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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2008年12月 6日 (土)

「日本文学史序説」「九条の会」設立 加藤周一さん死去

加藤周一先生
マスコミの記者さんたちから深夜に訃報の確認の電話があり、その後、しばらくは眠ることができませんでした。
加藤先生の体調が悪いのは聞いておりました。しかし、肺炎の治療で入院した東大病院から退院され、近くの病院で元気回復の入院をするとのことでしたので、安心もしておりました。それが突然の訃報です。残念でたまりません。
2004年の「九条の会」結成から4年数ヶ月、加藤先生には幾度もお目にかかり、ご自宅にもお伺いしたり、その度にご発言などから沢山のことを学ぶことができました。「知識人とはこういうものかと思う」と加藤先生について私は友人たちに語ってきました。奥平康弘先生が「知の巨人」といっておられましたが、まさにぴったりです。
先生、私たち「九条の会」は昨年、小田実さんを失い、いままた加藤先生を失いました。しかし、加藤先生がリーダーとして奮闘された「九条の会」は、全国各地の草の根の人々と共に、この間の安倍内閣などによって切迫した状況になっていた「九条明文改憲」を阻止しました。これは戦後の民衆運動史からみても、歴史的な偉業だったのではないかと私は考えております。
また、安倍内閣の崩壊後の「九条の会」の運動のあり方を的確に提起されたことも忘れられません。いま、全国の憲法運動が取り組んでいる「9条と25条」などの考え方も加藤先生の提起によることが大きいのです。
それにしても、加藤先生、仕事はまだまだ残っております。もっといろいろお教え頂かなくてはならないことがありました。
しかし、悲しんでいても仕方がありません。残された仕事を何としても継続し、渡された灯を燃やし続けなくてはなりません。本日、加藤先生の前に改めてそのことを決意致します。
加藤先生、ありがとうございました。(高田健)

http://www.asahi.com/obituaries/update/1206/TKY200812050387.html
「日本文学史序説」「九条の会」設立 加藤周一さん死去

2008年12月6日0時35分

 戦後日本を代表する知識人で、和漢洋にまたがる幅広く深い教養をもとに、政治や社会、文化を縦横に論じた評論家、加藤周一(かとう・しゅういち)さんが、5日午後2時、多臓器不全のため都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻の矢島翠(やじま・みどり)さん。

 東京生まれで、元々は東大医学部で血液学を専攻した医師だった。が、1942年、作家の中村真一郎、福永武彦らと新しい詩の運動グループ「マチネ・ポエティク」を結成。戦後に共同出版した「1946・文学的考察」で注目される。

 58年、第2回アジア・アフリカ作家会議参加を機に医師を辞め、評論と創作活動に専念する。日本文化の雑種性を指摘した「雑種文化」や自伝「羊の歌」、共同研究「日本人の死生観」などを経て、「日本文学史序説」で80年に大佛次郎賞受賞。

 活動は国内にとどまらず、米、独、カナダなど多くの海外の大学から招かれて教壇に立ち、日本文化などを講義した。文化、芸術だけにとどまらず、常にリベラルな立場から、核問題や安保問題などの現実問題にも積極的に発言し続けた。04年には作家の大江健三郎さんらと、憲法9条を守ろうと「九条の会」を設立した。その旺盛な評論と創作活動に対し、94年、朝日賞が、00年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章が贈られた。

 また、本紙文化面に80年から「山中人かん話(さんちゅうじんかんわ、かんは門がまえに月)」、84年から「夕陽妄語(せきようもうご)」を書き継ぎ、多くのファンをもった。著書は「加藤周一著作集」(全24巻)ほか多数。

 88年4月から立命館大国際関係学部の客員教授を務め、92年5月にオープンした、戦争の記録や平和運動の資料などを展示する博物館「立命館大学国際平和ミュージアム」(京都市北区)の初代館長に就任した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008120602000083.html

加藤周一氏死去 評論家、『九条の会』結成

2008年12月6日 朝刊

 東西にわたる深い知識と幅広い視野で評論活動を続け、護憲派文化人らによる「九条の会」を結成した加藤周一(かとう・しゅういち)氏が五日、死去した。八十九歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りや喪主などは未定。胃がんを患い都内の病院に入院していた。

 東京大医学部卒。血液学を専門とするかたわら文学に傾倒、フランス文学や古典に親しんだ。戦後間もなく福永武彦、中村真一郎氏と「1946 文学的考察」を著し、若手文学者として注目を集めた。

 その後三年間、医学留学生としてパリなどに滞在。欧州各地を回ることで日本を見つめ直し、日本文化の雑種性を指摘した評論「雑種文化」を発表した。

 次いでカナダ、ドイツ、米国などの大学で日本の古典文学などを講義。日本文学を世界史的視点から通観した大作「日本文学史序説」で大仏次郎賞を受賞した。

 上智大教授、東京都立中央図書館長などを歴任、林達夫氏のあとを継いで平凡社「世界大百科事典」の編集長を務めた。

 主な著書に自伝的回想録「羊の歌」、評論集「言葉と戦車」、「加藤周一著作集」(全二十四巻)などがある。

 二〇〇四年には作家の大江健三郎氏らと「九条の会」を結成し、憲法改定に反対した。

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