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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2009年5月 4日 (月)

5・3社説 朝日/読売/産経/毎日/東京/日経/北海道・沖タイ

http://www.asahi.com/paper/editorial20090503.html
憲法記念日に―貧困、人権、平和を考える

 戦後最悪という経済不況の嵐が世界を吹き荒れている。そんな中、62回目の憲法記念日を迎えた。

 昨年暮れから正月にかけて、東京・日比谷公園にできた年越し派遣村。自動車や家電企業から突然首を切られ、転がり込んできた労働者らが炊き出しの食事で命をつないだ。

 約20人の若手弁護士が作るNGO「ヒューマンライツ・ナウ」に属する安孫子理良(あびこ・りら)さんは正月、派遣村での法律相談会に加わった。

■日本に広がる「貧困」

 もともとこのNGOは、途上国の人権や貧困問題に取り組んできた。軍事政権下のミャンマー(ビルマ)やパレスチナなどが関心の対象だった。

 司法修習生時代にこのNGOを知った安孫子さんは、かつてポル・ポト政権による住民虐殺が起きたカンボジアに足を運び、人権の状況を調べた。今月には、同僚と「人権で世界を変える30の方法」という本を出す予定だ。

 ところが、半年ほど前から国内での活動が増え始めた。住む所を追い出されたという失業者、突然帰国を命じられた外国人研修生……。そんな人々と一緒に、役所や企業に出向いて交渉する。派遣村に行ったのも、困った人を放っておけないと感じたからだ。

 「途上国は貧しくても、失業した人を受け入れる社会がある。日本の家族や地域共同体にそんな余裕はなくなっています」と安孫子さんは言う。

 岐阜県高山市を拠点とするNGO「ソムニード」は、インド南部で農業や林業支援を続けている。貧困から抜け出し、自立を目指す住民たちを手助けするためだ。だが、最近は飛騨の地域おこしにも力を入れ出した。

 「飛騨の山村に、インドと同じぐらい深刻な問題があるからです」と、竹内ゆみ子専務理事。過疎化でさびれるばかりの村。稲作指導でインドを訪れた人は、大勢の若者や老人たちが助け合う姿を見て「おかしいのは日本の方ではないかと思った」と話す。

 中国から来た農村花嫁に日本語を教え、村の空き家に都市の若者を招いて住民と交流する。地域に活気を取り戻す試みが続く。

 海の向こうの貧困問題に取り組んできた人々が今、自らの足元に目を向け始めている。

 むろん、途上国の貧困と、世界第2の経済大国の豊かさの中で起きるさまざまな現象を同一には論じられない。

 だが、人々の明日の暮らしが脅かされ、教育や医療の機会を奪われる子どもも出てきた。この状況を何と表現すればいいのか。やはり「貧困」という以外にない。この日本にも当たり前の人権を侵されている人々が増えているのだ。豊かな社会全体の足場を崩しかねない危うさが、そこにある。

 かつての日本に、もっとひどい「貧困」の時代があった。

■安定社会への見取り図

 昭和初期。漁業の過酷な現場で働く若者の姿を描いた小林多喜二の小説「蟹工船」が発表されたのは1929年。金融大恐慌が始まった年だった。日本でも経済が大打撃を受け、都市には失業者があふれ、農村は困窮して大陸への移住も盛んになった。

 そうした社会不安の中に政治テロや軍部の台頭、暴走が重なり、日本は戦争と破滅へ突き進んでいく。

 この過去を二度と繰り返したくない。繰り返してはいけない。日本国憲法には、戦争をくぐり抜けた国民の思いが色濃く織り込まれている。

 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」。憲法25条のこの規定は、連合国軍総司令部(GHQ)の草案にもなかったものだ。後に文相を務めた森戸辰男議員らの要求で加えられた。

 だれもが人間らしく生きる権利を持つ。政府にはそれを具体化する努力義務がある。当時の欧米の憲法にもあまりない先進的な人権規定だった。

 憲法の描く社会の見取り図は明確だ。自由な経済活動によって豊かな社会を実現し、貧困を追放する。同時に国民は平等であり、教育や労働といった権利が保障される。

 多くの国民がこうした国家像を歓迎したのは当然だろう。日本人は懸命に働き、「一億総中流」と呼ばれる社会を築き上げた。

 その中流社会が今、崩れかけている。その先に何が待ち受けているのか。漠然とした不安が広がっている。

 派遣村の名誉村長で、反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士は「しわ寄せされた若者たちの間に、この社会をぶち壊したい、そのためなら戦争でもやったらという、極端な空気さえ感じることがある」と語る。

■25条と向き合う時代

 右肩上がりの経済成長が続いていた間、国民はほとんど憲法25条を意識することなしに生きてきた。そんな幸福な時代が過ぎ、そこに正面から向き合わなければならない時がきたということなのだろう。

 こんなしんどい時だからこそ、憲法の前文を思い起こしたい。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 転機を迎えているのは日本だけではない。世界の戦後秩序そのものが大きく転換しようとしている。そんな中で、より確かな明日を展望するために、やはり日本と世界の大転換期に誕生した憲法はよりどころとなる。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090502-OYT1T01042.htm
憲法記念日 審査会を早期に始動させよ(5月3日付・読売社説)

 今一度、憲法に立ち返って、これからの日本の国家像を描いてみる。きょうの憲法記念日をそんな一日にしたい。

 2年前、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が成立した。国民の手で憲法を改正するための画期的な法律である。

 ところがその後、憲法改正論議は失速した。参院選後生まれた「ねじれ国会」は、与野党の不毛な対立を呼んだ。世界的な経済危機は、日本政治に何よりも、迅速果敢な対策を求めている。

 それにしても国会は、改正論議を、サボタージュし過ぎているのではないか

 憲法問題は国会で日々、提起され続けている。

 機能不全に陥りがちなねじれ国会の現実は、衆参両院の機能の見直しを迫っている。

 海賊対策にあたる海上自衛隊のソマリア沖派遣や、北朝鮮の弾道ミサイルへの対処の論議を聞けば、集団的自衛権は「保有するが、行使できない」とする政府解釈が、自衛隊の実効的な活動を妨げていることは明らかだろう。

 国民投票法の成立に伴い、衆参両院に設けられた憲法審査会は、法施行までの3年間、こうした憲法改正の具体的な論点の整理にあたることになっていた。

 

だが、政治の不作為によって、いまだに委員数などを定める審査会規程が決まらず、有名無実の存在になっている。

 与党は先月、衆院議院運営委員会に、規程案をようやく提示したが、野党は乗り気でない。

 民主党は、規程案の審議入りを「強引だ」「憲法を政争の具とするもの」などと批判した。

 これはおかしい。国民投票法は、自民、民主の両党案を合体して作成したものだ。当時、参院選をにらんで政略的観点から反対したのは民主党である。

 民主党には、小沢代表、鳩山幹事長をはじめ、改憲派の議員は多い。読売新聞の世論調査でも、民主支持層の過半数は憲法改正に賛成している。

 それなのに党として改憲論議を忌避するのは、衆院選を前に、党内の改憲慎重派との摩擦を避ける一方、「護憲」を掲げる社民党などとの選挙協力を優先させる政治的思惑からだろう。

 審査会は、すでに2年を空費してしまった。18歳投票権に伴う関連法整備など積み残しの懸案も、検討を急ぐ必要がある。

 与野党ともに、憲法審査会を早期に始動させるため、取り組みを強めるべきである。
(2009年5月3日01時39分  読売新聞)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090503/plc0905030317001-n1.htm

【主張】憲法施行62年 脅威増大を見過ごすな 9条改正し国の安全を守れ
憲法施行から62年が経過した。その間、大規模な戦争に巻き込まれなかったことをすべて「平和憲法」の恩恵と考えるのは幻想にすぎない。国際情勢や安全保障環境は大きく変化しており、北朝鮮が日本列島越しに弾道ミサイルを発射したのはつい1カ月前だ。

 北の発射予告に応じて、日本はミサイル防衛(MD)による警戒態勢をとった。これまでの準備が結実したものだ。しかし、予告なしの発射はないのだろうか。中距離ミサイルが多数飛来した場合はどうなるのか。国の守りの限界を突き付けられたといってよい。

 問題の根幹は、自衛隊を軍隊と認めず、国家の防衛を抑制してきたことにある。憲法9条がその限界を作っているのは明らかだ。
確実な脅威の高まりに、憲法見直しを避けてはなるまい。

 北のミサイル発射後、自民党の安倍晋三元首相は「敵基地攻撃能力の保有」を提唱した。民主党からも「相手の基地をたたく能力を持っておかないとリスクをヘッジ(回避)できない」(浅尾慶一郎氏)との意見が出た。

 核弾頭が搭載される可能性がある中距離ミサイルに対し、自衛権を先制的に行使することへの重要な問題提起といえる。

 ≪与野党に敵基地攻撃論≫

 昭和31年にも、当時の鳩山一郎首相がミサイル攻撃などについて「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは考えられない」との見解を示した。敵基地攻撃は自衛の範囲に含まれ、可能だという趣旨だが、これまでも問題提起にとどまってきた。

 その理由は、日本の防衛力はそうした能力を持たないことにしているためだ。報復能力は米軍に委ねている。憲法9条による戦力不保持規定と関連する専守防衛によるものである。日本の力を抑えつけておくことを最優先にしてきた、戦後間もない占領政策がいまだに生き続けている。

 衆院を先月通過した海賊対処法案は、民間船舶に接近する海賊船への船体射撃を認めた。任務遂行のための武器使用をようやく認めたが、あくまで海賊船を追い払う警察権の行使でしかない。逃走防止や人質奪還の武器使用は9条が禁じる「武力行使」と一体化しかねないと禁じられている。これでは脅威を排除できない。列国の海軍と共同行動を名実ともに取れない理由はそこにある。

 問題は、自らの国を自分で守れず、国際社会の共同行動にも参加できない日本でよいのか、である。国民の生命と安全を守るためには憲法9条の改正こそ急務であると強調したい。

 一方で日米の共同防衛の実効性を高めることも必要だ。

 

シーファー前駐日米大使が1月のお別れ会見で、日本が米国向けミサイルを迎撃しなければ「米国民は日米同盟の価値を感じなくなる」と懸念を表明したことを思い起こすべきだ。

 集団的自衛権は行使できないという憲法解釈のためだが、麻生太郎首相は解釈見直しにどう取り組むのか。腰が引けていては日米の信頼のきずなは強まらない。

 ≪無法状態を放置するな≫

 憲法問題の混迷を象徴しているのが、憲法改正のための国民投票法に基づき、一昨年8月に衆参両院に設置された憲法審査会の扱いだ。野党のサボタージュでいまだに始動できていない。

 運営のルールを定める「審査会規程」さえ作成されておらず、与党がこの憲法記念日前に成立させる構えを示すと、民主党は「政争の道具にしている」と反発した。国会法に基づく常設機関の活動を阻止するような無法状態を、立法府で放置している責めは、民主党が負うべきだろう。

 法の手続きにのっとり、憲法改正を含む立法作業を行うことは立法府を構成する国会議員の使命である。来年5月18日には憲法改正原案の発議が解禁される。

 政権交代を目指すという政党が、どんな憲法を構想しているのかを提示できないようでは、その資質が問われる。

 自民党は平成17年に新憲法草案をまとめているが、その草案を見直す必要はないのか。全党的な議論をすべきだろう。

 草案は参院の見直しに言及していない。二院制を一院制にして、国会議員の定数を3割減らすなどの案を自民党幹部が語ったことがあるが、統治のありようなども抜本的に見直すべきだ。

 自民、民主両党などは、憲法見直し案をまとめ、それで国民の信を問うことが求められている。

http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090503ddm004070008000c.html
社説:憲法記念日に考える もっと魅力的な日本に 軍事力の限界見据え

 駐日米大使に、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が任命されるという。ナイ氏はクリントン政権で国防次官補を務めた。冷戦後に日米安全保障条約の存在意義が問われ経済面では通商摩擦が激化した。そうした日米関係の危機を救ったのがナイ氏の「日米安保再定義」だ。

 これは旧ソ連に対する対応策だった日米安保を、アジア・太平洋の平和のための条約に「格上げ」するもので、日本の対米協力が加速、ついにはイラクへの自衛隊派遣に至った端緒ともみることができるだろう。
 ◇開店休業の憲法審査会

 今日の憲法問題でもっとも鋭い争点となっている「集団的自衛権」の行使の是非も、もともとは日米同盟の強化に不可欠のものという文脈で登場してきた。その最も有力な論客が米国の大使として日本に赴任する意味は小さくない。

 しかし、憲法問題への国民の関心は高いとはいえない。「世界同時不況」で暮らしが脅かされており、語弊をおそれず言えば「憲法どころではない」という気分であろう。政界の関心も薄い。国民投票法成立で2年前、衆参両院に憲法審査会が設置された。だが、委員の数や議事の進め方などの審査会規定が未整備で、議論を行う態勢になっていない。

 日本を覆う閉塞(へいそく)感は経済問題に限らない。日本は本来持っている潜在力を発揮していない。そんなもどかしさを、多くの日本人が感じているように思われる。憲法を考えるということは、国のあり方と進路を点検することである。混迷が深いならそれだけ有益な作業になるだろう。

 「国の安全」という問題に限定しても、問題は山積している。とりわけ、世界的なパワーシフトの中で、従来の日本の安全保障政策でよいのか、再考する必要がある。ナイ教授が提唱する「ソフトパワー論」自体がよい素材であろう。

 ブッシュ前政権はハードパワー(軍事力など)を過信してイラク戦争に突入し、世界の信望を失った。クリントン米国務長官は今後はこれにソフトパワーを加えたスマートパワーを米外交の基礎とすると表明した。強制力でなく人権重視の価値観や文化的魅力によって相手の自発的協力を引き出そうというのだ。

 米国に協力的な日本はそのソフトパワーの有効性の証しであり、オバマ米大統領は麻生太郎首相を外国首脳として初めてホワイトハウスに招くなど、日本重視の姿勢を示した。ナイ教授の起用もその一環だろう。

 

ただ、日米同盟の維持には、日本の「集団的自衛権の行使」が不可欠という考え方を米国は鮮明にしている。ナイ教授も講演で「ミサイル防衛で日本に向かっているミサイルは撃墜するが、アメリカに向かうミサイルは黙って見送るというのではアメリカの世論が許さない」と述べている。日米同盟は難しい局面に差し掛かっている。
 ◇外圧の時代は終わった

 米国で「G2」論が台頭していることにも注目すべきだ。米中による世界経済運営論である。米国のアジアにおける2国間関係で優先順位ナンバーワンは日本から中国に移ったのではないか。北朝鮮が核とミサイル開発を手放そうとしない現状では、米国との同盟が日本の安全に不可欠なのは明らかだ。しかし、追随するだけでは日本は国際政治の脇役に追いやられ国益を守れない。

 米通商代表部の日本部長を務めた在日米商工会議所名誉会頭のチャールズ・レイク氏は、「黒船はもうこない」と米国の対日戦略の変化を指摘する。米国がかつてのような露骨な外圧を日本にかけることはない。長期的には嫌米感をまねいて得にならないからだ。

 日本は大きい改革に際して、抵抗勢力をだまらせるため、しばしば外圧を利用してきた。だが、それではもはや世界の構造変化に対応できない。どこまで、日米同盟を拡張し強化していくのか、危険な任務も多い平和構築にどこまで踏み込んでいくのか、日本は自分の頭で考え国民的合意を形成しなくてはならない。

 その場合、ソフトパワーを重視し戦略的に位置づけるべきだ。例えば留学生政策。旧ソ連ゴルバチョフ政権で、ナンバー2だったヤコブレフ氏が自由化政策を献言した背景には米コロンビア大学に学んだ経験があるとナイ教授は指摘している。英BBC放送の調査では、世界における日本の好感度はカナダと並び最高だった。もっと自信をもってよい。

 日本はイランやミャンマーなど米国が「苦手」とする国々とも独自外交で友好関係を築いてきた。地域の安定への貴重な政治資源だ。政府開発援助(ODA)も世界2位から5位に下がったが、このODAの貢献によって日本の発言力が支えられてきた面が大きい。

 ソフトパワーが問われているのは米国よりむしろ日本であろう。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009050302000070.html
【社説】
憲法記念日に考える 忘れたくないもの

2009年5月3日

 寒空の下のテント村が思い出させたもの、“北”をにらむミサイルが忘れさせたもの…いずれも憲法の核心です。いまこそそれを再確認しましょう。

 東京の都心、日比谷公園に仕事と住居を失った五百人以上ものテント村ができたのは、昨年末から今年はじめにかけてでした。市民団体、労組や弁護士らが企画した「年越し派遣村」は、「百年に一度」といわれる経済危機の中、この国で起きていることをだれの目にも見える形にしました。

 それは、“一億総中流”の幻に惑わされて多くの日本人が忘れかけていたものを、思い出させてくれました。
◆生存権の保障は自前

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(日本国憲法第二五条第一項)-第二項は国に社会保障、福祉の向上、増進を命じています。

 改憲論者から押しつけと攻撃される憲法ですが、生存権を保障したこの規定は衆院の審議で追加された自前の条項です。

 第一三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については(中略)国政の上で、最大の尊重を必要とする」となっています。

 現実はどんな状態でしょうか。

 OECD(経済協力開発機構)のデータによる、いわゆる貧困率は先進国中で第二位、金融広報中央委の調査では、一九八〇年代に5%前後だった貯蓄ゼロ世帯が二〇〇六年には23%に増え、三千万人が何の蓄えもなしにその日暮らしをしています。

 景気回復期といわれた〇三年から〇六年にかけてさえ被雇用者の賃金は下がり続け、年収二百万円以下の給与所得者は一千万人を超えています。雇用労働者の三分の一が、万一の場合の安全策もない非正規雇用です。
◆社会の階層化が進む

 貧困層が急増し「富める者はますます豊かに、貧しい者はますます貧しく」なり、社会が分断されつつあるのです。貧困が親、子、孫と継承される社会の階層化も急速に進みつつあります。

 誰でも働いてさえいれば食べていける状態が崩れ、最近は働く場さえ次々なくなっています。仕事を失えば住まいもなくなって路上に放り出され、たちまち生命の危機に瀕(ひん)します。

 「個人として尊重される」どころか、モノのように扱われ、捨てられているのです。

 人間らしく生きるための最低条件を保障すべきセーフティーネットもほころびだらけです。

 派遣村には、警察からも、ハローワークからも、なんと社会保障の役所側窓口である福祉事務所からも、職と住居のない人が回されてきました。

 警察は自殺を図った人を保護しても連れて行く所がなく、ハローワークは失業手当をもらえない非正規雇用の被解雇者から相談されても何もできなかったのです。行政が大都市に設けている一時宿泊所は定員が少なく、急増する困窮者に対応しきれません。

 政府は「過去最大、十五兆円の財政出動」など景気回復、雇用拡大策を派手に打ち出しています。

 しかし、数字からは個人が見えてきません。人間としての苦しみや悲しみが無機質な数字でかき消されないよう、派遣村の熱気と緊張感を思い出しましょう。

 景気回復は当面の最大課題ですが、雇用、福祉制度の見直しも同じく急務です。雇う側、使う側の視点から雇われる側の視点へ、効率、コスト優先から人間らしく生きる権利の最優先へ-憲法第一三条、第二五条の再確認が必要です。

 桜前線が北上し、派遣村の余韻が消えかかったころ、今度は「北朝鮮ミサイル」のニュースが注目を集めました。政府は対応策を積極的にPRし、危機感をおおいにあおりました。

 

その効果でしょうか、一般道路を走る迎撃ミサイル運搬のトレーラーや、首都の真ん中で北の空をにらむミサイルの映像にも、違和感を覚えた人はさして多くなさそうです。北の脅威、迎撃などの言葉が醸し出す緊迫感は、憲法第九条の存在感を薄れさせました。

 ソマリア沖では海賊対策とはいえ自衛艦が堂々展開し、自衛隊の海外派遣を恒久化する動きも急ですが、国会外ではあまり議論が起きません。現実を前にして憲法の規範性が危うくなっています。

◆現実に流されない覚悟

 自民党を中心に広がった幻想のような改憲論が沈静化したいまこそ、憲法に適合した政治、行政の実現を目指したいものです。

 それには、国民の一人ひとりが「忘れたくないもの」をはっきりさせ、目まぐるしく動く社会の現実に決して流されない覚悟を固めなければなりません。

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090502AS1K3000530042009.html
社説1 日本国憲法を今日的視点で読み返そう(5/3)

 憲法記念日のたびに様々な角度から日本国憲法を考えてきた。ことしは現在の国際社会での日本の立場と憲法の関係に焦点を当てる。集団的自衛権をめぐる憲法解釈を見直し、そのうえで自衛隊の国際協力活動を包括的に規定した一般法の制定が要る。そんな結論になる。

 ソマリア沖の海賊を取り締まるために、いま海上自衛隊の艦船が活動をしている。自衛隊法82条にある海上警備行動命令が根拠だが、国会で審議中の海賊対処法案は、より強い権限を与える。海賊法案は過去の類似の法律と違うのは、時限法ではなく、一般法である点だ。

 警察活動とされ、集団的自衛権をめぐる議論にはなっていない点も違いだ。インド洋での自衛隊の活動を認める補給支援法をめぐり、民主党は憲法違反として反対した。海賊法案ではそれを主張しない。

 私たちは2001年の米同時テロの後、集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直し、多国籍軍後方支援法の制定を求めた。今日風にいえば、海賊法を包み込む形で、自衛隊の国際活動を包括的に定めた一般法である。国連平和維持活動(PKO)参加の根拠となっている国際平和協力法も吸収する。

 それがない現状はどうか。PKOなど国連ミッションに参加する自衛官は39人。世界で80位だ。「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」とする憲法を持ち、安保理の常任理事国を目指す国とは思えぬ数字である。安倍政権が検討し、福田政権が無視した集団的自衛権をめぐる解釈見直しは当然だろう。

 「ひとを守ってこそ、おのれを守れる。いくさとはそういうものだ」――。映画「七人の侍」で志村喬が演じる侍が農民にこう語る。個別自衛と集団自衛との間に線を引きにくい現実を語ったように聞こえる。ただし日本は「いくさ」に行くわけではない。

 

現在ある非現実的な制約を除去すれば、国際社会の安定のために日本が能力の範囲内で活動できる場は広がる。39人、80位という主要国のなかで最低の数字は、経済力では世界で2位を自負する国にとってはあまりに不釣り合いであり、返上を急ぎたい。

 秋までには衆院選挙がある。その結果、次の政権が決まる。憲法にせよ、安全保障にせよ、最も重要な国政上の論点である。各党とも考えを有権者に説明してほしい。それを聞く側は、62年前のきょう施行された憲法を当時ではなく、今日の視点で読み返してみよう。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/162910_all.html
社説
憲法記念日 いま生きる手だてとして(5月3日)

 日本国憲法が施行されてきょうで六十二年となる。

 前文はうたっている。

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 これは、憲法の柱として、第九条の戦争放棄と、第二五条の生存権、すなわち「平和」と「福祉」が一体の関係にあることを示している。

 だが「派遣切り」に象徴される貧困問題が顕在化し、生きる権利そのものが侵害されている。国際貢献を名目に自衛隊を海外に派遣しようとする動きもやまない。

 人として生き、平和を守る手段としてこの憲法を活用したい。

*深まる「生存の危機」

 東京都内で三月下旬、「反貧困フェスタ」という催しがあった。

 会場の都心の中学校には派遣切りにあった労働者や支援の労組、市民ら約千七百人が参加した。校庭では歌舞の披露や炊き出しもあり、職を失った人たちを励ました。

 底冷えのする体育館でのシンポジウムでは、口々に雇用の厳しさを訴える労働者に交じって、釧路出身の四十七歳の男性が立った。

 「派遣会社の面接を受け埼玉、群馬の工場で働いた。でも首を切られ生活保護を受けている。やり直したいけれど先が見えない」

 年末年始に東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」には、突然、仕事と住まいを失い路上に放り出された労働者が集まった。

 この春、同様の取り組みが各地に広がった。相談会にやってくる労働者には北海道、東北、沖縄など格差拡大と経済危機の打撃の大きい地域の出身者が目立つ。

 憲法二五条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」としている。

 しかし派遣村の光景は国民の生存権が脅かされ、憲法の理念とかけ離れた現実を浮かび上がらせた。

 雇用、年金、医療、生活保護など社会保障制度の法的根拠はこの二五条にある。第二項は、社会福祉や社会保障の確立に向けた国の責務を明確に規定している。

 ところが日本社会のセーフティーネットは極めて不十分である。

 労働者派遣制度は、企業が簡単に労働者の首を切れる雇用調整弁であることがはっきりした。厚生労働省は六月末までに二十万人余の非正規労働者が職を失うとみる。

 国民の安心を保障し、生き生きとした暮らしを実現することこそ、憲法が政府に課した仕事である。それをないがしろにした政治には、政策を語る資格があるだろうか。

*貧困の連鎖断たねば

 派遣切りの問題は働く人の三分の一を占める非正規にとどまらず、リストラや雇用条件の切り下げとなって正社員にも跳ね返ってくる。

 最終的なセーフティーネットである生活保護の受給者は百六十三万人(厚労省調べ)に上るが、制度から漏れた生活困窮者は六百万-八百五十万人にも達するとみられる。

 生活困窮者の増大は子供の世代にも及び、社会の劣化を招く悪循環に陥ろうとしている。

 市場万能、競争至上の新自由主義経済は格差を拡大して破綻(はたん)し、潜在化していた貧困問題が昨年秋の経済危機で一気に噴き出した。

 経済協力開発機構(OECD)の調査では、所得分布の中央値の半分に満たない人々の割合(相対的貧困率)は、先進国のなかで日本が米国に次いで高い。憲法が掲げた平和・福祉国家からほど遠い。

 貧困にむしばまれた社会を憲法の理念に沿って立て直すときだ。

 派遣村は多くの労組や市民ボランティアが支え、その訴えが国会や官公庁を動かした。国民が憲法の生きる権利を求めたと理解したい。政府はその重みを受け止めるべきだ。

*国民の意思問われる

 国会ではソマリア沖の海賊対策を理由に自衛隊海外派遣を随時可能にする海賊対処法案の審議が進む。

 成立すれば政府の一存で自衛隊を海外に送り出せるようになり、海外派遣恒久法に道を開く。

 イラクへの自衛隊派遣からの一連の流れは、憲法が禁じた海外での武力行使や集団的自衛権の容認にまでつながる恐れがある。

 もう一度、立ち止まってよく考えたい。ソマリアは軍事政権が崩壊し無政府状態にある。数百万人が国連などの食料援助に依存し、国内外に難民があふれている

 こうした現状を直視すれば、息の長い民生支援を通じ、国家の再建を図るほかないだろう。海賊対策は沿岸警備の問題であり、日本は教育や福祉支援などの地道な貧困対策で現地の人々を勇気づけたい。

 それが「戦争放棄」を掲げた憲法九条の力を世界に広げ、日本の国際貢献の実をあげる道だ。

 国民投票法によって二〇一〇年に改憲の発議が可能となる。秋までに行われる総選挙は、憲法の平和・福祉の理念を生かすために、有権者が意思表示する絶好の機会である。

http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-05-03-M_1-005-1_001.html
[憲法と沖縄]

人権保障の砦が危ない

 

突然、あなたの子供を含む家族が国家によって訴えられたとしたら?

 人口160人の東村高江区がいま、「国策」による裁判騒ぎに揺れている。米海兵隊のヘリパッドを増設する計画に反対する区民14人が昨年11月、防衛省沖縄防衛局によって訴えられた。通行妨害の禁止を求める仮処分申請の債務者と名指しされた

 1996年の日米特別行動委員会(SACO)合意により、北部訓練場の約半分を返還する条件として高江の住宅地を取り囲むようにヘリパッド6基を設置する。

 在日米軍再編の最終合意が交わされた翌年の2007年7月、那覇防衛施設局(当時)はヘリパッド着工を発表。この間、建設資材を搬入しようとするが、現場で反対運動を続ける住民に阻止された。

 通行妨害禁止の申立書で防衛局は、ヘリパッド設置が「重要」である理由として、(1)県民が基地縮小を求めている(2)SACOで北部訓練場の約半分返還を決めた(3)ヘリパッドは返還条件(4)ヘリパッド設置は日米安保体制における日本の責務で、外交・防衛など国策の極めて重大な意義を有する―などを挙げた。

 のどかな山村に国策が突きつけられた。

 「静かな環境を守りたいだけだ」。高江区代議員会は2度反対決議した。一部住民が輪番制で毎日朝から夕方まで、訓練場の入り口近くに張ったテントで座り込む。

 若夏の日がまぶしいこの季節、小鳥のさえずりが新緑に染みる。自然豊かな生活を守ろうと住民は座っている。

 申立書の中で、住民らの妨害行為として「監視」の文字が繰り返し記されている。住民の反対・監視行動は「国策妨害」なのか。

 さらに、訴えられた人の中に、8歳女児も含まれていた。後に取り下げたものの、真部朗沖縄防衛局長は「年齢、性別にかかわりなく妨害行為をしないように、という以外の他意はない」と語った。

 8歳女児が妨害を意図した証拠はあるだろうか。国事業に反対する住民運動をすべて「国策妨害」と決め付ける行政判断に危うさを感じる。

 基本的人権である「表現の自由」を侵害する危険性をはらんでいるからだ。

 人権保障は憲法の存在意義であり、それは権力(立法、行政、司法)を分離することで弱い立場の人々を護るためにある。ところが今回の仮処分申請は、国策の合理性は問われないまま、行政が司法を使って反対住民を排除しようというものだ。

 住民の反対運動に対する仮処分申請は異例だ。

 本土での米軍基地建設は、激しい住民闘争に遭った。石川県内灘闘争(1952~53年)、長野県浅間山闘争(53年)、群馬県妙義山接収反対闘争(55年)、東京立川基地拡張の砂川闘争(55~57年)。計画はすべて中止された。

 政治・行政が司法権を利用することが一般化すると、国民生活はどうなるだろうか。高江区の住民運動は、憲法の基本的な役割を再考する上で大切な問題提起をしている。

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090510ddm004070004000c.html
社説ウオッチング:憲法記念日 毎日、ソフトパワー活用訴え
 ◇貧困拡大で生存権に注目--朝日・東京
 ◇改正へ加速を注文--読売・産経

 「生まれたばかりの憲法はこづきまわされた」。施行7周年にあたる1954(昭和29)年5月3日の、毎日社説の一節である。紙面はまだ8ページしかない。テレビでなくラジオの番組表が掲載されている。次のような指摘が続く。

 「国際情勢は戦後の理想主義をふみにじった」「この4、5年間は国民の最大の論議は憲法、ことに第9条の戦争放棄の規定の可否であった」。そして吉田茂内閣が事実上の戦力増強に向け「憲法を勝手次第に解釈することの害毒」を強調している。いわゆる「解釈改憲」で少なくとも外見上、憲法条文と現実とが乖離(かいり)する。この点への強い不快感がにじんでいる。

 その10年後、東京五輪が開かれた64年の毎日社説は、憲法が「その理想主義的行き過ぎや、起草上の諸欠陥にもかかわらず、国の基本法として広く国民生活の中に根をおろしつつある」と指摘。改憲論にも護憲論にも根拠があり、近い将来の決着が期待できない以上、当面の急務は「現憲法をいかに実効的に、摩擦なく運用するか」だと論じている。
 ◇冷え込む「改憲論議」

 もちろん、この2本の社説が示す経過より、はるかに多くの論議と曲折を経て、憲法は施行62周年を迎えた。安倍晋三元首相の登場で一時高まった改憲論議は冷え込んだ。世界同時不況などの影響で閉塞(へいそく)感は強まるばかりだ。こうした状況で、各紙の憲法記念日社説は何を主張したか。

 毎日は対米関係を軸に、日本の進むべき道を提言した。駐日米大使に任命される見通しのジョセフ・ナイ教授の「ソフトパワー論」を、むしろ日本が活用して、国の安全を守り、国際社会での評価と発言力を高めようという主張だ。

 いま焦点の集団的自衛権について日本政府は「権利はあるが行使できない」と解釈する。しかしナイ教授は、その「行使」こそ日米同盟維持に不可欠だとする立場の論客だという。日米同盟は難しい局面に入ると社説は展望したうえで、単なる対米追随も外圧としての利用も適切でなく、世界から好感されている日本の魅力や、積み重ねた国際貢献による発言力を生かす道を推奨した。

 これがうまくいけば、日本は米国からも国際社会からも、信頼と尊敬を集められるだろう。

 朝日と東京は一様に、昨年末から正月にかけて東京の日比谷公園にできた「年越し派遣村」を例に挙げ、日本で広がる貧困問題と、憲法25条が規定する生存権を中心に論じた。米国主導の憲法起草過程にあって、この25条は日本側が付け加えた価値ある条項だという点も、そろって指摘した。

 25条は今から50年余り前、肌着を2年に1枚しか買えない当時の生活保護水準を国立療養所の入所者が違憲だと訴えた「朝日訴訟」で注目された。上告中に原告が死亡し裁判は終わったが、高度成長の追い風を受け制度は改善された。

 しかし流れは逆転し「人々の明日の暮らしが脅かされ、教育や医療の機会を奪われる子どもも出てきた」(朝日)、「貧困層が急増し『富める者はますます豊かに、貧しい者はますます貧しく』なり、社会が分断されつつある」(東京)と、厳しさが募る。

 両紙は昨年も、憲法記念日社説で生存権の問題を取り上げた。毎日も昨年は、憲法前文にある「平和のうちに生存する権利」の侵害が進んでいると指摘した。何度でも論ずべきテーマであろう。

 読売は94年以降3回にわたって憲法改正試案を発表。改憲の手続きを定める国民投票法案が成立直前だった07年の憲法施行60周年社説は「歴史に刻まれる節目の年だ」と題し、新憲法への具体的な動きに期待を示した。

 だが「その後、憲法改正論議は失速した」と今年は書き、国民投票法で衆参両院に設けられた憲法審査会が民主党の非協力のために稼働していないと非難。この現実は「衆参両院の機能の見直しを迫っている」と、改憲による参院改革にも言及している。

 こうした内容は昨年の社説とほとんど重なる。改憲論議停滞へのもどかしさがうかがえる。
 ◇修正提言消えた日経

 日経は、集団的自衛権を「行使できない」という政府の解釈の見直しを要求。さらに国会で審議中の海賊対処法案を「包み込む形で」自衛隊の国際協力活動を包括的に認める一般法の制定を提案した。

 日経はここ数年、憲法への自衛権明記や参院の権限・規模縮小など、具体的な条文修正の訴えを続けてきた。しかし今年の社説にはそうした提案がない。現時点では困難という判断だろうか。

 一方、産経は昨年見送った「9条改正」の主張を明記した。北朝鮮のミサイル発射を背景に「敵基地攻撃」論にも言及した。憲法審査会について「野党のサボタージュでいまだに始動できていない」と非難したのは読売と同じだが、「来年5月18日には憲法改正原案の発議が解禁される」と指摘して与野党に積極対応を注文したところに独自色が出た

 現時点で冒頭に掲げたような時代の毎日社説を読み返すと、憲法9条の文言と現実がそぐわないという素朴な受け止め方は、無理からぬことのように思える。しかし条文を現実に合わせれば、さらに解釈改憲が進んで平和主義の根幹が傾くのではないかという懸念も否定しきれない。この悩ましさが消えることはないのだろうか。【論説委員・中島哲夫】

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