福田辞任、政治的危機到来
福田康夫首相が退陣表明をした。前任者の安倍晋三よりも短いわずか11ヶ月の任期での辞任で、自民党はこれで2代にわたって首相が無責任にも一方的に政権を投げ出したことになる。
春頃、本欄は「政府危機」についての指摘を重ね、「福田内閣のたれ死に」の可能性について指摘し、福田内閣総辞職の可能性について指摘してきた。しかし、サミット後、よもや内閣改造をやった福田康夫が総選挙を経ずに辞任するとは思わなかった。今回の辞職表明は内閣改造後、わずか1ヶ月のことである。この無責任さは安倍晋三といい勝負である。
福田康夫の政権運営が内外の大きな困難に直面していたのは間違いない。このままでは派兵恒久法どころか、給油新法の延長法案の成立すらおぼつかない状況であった。米国はドンドン圧力をかけてくる。おまけに公明党の選挙対策である定額減税要求も、財政再建の意に反してのまざるをえなかった。そうまでしても総選挙で勝てる自信はない。改造した内閣からまたまた太田農相のようなスキャンダルも露呈した。まさに内憂外患こもごも至るである。
3月頃、本ブログは小泉内閣で突然、官房長官を放り投げた福田康夫のキレやすい性格に注意を促したことがある。今回、お坊ちゃんの福田康夫は見事にブチキレたのである。こんな総裁をかつぐ自民党に、もはや政権担当能力はない。「民主党が協力してくれない」などという泣き言は安倍晋三のそれとうり二つである。なんと軟弱なことか。
この深刻な「政府危機」が「政治危機」に転化するのは明らかである。タカ派の改憲派・麻生太郎幹事長が後継の意欲を示しているようであるが、問題は人物選択の域にはとどまっていない。自公連立政権そのものの危機なのである。先に民主党に手をつっこんで数名の脱落を画策したように、この古狸の自民党という政党は政権にしがみつくためには恥も外聞もなく何でもやってくる。もしかすると、ドンチャン騒ぎの総裁選が演出されるかも知れない。
総選挙必至という情勢のなかで、このようなていたらくの自公連立政権に審判が下るだろう。万が一、選挙後、麻生政権の継続を許すようなことがあれば、この国の不幸である。これは何としても阻止しなければならない。
取り急ぎ走り書きをメモした。あわせて、以下、福田の辞任記者会見要旨と、商業新聞各紙のこの問題の主張を掲載した。(高田)
http://www.asahi.com/politics/update/0901/TKY200809010291.html
http://www.asahi.com/politics/update/0901/TKY200809010306.html
首相会見〈1〉「政治空白つくることは許されない」
2008年9月1日21時56分
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1日夜の福田首相の記者会見の主な内容は、次の通り。
昨年、私は安倍前総理からバトンを引き継ぎました。9月26日に総理に就任以来、1年近くたったわけでございます。正直申しまして、最初から、政治資金の問題、年金記録問題、C型肝炎問題、防衛省の不祥事など、次から次へと積年の問題が顕在化し、遭遇をいたしました。その処理に忙殺されました。
将来を見据えながら、目立たなかったかもしれないが、これまで誰も手をつけなかったような国民目線での改革に着手いたしました。例えば、道路特定財源の一般財源化、消費者庁設置の取りまとめ、国民会議を通じて社会保障制度の抜本見直しをするといったようなことです。最終決着はしていませんけれども、方向性は打ち出せた。
さらに今年に入ってガソリンや食糧の高騰に国民や中小零細企業と農家が苦しむ中、強力な布陣のもとで総合的な対策をとりまとめることができた。臨時国会では、(その)対策のための補正予算、消費者庁設置などの重要案件を審査する。
国民生活のことを考えるのであれば、政治の空白をつくり、政策の実行を止めることは許されない。新しい布陣のもとに政策の実現を図らなければならないと判断し、辞任することを決意した。国会の実質審議を前にしたタイミングで、国民にも迷惑がかからないと判断した。
首相会見〈2〉「小沢代表と胸襟開き話したかった」
――いつの段階で辞任を決意したのか。政権を投げ出した形になるが、政治不信が高まるのではないか。
私は、これからの政治がどうあるべきかということを考えてきた。(辞任は)先週末に最終的な決断をした。
――消費者庁の成果は道半ば。仕上げる責任はだれにあるのか。(首相を)辞めること自体が混乱を招く。
消費者庁は大体、法案は決まった。ここまでまとまれば、国会で野党とどういう話し合いをしていくかはお任せするしかない。私が続け、国会が順調にいけばいい。そういうことはさせないと野党が言っている限り、私の場合、困難を伴うのではないかと思う。政治空白を作らないためには今がいい時期。私が、いろいろ考えて判断した結果、新しい人に託した方が、よりよいという判断をした。
――(1日)夕方に(自民党の)麻生太郎幹事長と何の話をしたか。自ら幹事長にした麻生氏を引き続き支持するのか。
今日は麻生幹事長と町村官房長官に来ていただいて、説明を申し上げた。いろいろなやりとりがあった。その後のことは自民党の党内でどうするということだが、総裁選の日取りを決めていただきたいと麻生幹事長にお願いをした。
――民主党との間で国会(運営)は難航したが、民主党の小沢代表に言いたいことは。
ねじれ国会で苦労させられた。話し合いができないことがあった。重要法案に限って聞く耳を持たずということが何回もあった。小沢代表には「国のために胸襟を開いて話し合う機会を持ちたかった」と申し上げたい。
――総理は1カ月前に自身の手で内閣改造、かなり大幅な改造をしたばかり。国会も迎えないうちに自ら辞職という形をとったことへの見解は。
私が1カ月前に内閣改造したということ、なぜ1カ月後に総理自身やめるのかということで、これは、もっともなお話だと思います。私も内閣改造をしたときには少なくとも、重要な案件について何とかしたいという意欲を持っておりました。特に経済については特に重視しなければいけないという思いがございました。しかし、それが先週末に一応の決着を見たということであります。じゃあ、いま現在、どうして組閣当時と考え方が変わったのかと申しますと、そのあとのいろいろな政治の状況がありますので、そういうことを勘案して、この臨時国会が少しでも順調にいくようにと考えましてね。また野党は、解散、解散とあおるわけですね。解散ということがありますとね、それは議員心理というものは、いろいろございますので、そういう議員心理の結果ですね、また政治情勢が不安定になってはいけない。そういうことになった場合には、国会だけの話じゃない。国会議員だけの話ではない。国民全体にご迷惑をおかけする。これが一番いい時期だと思っています。
――総理の会見がひとごとに聞こえるという話があった。自民党を中心とする政権への影響は。
順調にいけばいいですよ。それに越したことはない。私の先を見通す目の中には、順調でない可能性がある。その状況の中で不測の事態に陥ってはいけない。ひとごとのようにとあなたはおっしゃっているが、私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたと違う。そういうことです。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080901-4146106/news/20080902-OYT1T00188.htm
またしても政権投げ出し、政治の責任自覚せよ…読売政治部長
またしても、政権が投げ出された。昨年の安倍前首相の辞任から1年もたっていない。舵(かじ)取り役が次々と姿を消していく日本政治の混迷ぶりは国民をあきれ果てさせるだけでなく、国際社会の不安も増幅させる。
なぜこのタイミングなのか。8月に内閣改造を断行し、就任後初めて自前の内閣を作ったばかりだ。改造はこの体制でいずれ衆院解散に打って出るというメッセージと、多くの人が受け止めたはずだ。
もっとも、冷静に分析すれば、とても首相の手で解散できるような状況ではなかった。内閣支持率は改造効果もなく低迷を続けた。自民党だけでなく連立相手の公明党からも「福田首相では選挙は戦えない」との声が半ば公然と聞かれるようになった。衆院議員の任期が残り約1年となる中、与党内の「福田離れ」が急速に進んでいた。
辞任の理由について首相は、新しい体制での政策実現の必要性を強調した。確かに、政治空白を最小限に抑えるためには、臨時国会召集前のこの時期が最善だったのかも知れない。
しかし、景気低迷をはじめ内外に難題山積の中での今回の辞任劇のダメージは計り知れない。
「4年堅持できないような人は(首相に)ならないほうがいいです。1年間を全力投球でやりますなんて言う人は駄目ですよ」
3年前に出版された対談本での首相の言葉だ。福田政権が1年と持たなかった今となっては、その言葉も空しい。昨年7月の参院選以来続く「ねじれ国会」の中で、日本政治の「失われた1年」が過ぎ、なお出口が見えてこない。
後継首相が速やかな解散を迫られるのは間違いないが、野党第1党の民主党は選挙に追い込むことを最優先にして政策論議を拒否すべきではない。日本の針路を見すえた論議を真剣に戦わせるのが政党のあるべき姿だ。政治全体の責任が問われている。(政治部長・赤座弘一)
(2008年9月2日03時08分 読売新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0902/TKY200809010394.html
朝日:野党に譲って民意を問え 編集委員・星浩
2008年9月2日3時1分
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1年前の安倍首相の辞任表明のリプレーを見ているかのようだ。安倍氏は自民党の若手を代表し、福田首相はベテラン・穏健派に推されたという違いはあったが、2人とも国政の難しい課題を抱えながら、あっさりと政権を放り投げてしまった。
安倍氏は参院選で吹き荒れた年金問題や格差拡大への批判になすすべがなかった。福田氏は内閣を改造し、総合経済対策を決めた直後だが、政権浮揚とはほど遠かった。人材、政策を含め、この党の政権担当能力が衰弱していることを露呈した退陣劇である。
次の総選挙での政権交代を狙う小沢民主党が、遮二無二福田政権への攻勢を強めているとはいえ、半世紀以上の政権運営の経験を持ち、しぶとさが身上のはずだったこの党としては、いかにもひ弱で無様な幕切れではないか。
福田氏は記者会見で、民主党の攻勢が退陣の原因と語ったが、それは、福田氏自身も自民党も、政治の難局を切り開く地力に欠けていることを示しただけのことだ。
福田氏は、辞任にあたって「国民のため」と強調していたが、自民党がいま、国民のためになすべきことは、自民党内の政権たらい回しではない。民主党に政権を譲り選挙管理内閣によって、衆院の解散・総選挙で民意を問うことである。国民の手に「大政奉還」して、新しい政治を築き上げる時だ。
自民党が誕生する前の保守政治の歴史には、時の政権が行き詰まったら「憲政の常道」として、野党第1党に後を委ねる慣行が成立していた時期もある。
国内では、年金、医療など社会保障の不備が明らかとなり、最近は物価高が追い打ちをかける。国外では北朝鮮の核問題が解けないままだ。ロシア・グルジア紛争など「新冷戦」の足音が聞こえる。日本の政治が足踏みしている余裕はない。小泉首相以来の「改革路線」をどう総括するのか、外交・安全保障の難題にどう取り組むのか。争点は山ほどある。政治は、真の再生に向けて動き出すべきである。
産経【福田退陣】企画「政権崩壊」 公明離反で孤立感
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080902/stt0809020134000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080902/stt0809020134000-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080902/stt0809020134000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080902/stt0809020134000-n4.htm
「この難局で首相を続けることは難しいので辞めようと思う。華々しく総裁選をやって、君の人気で自民党を蘇らせてほしい」
首相、福田康夫は1日午後6時前、幹事長・麻生太郎を首相官邸の執務室に呼ぶと唐突に辞意を打ち明けた。首相は続いて官房長官、町村信孝を執務室に呼び、辞意を伝えた。町村は狼狽(ろうばい)し、「考え直してください」と翻意を促したが、福田はさばさばした表情でこう告げた。
「いろいろ悩んだが、これは私が決めたことだ」
麻生は決意が固いとみると、こう言って深々と頭を下げた。
麻生「首相のご決断は尊重します。いつ表明するのですか?」
福田「今からだ」
麻生「ちゃんと関係者にご相談の上で表明なさってください」
× × ×
唐突にみえる辞任だが、予兆はあった。
8月20日夜、神奈川・箱根で開かれた自民党町村派の研修会が終わると、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三の首相経験者3人と元幹事長、中川秀直ら町村派幹部が山梨県の河口湖畔の別荘に結集した。
「福田さんは自分で解散する考えはないな」
小泉がこう切り出すと出席者の一人が「それはそうだ。任期満了までじっくりやればいい」と言ったが、小泉は首を横に振った。
「そこまで持たないだろう…」
一同が黙っていると森はこう言った。
「総裁選になれば、麻生も小池(百合子元防衛相)もみんな出ればいいんだ」
同じ夜、福田は改造前の閣僚を首相公邸に招き、慰労会を開いた。
「とにかくいけるところまで頑張りたいので、よろしくお願いします」
福田の短いあいさつに前閣僚らは顔を見合わせた。
「任期満了まで頑張ると言いたかったのか。それとも行き詰まったらきっぱり辞めるつもりなのか…」
公明党が臨時国会召集日にまで注文をつける中、首相の孤立感は深まっていた。
× × ×
福田は麻生に辞任を告げるまで誰にも相談した形跡はなく、1日夜の辞任会見に自民党関係者は激しく動揺した。
中川秀直は「とにかく驚いている。首相が決断した以上、自民党らしく開かれた総裁選を行い、新しい布陣をつくることに全力を挙げたい」。元幹事長の加藤紘一は「驚いた。党には計り知れない打撃だ。これを取り返すのは容易ではない」。参院議員会長の尾辻秀久は「首相の判断は理解できない。誰がやっても厳しい状況に変わりないのに…」とこぼした。
年内解散に向け、福田政権に圧力をかけていた公明党も動揺を隠さない。代表の太田昭宏は「正直言って驚いている。首相として熟慮した末の判断だろう。首相の発言を重く受け止めたい」と厳しい表情のまま。
福田の辞任会見を受け自民党本部には麻生ら同党役員が続々と参集し、対応を協議した。
焦点は党総裁選。「民主党の代表選より後に総裁選をやるべきだ」「辞任ショックを吹き飛ばすために総裁選は早ければ早いほどよい」-。議論は2日未明まで続き、最終的に同日の党役員会で決めることになった。
早くも与党内の関心は総裁選に移っている。焦点は候補者だが、麻生が出馬の意向を固めているほか、小池や町村、元政調会長、石原伸晃、国土交通相、谷垣禎一、消費者行政担当相の野田聖子の名前も浮上しており、乱立する可能性も出てきた。
福田が後見人の元首相、森に電話で辞意を伝えたのは1日午後7時半すぎ。森は沈痛な面持ちで電話を切ると、側にいた中川にこうつぶやいた。
「とにかく様子をみよう。安倍、福田と2代続けて迷惑をかけたのだからしばらくは謹慎だな…」(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080902/plc0809020312008-n1.htm
産経:「首相退陣」に思う 論説委員長 皿木喜久 あの強い政治家どこへ
2008.9.2 03:13
今から計算してみると、小学校1年生の冬のことである。
孤独な子供だったからひとりでラジオのニュースを聞いていた。すると突然「今日、吉田内閣が倒れました」とアナウンサーが興奮気味に伝えた。
よく意味がわからなかった。吉田茂首相というのは知っていたから、その吉田首相がひっくり返ったのかと思った。それなりに大変だという気がした。
何十年もたって調べてみると、昭和29年、野党・日本民主党を中心に吉田首相への批判が強まり、12月6日、吉田内閣不信任案が成立した。吉田はそれでも解散・総選挙で延命の道を探ったが、結局与党の重鎮だった緒方竹虎までが解散に反対し翌日、辞職した。
ラジオで聞いたのはこの日のニュースだったのである。
吉田は昭和21年5月、GHQによって追放された鳩山一郎から、自由党総裁の席を預かる形で、首相に就任した。有能な外交官であったが、政治には当時あまり関心はなかったとされる。
しかし途中、片山哲、芦田均の両内閣を挟み、長期に首相を務めるに従い、政権への座に執着を見せる。特に晩年は「ワンマン」と言われるほどに、権力的になっていった。
政権の座にあることが面白くなったということもあるが、戦後日本の立て直しは自分でしかできないという思いも強くなったのだろう。
2代置いた岸信介首相の政権への執着も、ある意味では見事だった。日米安保条約改定の国会での承認をめぐり、すさまじい反対運動にあった。連日デモの攻勢を受け、マスコミからはまるで鬼畜のように言われた。
それでも昭和35年6月、参院で自然承認されるまで、決して政権を投げ出すことはなかった。その自然承認の翌日、デモ隊に包囲されて泊まり込んだ首相官邸を「棺(かん)を蓋(おお)いて事定まれり」という言葉を残して去った。
金権問題で倒れた田中角栄元首相も、最後まで首相の座にとどまることを目指した。
いずれも、権力への執着ともいえる。しかしその背景には、日本の最高権力者としての使命感のようなものがあったのは間違いないのだろう。
福田康夫首相がまたも、就任1年足らずで政権投げ出しを表明した。「またも」というのは、むろん前任の安倍晋三首相が同じように突然、首相の座を放り投げたからである。
確かに自民党、もしくは保守政界の中で政権争いがくり返されていた感のある吉田や岸の時代と違い、現代の政治情勢は複雑であり「衆参ネジレ」という特殊な事情もある。
そうではあるが、昭和20年代から30年代の保守政治家たちに比べ、現代の首相たちはあまりにひ弱に思えてならない。
特に安倍前首相は岸元首相の孫であり、福田首相はその岸氏を支え動乱の中を乗り切った福田赳夫元首相の長男である。
福田首相の後継候補ナンバーワンとされる麻生太郎・自民党幹事長は吉田の孫だが、はたして安倍氏や福田氏の轍(てつ)を踏まないと言えるだろうか。
戦後の日本を支えたあの政治家たちのDNAはどこへいったのだろう。(さらき・よしひさ)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080902ddm005070008000c.html
毎日:社説:首相退陣表明 またも無責任な政権投げ出し 選挙管理内閣で直ちに解散を
あまりに唐突な政権の投げ出し劇である。福田康夫首相が1日夜、緊急記者会見し、退陣を表明した。12日から始まる臨時国会を前に退陣することについて首相は「新しい布陣のもとに政策の実現を図る」などと理由を述べたが、そのまま受け入れるわけには到底いかない。無責任政治はここに極まった。
国会で所信表明演説を終えた直後の昨年9月12日、辞任表明した安倍晋三前首相を思い出した人も多いだろう。日本の首相は、米国やロシア、中国などの大統領や国家主席を相手にしているのだ。2代続けて、このように短期間で、政権を放り出すのは異常事態であり、国益を損ねる行為でもある。果たして、今の自民党に政権担当能力があるのだろうかと疑う。
自民党では早急に党総裁選を行う方針で、後継には麻生太郎幹事長が有力視されている。しかし、安倍前首相、福田首相ともに、そもそも首相就任後、衆院選で有権者の審判を受けずにきたことが、自信を持って政権運営できなかった大きな要因だったのだ。
直ちに衆院を解散し、総選挙を行って有権者の審判を仰ぐべきである。新首相が決まったとしても、その内閣は、もはや選挙管理内閣と見なすべきだ。
◇つまずきは大連立
それにしてもだ。なぜ、この時期なのか。
福田首相は会見で「だれも手をつけなかった国民の目線の改革に手をつけた」などと胸を張り、「私は自分のことを客観的に見ることができる」と開き直りもした。そのうえで、臨時国会を前に「新しい布陣のもとで政策の実現を図るため」、そして「政治空白を作らないため」に退陣するのだと語った。
だが、福田首相が退陣しても、参院で野党が過半数を占めている状況は変わらない。新たに自民党の首相が誕生しても、政府・与党の思い通りになるような政権運営は困難である。
福田首相は会見で「安倍前首相は病気だった」と、安倍退陣との違いを述べたが、これもまったく説得力を欠く。国会開会直後であろうが、直前であろうが、責任放棄であることには変わりはないからだ。
要するに、野党が参院で過半数を占める「ねじれ国会」を理由に、政権運営が思うようにならないから、投げ出したということだろう。そして、福田内閣の支持率が低迷し続け、自民、公明両党内にも「福田首相の下では衆院選は戦えない」との声が次第に強まる中で、それに抗する気力も熱意もなかったというのが実相であろう。
福田内閣は参院選惨敗に伴う与野党「ねじれ国会」に直面した安倍前首相の退陣を受け、昨年9月に発足した。最初の組閣では安倍内閣の閣僚を大幅に引き継ぎ、自ら「背水の陣内閣」と称し、野党が攻勢を強める中、自公政権の立て直しを目指した。政権発足後ほどなく民主党の小沢一郎代表との党首会談を通じ同党と「大連立」を模索したが、失敗した。
若い安倍前首相の後継として期待されたのは、落ち着きのある、地道な政治だったはずだ。振り返れば、「大連立」という奇策に安易に走ろうとしたところがつまずきの始まりだったのではないか。
失敗を機に、まず大きな懸案だった、インド洋で海上自衛隊による給油活動を継続する新テロ対策特別措置法は衆院で57年ぶりの再可決で成立させるなど苦しい対応を余儀なくされた。
さらに行き詰まりを感じさせたのは、今年の通常国会の攻防からだ。参院の同意が必要な日銀正副総裁人事で民主党の同調が得られず、総裁候補の武藤敏郎氏らの人事案がたて続けに否決される混乱を生んだ。
◇成果も乏しく
4月にはガソリン税の暫定税率が期限切れ。道路問題でさらに2度の衆院再可決で関連法を成立させるという際どさだった。もたつきの中で政権発足時は57%あった内閣支持率も今年5月に18%にまで落ちこみ、衆院山口補選で自民候補が敗北するなど、次期衆院選で首相を「顔」として戦うことを不安視する見方が与党に広がった。
8月の内閣改造で麻生氏を幹事長に起用し態勢立て直しを目指した。だが、新テロ法の期限延長に慎重姿勢を示す公明党との間で、次期国会の日程をめぐる調整が難航。民主党が早期解散を求め、公明党も年内・年明け解散に軸足を始める中、国会の乗り切りが危ぶまれていたのは確かだ。
首相独自の政策としては消費者庁の設置や道路特定財源の一般財源化などを打ち出したが、局面打開に至らなかった。「改革に手をつけた」とも言えない1年だったというほかない。
重ねて指摘しておく。そもそも今、衆院で3分の2以上を占める与党勢力は、05年9月、小泉政権の下での郵政選挙でもたらされたものだ。この「遺産」といえる勢力で国会運営を進めるのは、とっくに限界だったということだ。それを今回は改めて示した。
国民に責任を感じるとすれば、直ちに衆院解散・総選挙に踏み切ること以外、与党には道はなかろう。
毎日新聞 2008年9月2日 東京朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008090202000113.html
東京:【社説】
福田退陣表明 二代続けて投げ出しか
2008年9月2日
福田康夫首相が唐突に政権を投げ出した。麻生太郎自民党幹事長に後を託すらしいが、無責任の極みである。政局は一気に流動化し、衆院解散・総選挙へ向かう。国民不在の波乱の秋が始まった。
一年足らず前の安倍晋三氏による政権投げ出しの記憶が生々しい。そんな中での二代続けての首相退陣である。厳しい環境にあったとはいえ、自民、公明両党でつくる連立政権の事実上の破綻(はたん)といっていい。
福田首相は一日夜の緊急記者会見で、道路財源の一般財源化や消費者庁設置の方向性を打ち出せたことなどに触れ「国民目線の改革に手をつけた」と胸を張った。
だが、こうも続けた。国民生活を考えれば、民主党が審議を引き延ばすことはあってはならない、私が首相を続ける限りどうなるか分からない、ならば新しい布陣のもとに政策の実現を図らないといけない、と。それゆえに辞任するのだという。内閣支持率の低迷も一因に挙げた。
全く理解できない。病気を辞任理由にした安倍氏とは違うと抗弁したが「投げ出し再び」と言わずに何と言えばよいのか。
衆参逆転のねじれ国会の現状は安倍前政権を引き継いだときから分かっていたことだ。政策実現は並大抵の努力では困難だということを百も承知で、首相の重責を引き受ける決意を固めたのではなかったか。一国のトップがこうも人ごとのように国政を語っていいのか。無責任すぎる。
八月初めに起死回生を狙った内閣改造後も支持率が上向かず、今月に召集予定の臨時国会も乗り切りを困難視されていた。
今月下旬には国連総会での演説が予定されていた。インド洋での給油継続問題も首相はその必要性を強調したばかりだった。北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議も継続中だ。一方、景気対策をめぐっては、低所得者層向けの定額減税など政府・与党で決定したばかりである。公明党の「福田離れ」が響いたのか。
首相は「大きな前進のための基礎をこの一年間で築いたと自負している」と述べたが、果実を得る見通しもないままの突然の退陣表明は国民の目にどう映っただろう。
首相の期待する「新しい布陣」が国民の信頼を得られるとも思えない。自公政権はだれがトップを務めようと同じことを繰り返すのではないか。いたずらな政治空白はもはや一刻も許されない。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20080901AS1K0100A01092008.html
日経:社説 解散戦略描けず行き詰まった福田政権(9/2)
福田康夫首相が緊急記者会見し、退陣する意向を表明した。首相は「今が政治空白をつくらない1番いい時期と考えた。新しい人に託した方がいい」と述べ、次期臨時国会前の時期を選んで辞意を固めたことを明らかにした。
8月に内閣改造に踏み切ったばかりの首相の政権運営が行き詰まったのは、最後まで衆院の解散戦略を描けなかったためである。
次期首相は早期解散を
衆参ねじれ国会という厳しい局面で昨年9月に就任した首相は当初、民主党との大連立で政権を安定させる道を模索したが、この構想が頓挫してからは、国会での法案処理で手いっぱいだった。
本紙の直近の世論調査で、内閣支持率は改造直後の前回調査の38%から29%に低下。与党内では「支持率が低迷する福田首相の下では選挙を戦えない」との見方が広がっていた。このまま手をこまぬいていれば、次期衆院選への危機感から「福田降ろし」の動きが表面化する恐れもあった。
とりわけ年末・年始の早期解散にかじを切った公明党は、福田政権に厳しい姿勢を鮮明にし始めた。首相と公明党との間では、臨時国会の召集時期や会期をめぐり不協和音が絶えなかった。
首相は臨時国会で、インド洋上での給油活動を延長する法案や消費者庁設置法案の成立に意欲を示していた。しかし民主党は給油延長法案などに反対する方針を崩さなかった。給油延長法案を成立させるには、衆院で3分の2以上の賛成で再可決するしか手はなかったが、公明党の協力を取り付けられぬまま、臨時国会に臨まざるを得ない状況だった。
衆院解散で局面を打開することができない首相は早晩、退陣に追い込まれる可能性が高かったといえる。政治空白を最小限にとどめるために、国会召集前に辞意を固めた首相の判断は理解できる。
しかし前任の安倍晋三首相は1年で政権を投げ出し、福田首相も衆院選の洗礼を受けぬまま、1年で退陣する。与党内の政権たらい回しで、3人目の首相が誕生するのは極めて異常な事態である。
記者会見に先立ち、首相は麻生太郎幹事長に「総裁選の日取り、手続きを進めてほしい」と指示した。自民党は速やかに総裁選を実施して、新政権を発足させる必要がある。
だれが首相になっても、早期に衆院を解散して有権者の審判を受けなければならない。衆院選の実施こそが、政治空白を短期間にとどめる道だろう。
一方、民主党の小沢一郎代表は記者会見で、党代表選への出馬を正式に表明した。告示日の8日に無投票三選が確定し、21日の臨時党大会で選出される見通しになっている。小沢氏は次期衆院選で民主党の首相候補になるが、党大会で政権構想のもとになる所信を発表する意向も示した。
今回の代表選では有力な対抗馬と目された岡田克也、前原誠司両副代表らが相次いで不出馬を表明。出馬への意欲を示した野田佳彦広報委員長は、支持グループの中から反対論が出て、出馬を断念した。
私たちは代表選で活発な政策論争をしたうえで、次期衆院選のマニフェスト(政権公約)を練り上げるよう求めてきた。党の存在感を高める絶好の機会を自ら封じてしまったことは遺憾である。
小沢氏は政策を語れ
首相の退陣表明に伴い、自民党では急きょ、総裁選が行われる見通しになった。自民党との対比においても、代表選が無投票で終わることは有権者にも物足りなさを残すに違いない。
小沢氏は記者会見で次期衆院選の政権公約について、昨年の参院選の公約と「大筋の考え方は変わらない」と説明した。
しかし参院選の公約は農業の戸別所得補償や子ども手当など総額15兆3000億円の新規施策の財源の大半を、行政の無駄を省くことで生み出すというもので、説得力に欠けた。その後、民主党はガソリンの暫定税率の廃止などの新たな施策を打ち出しており、党内からも財源の裏づけが不十分との批判が出ている。
民主党政権ができれば、政権公約に沿って予算編成などに取り組むことになる。今後の政権公約づくりなどで、小沢氏はもっと政策を語るとともに、批判にも謙虚に耳を傾ける姿勢が必要だろう。参院選の政権公約を吟味したうえで、政策の優先順位などをはっきりさせる作業が不可欠だ。
首相の退陣表明で衆院解散・総選挙は年内に行われる可能性が強まってきた。次期衆院選は文字通り政権選択をかけた歴史的な選挙となる。自民、民主両党は政権公約を示すことが急務であり、その中身が党の消長に直結する。
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