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2010年5月16日 (日)

【遠い響・近い声】特別記者・千野境子 沖縄返還の日に思ったこと

時間をあらためて書きたいが、千野さん、このような佐藤礼賛には驚きますねえ。佐藤の密約問題には一言も触れていない。どうしたことか。(高田)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100516/plc1005160308001-n1.htm
【遠い響・近い声】特別記者・千野境子 沖縄返還の日に思ったこと
2010.5.16 03:06

 《沖縄復帰記念式典。総理は力強く式辞を読んだ。途中で涙が出たようだが、最後まで変わらなかった》

 昭和47年5月15日、佐藤栄作首相首席秘書官の楠田實は日記にそう記した。日記は後に秘書官2000日の記録として世に出る。

 式典は東京と那覇で行われ、佐藤首相は武道館の式典に臨んだ。

 その日のサンケイ新聞夕刊によれば、涙が出たようだどころではない。演説の声はしばしば震え、4度、5度と目頭を押さえた。

 「本日、祖国に復帰しました」のくだりで感情が高ぶり、「27年の長年月にわたって大いなる苦悩に耐え、ひたすら待った」あたりからハンカチが離せなくなった。

 先立つ7年前、佐藤は首相として沖縄を初訪問、空港に降り立つと、「沖縄が帰らなければ戦後は終わらない」との名言を残す。

 戦争で失った領土を平和裏に取り戻すことは史上まれであり、涙は難事を遂げたことへの万感の思いの結晶だったと推察される。

 38年後のいま、普天間問題で立ち往生する鳩山由紀夫首相を見るにつけ、佐藤との落差の大きさに愕然(がくぜん)とする。何よりも言葉が空疎だ。「沖縄への思い」をいくら「誠心誠意」語っても、実体がないから感傷になってしまう。

 佐藤がSオペと呼ばれるグループを核に勉強会や研究会を重ね、施政権返還に真剣に取り組んだことは先の楠田日記にも詳しい。

 「佐藤さんは無口であまり話はしませんが、勉強会にはちゃんと出て耳を傾けている」と、沖縄研究が専門で、「密約」の有識者委員会委員でもあった河野康子法政大教授は語る。米公文書を読むと「米国は(日本政府を)よく観察している。そして佐藤は本気なんだと思うわけです」とも。

 翻って鳩山首相が本気で問題と向きあってきたのなら、例えば、沖縄再訪に仮にも15日という日を選ぶまい。復帰の日の15日は、沖縄にとっていまだ手放しでは喜べぬ複雑な日というのは現実だ。

 代替候補地の徳之島についても政府は思慮が足りないと思う。

 昨年11月、鹿児島県奄美大島でちょっと興味深い催しがあった。鹿児島と沖縄の両県知事が彼の地で交流拡大宣言を行ったのだ。琉球王国が薩摩に敗れたのは1609年。つまり出兵・侵攻400年の節目に、これからは真の隣人として両県は協力していきましょうと誓い合ったのだ。反対はあったが、行事は成功したという。

 中でも徳之島は琉球の盾となり薩摩に徹底抗戦、鹿児島県のいまも「心は沖縄」だと人々は言う。移設話はこうした歴史的背景を一顧だにせず、一方的に持ち込まれ、「ご理解」を迫った。基地云々(うんぬん)以前に固有の歴史や生活への気遣いのないことに怒っているのだが、そのことにも政府は鈍感だ。

 「5月末決着」に1人固執していた鳩山首相も、歳月の事実の前についに断念した。「6月も努力を続ける」そうだが、この際、移設だけでなく、日本の安全保障の原点に立ち返り努力する方が、ずっと建設的ではないだろうか。

 そもそも移設問題で、鳩山首相がまるで迷惑施設を扱うように、もっぱら「負担軽減」を強調するのはお門違いだ。アジア太平洋の戦略環境を考えれば沖縄は日本と地域に死活的に重要であり、仮に米軍が撤退しても、自衛隊の配備が要るだろう。だからこそ沖縄の負担も日本全体の問題として考える。その困難な命題に率先して当たることこそ、首相の一番の責務だと思う。

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