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2009年12月23日 (水)

密約文書、佐藤元首相遺族が保管=沖縄核再持ち込み

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009122200935
密約文書、佐藤元首相遺族が保管=沖縄核再持ち込み

 1969年の沖縄返還交渉の際に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が交わしたとされる有事での核再持ち込みに関する「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、分かった。政府がこれまで否定していた「密約」の存在が裏付けられたことで、岡田克也外相が設置した有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)の検証作業にも影響を与えそうだ。
 佐藤氏の遺族が保管していたのは、同年11月にワシントンで行った日米首脳会談の合意議事録で、佐藤、ニクソン両氏の署名がある。
 沖縄返還に際し日米は、沖縄からすべての核兵器を撤去することを取り決めたが、合意議事録では、米国が日本を含む極東諸国の防衛のため、「重大な事態」に際しては事前協議の上、米国は沖縄への核再持ち込みと、通過の権利が必要になると指摘。米国が「(日本側の)好意的な回答を期待する」としたのに対し、日本側は事前協議が行われた場合、「遅滞なく対応する」との趣旨を明記、秘密合意の存在が記されている。
 また、嘉手納、那覇、辺野古などの米軍基地を核兵器貯蔵地として使用できるよう維持することも記載されている。
 この密約については、返還交渉で佐藤氏の「密使」だった京都産業大学の若泉敬教授(故人)が著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)で明らかにしている。文書は2通作成され、日本の首相官邸とワシントンのホワイトハウスで極秘に保管することになったとされる。
 文書は佐藤氏が75年に死去した後、佐藤氏が首相官邸で使用していた執務机を東京・代沢の自宅で整理していた遺族が引き出しの中から発見した。佐藤氏が私蔵していたとみられる。佐藤氏の次男・信二氏(元通産相)によると、佐藤氏は生前、密約文書の存在を家族に話すことはなかった。信二氏は、外務省の有識者委が行っている密約調査に関し、「聞き取り調査の要請があれば、ありのままを話す」としている。(2009/12/22-22:28)

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-12-23-M_1-027-1_001.html
犠牲の証拠 白日の下/核密約文書発見/沖縄返還の功績 無に

県内関係者 国策に不信募る

 沖縄返還交渉をめぐる「沖縄核密約」の決定的な証拠の発見は、県内関係者に衝撃を与えた。さまざまな証言がありながら、時の政府だけが否定し続けた密約の存在が22日、白日の下にさらされた。「沖縄返還の功績をゼロにする行為」「本土の平和が沖縄を犠牲に成り立っている証拠だ」―。憤慨に堪えない県民の声が次々にわき上がった。

 大田昌秀元県知事は「やっと裏付けられたかという思い。ずっと核密約はあると信じていた」と話す。

 核密約にかかわり後の著書で暴露した故若泉敬氏は出版直後、県民や当時の大田知事あてに自責の念をつづった遺書をしたためていた。「信念を持って書いたことが裏付けられ、彼も救われただろう」と大田氏。「今の日本には、彼のように結果責任をとろうとする政治家がいない」と話し、密約にかかわった多くの政治家が沈黙してきたことを批判した。

 「非常に重要な外交文書を持ち帰り、私文書として歴史を隠ぺいしようとした」。沖縄大学の仲地博教授は文書が交わされた40年後、佐藤元首相の自宅から密約文書が発見されたことに憤る。「沖縄返還の功績をゼロにする行為であり、許し難い」

 戦後の日本は、沖縄を核基地とすることで平和を保ってきた―と指摘。仲地教授は「密約は返還後も、沖縄を本土と異なる扱いとする約束であり、現在も続く沖縄の基地問題とつながる」と糾弾する。

 元復帰協事務局長の仲宗根悟氏は「重要文書を自宅に持ち帰るなど国家間の約束はそんなものか。日本政府が沖縄を国策としてどう位置づけてきたかが明らかだ」と言葉を荒らげる。

 復帰後初代県知事となった故屋良朝苗氏の特別秘書官だった大城盛三氏は「復帰後も三原則は守ると言っていたが、責任ある両国の代表は、県民を人として見ていなかったということだろう」と振り返る。「沖縄は相手にされていなかったのかと思うと腹が立ち、感情を抑えきれない」と悔しさをにじませた。

 沖縄対外問題研究会の宮里政玄代表は、文書が既得権保持を主張する米軍本部を説得するための念押しだと分析。「今まで日本政府はないと言っていたが確認された。非核三原則の一つはすでに崩れている」と指摘した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091223-OYT1T00010.htm?from=nwla
核密約決定的裏付け、文書に有識者委強い関心

 沖縄返還交渉をめぐり、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が交わした有事の際の沖縄への核持ち込みの密約を裏付ける決定的文書が22日に見つかったことで、密約を一貫して否定してきた政府は、その存在を認めざるをえなくなった。

 密約に関する分析を進める外務省の有識者委員会も強い関心を示している。

 専門家の間ではこれまで、この文書は佐藤氏によって処分された可能性が高いとされてきた。米国でも見つかっておらず、佐藤氏の密使として米側と秘密交渉を行ったとされる若泉敬・元京都産業大教授(故人)の著書などからその存在がうかがえるだけだった。

 若泉氏が著書で指摘した通り、文書には佐藤、ニクソン両首脳がフルネームで署名していた。日米の密約に詳しい信夫(しのぶ)隆司・日大教授(日米外交史)は「リチャード・ニクソンの『d』の字体が独特で、間違いなく本物の署名だ」と指摘する。

 外務省の内部調査では、沖縄への核持ち込みに関する密約を示す文書は確認されていない。有識者委の関係者は「佐藤氏の遺族が持っていたのだから、密約があった可能性は高い」と指摘。別の関係者は「知らんぷりはできない」と述べ、佐藤氏の遺族からの聞き取りなどに意欲を示した。

 今後の日米安保体制への影響について、専門家の間では、大きな影響はないとの見方が大勢だ。佐藤氏が文書を自宅で保管し、後の首相に引き継がれていなかった可能性が高いためだ。外務省幹部の一人は「引き継がれていない以上、効力はない」と言い切る。

 沖縄の密約に詳しい我部政明・琉球大教授は「今日的な意味はあまりない。米国の現在の戦略は、朝鮮半島での緊急事態の度合いなどに応じて核持ち込みの是非を判断するということではないか」と指摘する。

 密約の存在を認めた場合、「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則との整合性が問われることになる。米軍の核抑止力を維持する観点から、核を搭載する航空機の立ち寄りは可能とする「非核2・5原則」への変更を求める声が高まることも予想される。
(2009年12月23日10時00分  読売新聞)

http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY200912220513.html
http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY200912220513_01.html
核密約文書現存、佐藤元首相宅に保管 日米首脳の署名
佐藤氏邸に保管されていた核再持ち込みの「合意議事録」。佐藤、ニクソン両氏の署名がある。佐藤氏の字と見られる「保留」などと書かれた封筒に入っていた=中田徹撮影

 日米の両首脳が1969年に沖縄返還を合意した際、有事における沖縄への核兵器の再持ち込みについて取り決めたとされる秘密の合意文書が、当時の首相、故・佐藤栄作氏の遺品の中に残されていたことが分かった。佐藤氏の次男で元通産相の信二氏(77)が明らかにした。この密約については、佐藤氏の「密使」として水面下で米側と接触した故・若泉敬氏=元京都産業大教授=が著作で存在を明らかにしているが、文書の現物は見つかっていなかった。外務省が進める「密約」調査の有識者委員会も強い関心を示している。

 信二氏が保管していた文書は「1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録」と表題があり、69年11月19日付。「重大な緊急事態」に際し、米政府は「日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とするであろう」とあり、日本政府は「米国政府としての諸要件を理解し、そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」と記されている。文書の取り扱いについては「最高級の機密のうちに取り扱うべきであるということで合意した」と記し、当時のニクソン大統領と佐藤氏の署名がある。

 沖縄への「核再持ち込み」を米側に保証する秘密合意は、69年11月にホワイトハウスで日米両首脳が交わしたとされる。94年刊行の若泉氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」によると、若泉氏は佐藤首相の密使として、沖縄返還に際して米軍の核兵器を撤去することなどを求め、キッシンジャー大統領補佐官と秘密裏に交渉に当たった。

日本側は「核抜き本土並み」返還を求めたが、米側は緊急事態の際の再持ち込みを要請し、文書による合意を求めた。そこで若泉氏はキッシンジャー氏と「合意議事録」を作成。首脳会談の際に、両首脳がホワイトハウスの執務室に隣接する「小部屋」で署名を交わしたという。

 当時、佐藤氏は若泉氏の申し入れに難色を示したものの、最終的には秘密合意に同意。文書について佐藤氏は若泉氏に「破ったっていいんだ」と語っていたと同書に記されている。また、予定では頭文字での署名のはずだったが、佐藤氏は大統領がフルネームで署名したため自分もそうしたと若泉氏に語ったという。

 信二氏によると、「議事録」は佐藤氏が75年に死去したあと、机の中から見つかった。首相退任後に自宅に持ち帰った執務机という。

 外務省の密約調査では、この合意議事録が同省保管ファイルにはなかったことが関係者の話で判明している。この文書は米側でも公開されておらず、調査の検証を進める有識者委員会の委員らは強い関心を寄せている。今後、必要と判断すれば、佐藤氏の遺族と連絡をとる方針だ。

 委員の一人は「若泉氏の著書の記述から、署名文書は破られたものと思っていた。外務省も関知していないとの態度だった。この目で現物を見て委員会で議論したい」と話している。(川端俊一、倉重奈苗)

    ◇

 〈日米間の「密約」〉 (1)核持ち込み時の事前協議の対象から艦船の寄港などを外す核密約(2)朝鮮半島有事の際に米軍が在日米軍基地を出撃拠点として使うことを認めたもの(3)有事の際の沖縄への核の再持ち込みに関するもの(4)米側が負担すべき原状回復費400万ドルを日本側が肩代わりするなどの財政取り決め、の4密約の存在がこれまでに指摘されている。

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