雑記(26)反戦の目。いまならまだ間に合う
毎日新聞のコラムである。
私はこれを書いた広岩記者を知らない。しかし、この文章は好感がもてたので紹介する。
ここしばらく、毎日新聞はときおり、こうした「賢人」たちのインタビューを掲載してきた。さまざまな人びとが登場したが、おおむね、それらのインタビューは平和とか憲法第9条などについて、深いところから考察されたものが多かった。なかなかマスメディアでこうした人びとの見解について、まとまってふれられる機会が少なくなっているだけに、貴重な企画であった。
記者が最後に書いているように「共通の視線は、反戦の目から投じられたと思う。反戦といえばイデオロギー的にとらえられがちな面もあるが、私たち市民が戦争に反対するのは当たり前で、右も左も中間もあるまい。反戦の目を胸に刻んで、新年を迎えたい」ということの大事さがしっかりと確認されなくてはならない。
これらの「賢人」たちは自らの生き様でそれを実践しつつ、語っている。それだから、掲載されたインタビューは説得力をもっていた。
広岩記者もいうように、「反戦」という主張について、イデオロギー的だとか、古くさいとか、高みから冷笑することで攻撃する、というような論調も一部にはある。この問題について消極的な立場をとる自らへの弁明の場合もある。
このような手合いには言わせておくしかない。街には無数の「賢人」がいる。これらの人びととともに、新年はいっそうがんばりたい。
いまなら、まだ間に合うと思うからである。(高田)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20071230k0000m070101000c.html
発信箱:反戦の目=広岩近広(専門編集委員)
除夜の鐘までカウントダウンとなった。あらたまって今年を振り返るに、私は共通の視線を思い出さずにはいられない。
温厚で柔らかいまなざしの人が、ほんの一瞬ではあるが、鋭い視線に変わる。まぎれもなく突き刺さる視線であった。私は心の奥底まで見抜かれたにちがいない。
今年、インタビューの機会に恵まれた人たちの視線である。鶴見俊輔さん、澤地久枝さん、新藤兼人さん、むのたけじさん、瀬戸内寂聴さん、日野原重明さん。身を乗り出して話を聞いていた私は、深い瞳から光り出た無言の視線に、こう厳しく問われたはずだ。「あなたは戦争の悲惨さを、どれほど知っていますか、想像できますか、本当に戦争に反対しますか、その気骨はありますか」
戦争の時代を生きてきた賢人たちは、その実体験から揺るぎのない戦争観を持っている。戦争の本質を知り尽くしていた。
一人一人の人生をはぎ取るのが戦争であろう。対極の平和は、安寧の日常があってはじめて享受できる。瀬戸内さんたちは記憶を寄せ集めてあの時代を語り、しかし軽々しく相づちを打つ戦後生まれの私の胸のうちを、その視線で射抜いた。
戦争や平和という言葉を使い慣れしていたのではないか。私の反省である。
共通の視線は、反戦の目から投じられたと思う。反戦といえばイデオロギー的にとらえられがちな面もあるが、私たち市民が戦争に反対するのは当たり前で、右も左も中間もあるまい。反戦の目を胸に刻んで、新年を迎えたい。
毎日新聞 2007年12月30日 0時22分