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許すな!憲法改悪・市民連絡会

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2007年6月 4日 (月)

雑記(7)聖徳太子非実在説について

 大山誠一氏の聖徳太子非実在説はひそかに私も注目してきたもので、本日の毎日紙の夕刊に記事が載っているので、紹介しておきます。憲法調査会などでの改憲派の国会議員が「十七条憲法=日本最古の憲法」とか、「以和為貴(和をもって貴しとなす)=これぞ日本精神の神髄」などという愚かな議論を聞いていると、その憲法論の水準の低さにあきれるのだが、そうした面々には、こういう説もあることを知ってもらいたいと思う。「十七条の憲法」は憲法という用語こそ同じではあるが、近代憲法などとは目的も意味もまったく異なるのであって、いまさら「わが国最古の憲法」もないものだ。厩戸さんは実在したが、太子さんは作り上げられた偶像だとする大山説は注目に値すると思う。
 わが友人の皆さんにもこの毎日の記事は読んで頂きたいと思うので、紹介しておきます。(高田)


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20070604dde014040021000c.html

聖徳太子非実在説:発表10年 進む大山誠一教授の研究

 ◇万世一系への疑問も--見えてくる意外な天皇制像

 「聖徳太子はいなかった」とする大胆な学説を大山誠一・中部大教授(日本古代史)が発表して10年。美術史や仏教史も含めた広い範囲で通説の根本的見直しを迫り、学界の衝撃や反発も強かった。正統アカデミズム発の説としては抜群の話題性を持つ非実在説の現況や今後の構想について、大山氏に聞いた。【伊藤和史】

 高校の日本史教科書の一つ、『詳説日本史』(山川出版社)最新版(02年度検定)では、「厩戸(うまやと)王(聖徳太子)」と太子がカッコ内に入っている。一つ前の97年度検定版では「聖徳太子(厩戸皇子)」と逆だった。聖徳太子は主から従に転落したわけだ。

 「歴史学の世界では、聖徳太子が実在の人物ではないという理解が定着したのではないか。もちろん、実在を守りたい人は次々現れたが、『いないとは言えない』といった反論だけで、実在の根拠を示す研究は皆無だった」

 自信を深める背景には、論拠の個別研究の進展がある。最大の成果の一つが刺しゅうの入った帳(とばり)「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」(国宝、中宮寺蔵)の年代論という。622年の太子の死の直後、悲しむ妻の一人によってつくられたとされてきた。ところが、銘文に7世紀末に使用が始まる暦の儀鳳暦(ぎほうれき)が使われていることが判明し、推古朝製作説が明確に否定された。

 「根拠を示せない実在論が消えるのは時間の問題です。そろそろ次の段階に進む時」と、今はより壮大な課題に取り組んでいる。聖徳太子を創作した『日本書紀』全体への疑問である。この課題は万世一系や高天原(たかまのはら)神話がいつ、どのように生まれたかなど、天皇制の解明に直結する。

 「高天原の概念は持統天皇が孫の文武天皇に譲位する際に創出されたと考えられる。まず持統→文武の関係からアマテラス→ニニギノミコトの関係がつくられ、ニニギを高天原から天孫として降臨させた。さらに、高天原と文武を直結させる必要から、途中の天皇も一系でなければならず、高天原・天孫降臨・万世一系の神話が成立した」

 こうした見解は、従来の神話観に重大な再考を迫るものだ。神話が太古にさかのぼるものではなく、全く新たにつくられたというのである。

 日本と朝鮮の関係の見直しも迫る。一例として、ニニギが降臨した先の「クジフルタケ」と同音の山が釜山近くに実在し、朝鮮で王が天から下ったとする神話に注目する。朝鮮神話を日本が模倣したのではないかというわけだ。

 「記紀には日本の古いものが集められ、文字化されたと思われているが、実際には朝鮮語が多く含まれている。滅亡した百済や高句麗人がどっと入ってきた時期だから、影響が大きいのは当然です」

 過去の万世一系が虚構ならば、古代王権の実態もまるで変わってくる。現在のような一貫して男系でつながるようなものではなく、さまざまな勢力の寄せ集まりの中から有力者が即位する--これが大化の改新以前の王権の姿だとみる。そうすると、蘇我(そがの)馬子なども即位していた可能性が高くなる。定説とは全く異なる歴史像が見えてくる。

 「大化の改新後、中央集権化が進み、一応、中国的な皇帝権力が生まれた。それを日本の文化の中にどう表現し、誰に皇位を継がせるかというのが『日本書紀』の構想。その際、事実と異なる妙な男系の万世一系の論理で編さんしたため、非常に大きな無理が生まれた。神話をつくり、聖徳太子をつくったのも、その無理を隠すためでしょう」

 ◇「捏造」表現に抵抗ある--近著『聖徳太子と飛鳥仏教』で、大山説に批判的検討を加えた曽根正人・就実大大学院教授(日本仏教思想史)の話

 後世に造形され、肥大化した聖徳太子がいなかったという点では大山説に反対しない。厩戸王の実像をどう考えるかでは見解が違う。歴史物語の研究によれば、全くのゼロから記事がつくられた例がない。素材となった記録・記事が何であるかは今後の課題だが、皆無とは考えにくい。例えば、十七条憲法が捏造されたという表現には抵抗がある。従来、飛鳥時代の仏教理解を余りに高く考えすぎた。厩戸も周囲から抜きんでてはいても、まだ世俗的な理解であり、仏教の本質までは理解してはいなかった。十七条憲法も官人心得として一般的な内容であり、厩戸がつくったとしても不自然ではない。

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 ◇聖徳太子非実在説

 通説によれば、聖徳太子(本名・厩戸王)は飛鳥時代、推古女帝の摂政として冠位十二階や十七条憲法の制定、小野妹子の隋派遣などの優れた政治的業績を上げた。また仏教のハイレベルな理解者であり、仏教興隆にも貢献した。

 ところが1996年末、大山氏が「聖徳太子に関する確実な史料は皆無。厩戸王は実在したが、太子としての数々の偉大な業績は『日本書紀』編さん時に捏造(ねつぞう)された」とする論文を発表。律令制が確立され、藤原氏が政治的実権を握りつつあった持統~奈良朝の時代状況を背景に、藤原不比等らが「天皇制の中に中国的な聖天子像を取り入れる必要があったから」と捏造が行われた理由を説明した。

毎日新聞 2007年6月4日 東京夕刊

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