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2011年9月24日 (土)

日本人がやっと抗議したと欧米人が安堵? 数万人の脱原発集会

http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110920-01.html?fr=rk
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110920-01.html?pageIndex=2

日本人がやっと抗議したと欧米人が安堵? 数万人の脱原発集会
2011年9月20日(火)21:00

英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラム、今週は19日に東京・新宿で開かれた「脱原発」集会についてです。あらゆる英語メディアが大きく取り上げたわけでは決してありませんし、取材しなかったところも多いですが、取材した記者たちの文章からは、参加者6万人(主催者発表)という数字に「やっと日本人もデモしたよ」と安堵した様子が伝わってきました。(gooニュース 加藤祐子)

○2万人と6万人と3%

東京は新宿区の明治公園で開かれた「さようなら原発集会」について、私がざっと見回したところ、英BBCや米CNN、米紙『ニューヨーク・タイムズ』や米紙『ワシントン・ポスト』といった、おなじみのいわゆる主要メディアはどうも現地で取材していないようで記事が見つかりません。まあ、そういう関心の度合いが、記者の人数も少ない外国メディアとしては順当かなと思います。

その一方で、いざ蓋を開けてみたら6万人(主催者発表)も集まったからか、現場取材していたAP通信マルコム・フォスター記者の配信記事が、『ワシントン・ポスト』や豪紙『シドニー・モーニング・ヘラルド』、米紙『ボストン・グローブ』に米ニュースサイト『ハフィントン・ポスト』などなどなどと、実にあちこちで掲載されていました。

「原発事故を懸念し東京で数万人が原発に抗議行進」という見出しのこの記事は、「『Sayonara nuclear power(原発さようなら)』と唱えながら何万人もの人が行進したこのデモについて、「ずっと長いこと原子力発電に慣れきっていた日本の人たちが、いかに(原発事故に)揺り動かされているかを改めて強調するものだ」と評しています。

さらに記事は「チェルノブイリ以来最悪の原発事故」によって原発周辺に暮らしていた約10万人もの人が退避を余儀なくされ、果物や野菜、魚や水に至るあらゆるものの汚染が心配されるようになったと説明。8歳から14歳の子ども4人を連れて参加したという43歳女性の「食べ物の安全性がとても心配。子どもたちに安全な未来を残したい」というコメントを紹介しています。また、福島から参加した女性が自らを「hibakusha」と呼んだことにも触れ、「これは広島や長崎の原爆生存者にとって、たくさんの思いが込められた感情的な表現だ」とも解説しています。

記事は参加者の人数について、警察推計は2万人だが、主催者は6万人と発表していることも説明。一方で、AP通信と調査会社GfKが7月末から8月上旬にかけて共同実施した世論調査によると、日本人回答者1000人のうち55%が、国内の原発を減らしたいと答えたのに対し、現状維持がいいと答えたのは35%、増やしてほしいと答えたのが4%で、原発の全廃を求めるという人は3%だったことも解説。つまり、今回のデモが必ずしも日本人全体の総意を表しているわけではなさそうだというのが、データの並列によって示唆されています。

ロイター通信の記事は「過去25年間で世界最悪の原発事故から6カ月、日本の原発依存を終わらせようと6万人が東京都心に集まった」という書き出しで、大阪市内から参加したという39歳女性の「原発政策を変えるなら今しかない。今やめさせなければ、もうずっと無理だと思う」というコメントを紹介。「参加者の多くは福島から来ていた」として、「私たち福島住民はもちろん放射能が見えるわけでもないし匂いがするわけでもないが、広がっているはずだと確信している」という福島から来た男性のコメントも紹介しています。

被災地や原発周辺、原発作業員の取材を丁寧に重ねている英紙『ガーディアン』の東京特派員、ジャスティン・マッカリー記者は、「Fukushima protesters」が日本の脱原発を訴えたという記事を書いています。「Fukushima protesters」は「抗議する福島の人たち」の意味にもとれるし、「福島第一原発の事故に抗議する人たち」にもとれる。両方かな、と思います。

「これほどの規模のデモ集会は、日本ではもう何年間もなかった。警察によると参加者は2万人、一方で報道によると6万人と」と両方の数字を出し、「福島第一の危機が3月に始まって以来、原発に反対する市民の意見表明として最大の抗議行動」だったと説明しています。「福島県の住民を含む参加者たちは、日本の原発の即時全停止、ならびに再生可能エネルギーを中心とする新しいエネルギー政策を求めた」と。

ちなみに、集会に作家の大江健三郎さんや作曲家の坂本龍一さんが参加していたことは、AP記事は文末で触れていましたが(配信先のデスクが記事を短くするために削るとしたら、文末から削ります。新聞記事も同様でデスクに削られたくない要素はなるべく上の方に書きます)、ロイター記事は4段落目で両氏に言及。このガーディアン記事は著名人参加者として、日本国外でもそれなりにネームバリューのある大江氏と坂本氏の名前をあげただけでなく、「原発に反対したため芸能事務所を去ることになった俳優の山本太郎」氏も紹介。「電力は足りている。このままでは日本は核廃棄物の置き場になる」というその発言も取り上げているのが、日本に詳しく日本語話者でもあるマッカリー記者らしいなと思います。

ガーディアン記事は、休止中の原発を再稼働しなければ日本は電力不足に陥ると経団連など原発推進派が警告していると説明。そしてそれについて集会で大江氏が、「私たちはそれに抵抗する意志を持っていることを、政党の幹部や経団連に、デモで思い知らさねばならない」と述べたことも紹介しています。

この記事についているコメント欄のやりとりに、ある意味で原発議論の代表的な論点がいくつか出ていると思ったので、こちらも少し紹介します。

「まるで温暖化などなかったみたいだ。温暖化はいずれ何千万人を死なせる。原発は今のところ日本で2人を死なせた。温暖化対策として最重要なのが原発だ」という意見が真っ先に書き込まれたのを皮切りに、続いて「そんなこと考えるまでもない。スリーマイル島やチェルノブイリやウィンドスケールや、その他の原発に関わる『ささやかなミス』を見れば一目瞭然だ。たったひとつのミスで、何世代にもわたって影響が出る」という反論が書き込まれています。するとさらに別の人がこれに対して「そういう諸々の事故の被害者をぜんぶ足し合わせても、化石燃料による犠牲の人数よりは少ないんだよ。日本では津波によって何万人も流されたけど、沿岸部に市町村を作らせるなと運動する人はいない。アメリカでは石炭を使う発電所から出る微粒子で毎年1万3000人が死んでいるけど、それもニュースでは聞かない」と(最後の1万3000人というデータは、アメリカ肺協会の2011年報告書にありました)。

記事のコメント欄ではさらに、「日本のデモ参加者を100%支持する。これは単に原発停止や核拡散防止の問題にとどまらない。これはいかに日本人がこれまでと違ってきちんと自分たちの声を政治に反映させるか、そしていかに日本人が東電みたいな巨大な多国籍企業と対決するかという問題でもある。(略)持続可能で再生可能なエネルギーの分野で日本が主要な役割を担っている未来が容易に想像できる」とも(東電は多国籍企業ではありませんが、「multinational big business」というのは一部の人にとっては巨悪の象徴なので、そう書いているのだろうと思います)。

○ついに、ようやくという欧米の視点

そのほかの詳しい記事としては、オーストラリアABC放送のマーク・ウィラシー記者のリポートがありました。いわく、「日本の反原発デモで警官よりデモ参加者の方がたくさんいるという、珍しいケースだった」と。「参加者にはファッションデザイナーたちもいればホームレス支援団体もいた。有名人も会社員も主婦もいた。演説の内容に、大勢が涙ぐむこともあった」とも。

そして、「ここまでくるのに6カ月かかったが、この国の反原発運動はついにある程度の勢いを獲得した。福島のメルトダウン以来、今回のこれが最大のデモだ。しかし参加者たちにとって、この勢いを持続させるのが課題となる。特に新しい総理大臣は、原子力発電を維持したいと示唆しているので」と記者は報告しています。さらには、「この国はようやく、あるべき形で動き出した。そういう人もいるだろう。自分の国の政府や原発企業が果たしてきちんと仕事をしているのか、ついに何万人もの市民が公然と疑問を呈し始めたのだ」と。

ウィラシー記者が書いている、日本がやっとここまできた、「ようやくあるべき形で動き始めた」という思いには、多くの欧米人が同調すると思います。私が直接やりとりしている人たち、あるいはtwitterなどで目にしている人たち(いずれも日本生活経験者の欧米人)の多くが、まさに同じことを言っているので。

ここから先は私の意見ですが、基本的にデモとか政治集会とかで大事なのは参加人数ではないはずだと思っています。大事なのは発信されるメッセージがどれだけ多くの共感を得られるか、そのメッセージがどれだけ政策決定プロセスに影響を及ぼすかだと。なので、「2万人」とか「6万人」という人数をそれ自体でどう評価するつもりもありません。単なる数字上の比較なら、たとえばアメリカの政治風刺で大人気のコメディアン、ジョン・スチュワートが去年ワシントンで開いた「正気を回復するための集会」の参加者は21万人超(マスコミ推計)でした(私もそのひとり)。あるいはイラク戦争開戦に反対して2003年2月のロンドンで行われたデモは、警察発表75万人、主催者発表200万人弱でした。

参加人数の多い少ないを云々しても、上には上がいるし、たとえ200万人が行進してもイギリスのイラク戦争参戦は食い止められませんでした。「ふだんは政治集会なんか参加しない」理性ある人たちが21万人以上もワシントンに集まったからといって、アメリカの政治議論からクレイジーな極論が消えたわけでもありません。

ただし英語圏、ないしは欧米圏では、民主国家の良心ある市民たるもの政府や政治に不満がある時は平和的な抗議行動に出るものである、それが市民としての権利であり義務である——という「常識」が18世紀くらいから徐々に成立しています。それが当然だという感覚は、今や本能に近いものになっていると言ってもいいかもしれない(もちろん、たとえ「常識」だからといって特に行動はしないサイレントマジョリティがマジョリティなのはどこでも一緒ですが)。なので、「どうして日本人はこれだけ東電や政府にひどい目に遭わされているのに、デモしないんだ」と不思議がる、ないしは違和感を覚える人たちが、現に私の知る限りでも実際にたくさんいました(震災直後に「日本人は暴動しない、略奪もしない、すごい」と褒められたことの裏返しとも言えます)。

豪ABC放送のウィラシー記者はその違和感をずっと抱えてきたのではないか、そう想像します。そして私の知り合いたち同様、やっと「警官より大勢」の日本人が集まって抗議する姿を見て、やっと自分たちの「常識」の範囲内に日本人が収まった、これなら理解できると、ある意味でホッとしているようにも思えます。

日本人は何をされても権力に抗議しない不気味な連中……という違和感が欧米人の間で多少なりとも払拭された。その意味でも、「さようなら原発集会」は有意義だったのではないかと思います。

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