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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2011年10月10日 (月)

風知草:こっちへ来てみろよ=山田孝男

http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20111010ddm002070127000c.html
風知草:こっちへ来てみろよ=山田孝男

 秋深し。鉄道の節電ダイヤも電力浪費の反省も消えて浮かれ始めた首都圏と違い、福島は依然、戦場である。

 福島市の渡利(わたり)地区は「特定避難勧奨地点」に指定されないというベタ記事が、社会面の片隅に載った(毎日新聞7日付朝刊=東京最終版)。

 翌8日、渡利小学校で開かれた住民説明会では「なぜ渡利を外す」「子どもには危険な地域だ」などの声が相次ぎ、国の担当者が「まだ決めたわけではない」と釈明に追われた(同9日朝刊=福島版)。

 そんな騒ぎの週末、渡利の住人、丹治(たんじ)博志(63)智恵子(64)夫妻を訪ね、放射能との闘い、除染の苦労を聞いた。

 この地でカフェを営む夫妻は週に1度、長袖の作業着と住友スリーエム社製の防塵(ぼうじん)マスクをつけ、米国製のガイガーカウンターと中国製の線量計で高線量のポイントを探す。

 雨どいの下で針が振れることが多く、堆積(たいせき)した土やホコリを剥ぎ取る。屋根に上ってほうきで掃き、雨どいに流れ込んだゴミや枯れ葉を取り除く。震災前は生やすにまかせた庭の緑を努めて刈り込む……。

 「行政に期待したいけど、指示待ちではダメだと考えるようになった。人の話を聞いて、研究して、自分で決断する。きれいになるまで100年かかるとぼくは思う。除染するというより、除染の可能性を探っているという現状ですが、1%でも効果はある、と信じてやっているわけです」(博志)

 私は福島に勤務したことがあり、夫妻と行き来があった。とはいえ17年も前のことで、震災後の夫妻の消息は新刊「クロニクルFUKUSHIMA」(青土社)で知った。

 この本は、原発震災をめぐる講演と丹治ファミリーを含む7編のインタビューないし座談の記録から成る。講師兼インタビュアーはギタリストで作曲家の大友良英(52)。

 国内外の映画やテレビドラマのテーマ曲も手がけて人気の大友は、少年時代を渡利で過ごした。そこに根差す思い入れが全編を貫いている。

 丹治家は離散していた。3月14日、原発爆発で放射性物質が拡散する寸前、長男の嫁と孫を名古屋へ送り出した迫真の回想は同書に譲ろう。

 震災直後、初動調査を禁じた厚生労働省所管の研究所に辞表をたたきつけ、即刻、現地入りした木村真三・現独協医大准教授(44)=放射線衛生学。「放射能が降っています。静かな夜です」というツイッターの書き込みで大反響を巻き起こした福島市在住の詩人、和合(わごう)亮一(43)=中原中也賞……。

 連続インタビューの矛先は東京へ向いている。核心のメッセージは「こっちへ来て現実を見てみろよ」(大友)だ。

 渡利が注目を浴びたのは、保育園の庭で、国の校庭利用基準値の24倍の放射線量を計測(5月)してからだ。先週は「土壌1キロに30万ベクレルのセシウム」と報じられた。これも国の規制値を大幅に超える。

 丹治家のカフェ「風と木(ふうとぼく)」の店先の柿が色づいている。例年にない豊作だが、セシウムが1キロあたり176ベクレル。卓上の花びんを満たす淡紫色のノコンギクは山形県米沢市で採ってきた。子どもの避難、除染、食料放射能値を測定するベクレルカウンターの設置が急務だ。

 それはそれ、と言わんばかりに東京では経済成長と原発輸出が論じられている。間違っていると私は思う。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

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