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2011年9月 2日 (金)

雑記(196)どじょう備忘録

野田首相が自らを「どじょう」にたとえたので、なにかとメディアにドジョウがでてくる。
私にはどじょうに思い入れがあるので、気分がよくない。野田氏などに擬せられてドジョウがめいわくだとおもう。
しゃくに障るので、少し書いておきたい。
子どもの頃、農家でもない貧しい我が家ではドジョウは貴重なタンパク源だった。私が育った郡山の在の山村は、川らしい川もなく、集落からはずれた所に農業用の用水の堀というか、小川が通っているくらいだった。
そこには鮒と小エビとドジョウが棲んでいた。鮒はめったに捕れない、小エビは数が少ないので食用にならない。ドジョウだけが有用な獲物だった。ドジョウ取りに母の炊事用の貴重なザルをねだって、何枚ダメにしてしまったことか。それを小川に仕掛けて、上から足でざくざくと追うと、小石や草きれと一緒にドジョウが入る。たがめやイモリが入ることもある。めったにないが鯉やウナギも捕ったことがある。
何度もくり返し、小川をさかのぼって、バケツに20匹も獲ると、意気揚々と帰宅する。母親がたらいに一晩入れて、泥抜きすれば、翌朝は味噌汁の具になる、という具合だ。味噌汁の中のドジョウはぬるっとした感触で、子どもの私はあまり好きでもないのに、どじょう汁のためにどじょう取りに行った。顔もズボンも泥だらけだが、春でも、夏でも、秋でも、飽きもせずに、学校が終わると「どじょう掬い」にいった。
冬は山際の田んぼの隅の水がわき出るところが雪と氷がとけており、そこの泥をスコップで掘る。「どじょう掘り」といった。雪のうえに掘った泥を抛りあげると、その泥の間から黒くて腹が銀色をしたどじょうが何匹もわき出てくる。それを捕まえる。後は同じ。東京にきてから、例の柳川というドジョウ料理を食べたとき、豆腐に潜り込むドジョウをみて、このどじょう掘りの光景を思い出したことがある。
私たちは雪の山でウサギを追った。小川で小鮒やどじょうをとった。まさに「故郷」の歌そのものだ。
そこは昔、「山はあおきふるさと、水は清きふるさと」だった。そこはいま、「ふくいち」からはき出された放射性物質で汚されてしまった。いま、子どもたちは誰もどじょう取りはやらないだろうと思う。
つまらない愚痴である。(高田)

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