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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2008年7月 9日 (水)

拓殖大学学長・渡辺利夫 「集団的自衛権」の解釈変更を

拓大の渡辺学長、使い古された論理で、集団的自衛権行使を主張。安保法制懇報告を「久方ぶりに気概に満ちた報告書に接したとの感が強い」と最大級に評価したが、いらだちが隠せない文章だ。改憲派の典型的な論理のサンプルとして掲載する。(高田)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080709/plc0807090304007-n1.htm
【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 「集団的自衛権」の解釈変更を

 ≪日米同盟の脆弱性露呈≫

 日米同盟は日本の安全保障の「基軸」である。しかしNATO(北大西洋条約機構)などに比べると相互防衛条約としての性格は弱い。相互に不信と猜疑(さいぎ)が生まれれば毀損(きそん)されかねない脆弱(ぜいじゃく)性が日米同盟にはある。日米が相互に守るのは日本の施政下にある地域に限定され、何より集団的自衛権に関する日本の解釈が日米同盟を損ねる危険な可能性を秘めている。

 米ソ冷戦時代にあっては日本に存在する米軍基地の戦略的重要性は決定的であり、片務的な条約であっても存在理由は十分にあった。しかし冷戦崩壊とともに日米が共同して防衛すべき対象が不鮮明となり、日米条約の在り方について過去の解釈を踏襲していては危うい。

 集団的自衛権についての日本政府の解釈は「わが国は独立国として集団的自衛権を保有するが、それを行使することは自衛の限度を超え、したがって憲法上許されない」というものである。“保有するが行使できない”などというのは誰がどう考えたって奇妙な論理である。そういう論理が許されるような「太平楽」な安全保障環境が長くつづいたというだけのことである。

 集団的自衛権は国連憲章51条で諸国家に固有の権利として認められ、日米安保条約の前文でも日米双方が集団的自衛権を保有する旨が明記されている。日本国憲法第9条はもとより、国内法のどこをどう探してみても集団的自衛権を禁止する文言などない。

 ≪期待にたがわぬ安保懇≫

 北朝鮮が6カ国協議の議長国・中国に核申告をしたという事実を受けて米国は北朝鮮をテロ支援国家指定国から解除するという挙に出た。申告がプルトニウムを中心とし、日本が最も知りたい核兵器保有の数や場所などを含まないと知った上での指定解除である。日本の米国に対する不信の高まりは避けられないが、米国の方にも集団的自衛権行使に踏み切れずにいる日本への不信が根強い。

 集団的自衛権に関する法的制約はないのにもかかわらず、“行使できない”ということはありえない。これは法理的解釈というより政策的解釈である。そうであれば政策的解釈を変えればいいのだが、その勇気が日本の政治家や官僚にはないのである。

 安倍政権下のことである。「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保懇)の設置が内閣総理大臣決裁として発表された。指名されたメンバーのリストを眺めて、日本もついにまっとうな方向に歩みを始めたかと快哉(かいさい)を叫んだ。

 検討さるべきテーマとして首相から示されたのは、(1)日米が公海で共同行動している際に米艦船が攻撃された場合、わが国自衛隊の艦船が何もしないという状況が生じていいのか(2)米国に向かう蓋然(がいぜん)性が高いミサイルをわが国がレーダーで捕捉した場合、自衛隊がこれを迎撃しないといったことが許されるか(3)PKO(国連平和維持活動)において他国の部隊や隊員が攻撃された場合、わが国自衛隊が武器をもって駆けつけ友軍を助けないでいいか(4)補給、輸送、医療などそれ自体は武力行為ではない「後方支援」を武力行使と「一体化」したものとみなしてこれを拒否していいか、であった。

 ≪「お蔵入り」は許されず≫

 安保懇は平成19年5月18日に第1回会議が開催され、第5回の会議が8月30日に終わり、それ以降は会議はまったく開かれなくなった。政権交代がその原因なのかと気をもまされたが、結局はこの6月24日に最終報告書が首相に提出された。

 結論は期待を裏切らぬ明快なものであった。集団的自衛権の行使ならびに国連憲章にもとづく集団的安全保障措置への参加は日本国憲法の「法理」にまったく抵触しない。かつ法的解釈は安全保障環境の変化に応じて変更さるべきは当然であり、集団的自衛権の行使は憲法改正を要しないことを明示した。

 その上で先の4つの検討事項について(1)と(2)には個別自衛権ではなく集団的自衛権として解釈を変更すべきこと、(3)と(4)は集団的自衛権には当たらず、国際平和維持のためにむしろ積極的にこれを行うべきこと、というのがその論旨であった。

 個別的自衛権の「姑息(こそく)」な解釈変更は安全保障の法的基盤の全体を崩しかねないという。「集団的自衛権の対象となるべき事項を個別自衛権の適用範囲を拡張して説明しようとすることは、国際法では認められない」と明言する。

 政府の審議会や懇談会というのは、とかく政府の方針の「追認」の域を出ない。久方ぶりに気概に満ちた報告書に接したとの感が強い。支持基盤の弱い福田政権がこれを「お蔵入り」させてしまうことだけを私は恐れる。(わたなべ としお)

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