譲歩を促した。これを受け、大統領は方針を転換。三日後に福田赳夫首相へ書簡を送り、交渉の取りまとめを約束している。

 米側はウランと混ぜた混合核物質にすることで、純度の高いプルトニウムの取り出しを防ぐ再処理方法への切り替えで運転を認めた。しかし、米原子力規制委員会(NRC)はこの方法でも「数日でプルトニウムを取り出せる」と核拡散の危険性があることを事前に報告していた。

 日米再処理交渉は七七年四月から九月まで、当時の福田内閣との間で計三回行われた。当時、外務省科学課長として交渉にあたった太田博氏(75)は「米側は『日本に再処理を認めれば、他の国にやめろと言えなくなる』と強硬だった。日本だけの問題ではなかった」と振り返った。

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